第10話 姉妹の血・後編
「お邪魔いたします」
扉が開かれると、テフィルに似た少女がお付きらしき女性たちを従えて現れた。上質かつ機能美にあふれた衣服を身にまとい、セレンに負けず劣らずの長く美しい髪をなびかせている。だがどことなく幼さの残る顔つきは、テフィルとはそこまで大きく歳が離れていないことを表していた。
「ようこそお越しくださいました。アロキア商会副会長、ユスフィル・キシュトーさん」
セレンが立ち上がると、スカートの裾を軽く持ち上げながら一礼した。12歳とは思えないほどの完璧な作法だ。
「ご招待いただきありがとうございます。リーナ・フェリエス様」
彼女に対しテフィルの姉、ユスフィルも年上ながら恭しく返礼した。子供とはいえ、公爵家の直系が明らかな目上であることは理解している。しかし丁寧な所作とは裏腹に、言葉はどこか心がこもっていないように感じられた。
「早速で申し訳ありませんが、テフィルと二人でお話しさせていただきたいのですが」
ユスフィルが視線を向けると、テフィルはひっと小さな悲鳴を上げてリーナの陰に隠れた。
「まぁまぁ、そう焦らずに。それにしても14歳で商会の副会長とは、大変優秀なのですね」
「いえ、会長であるお父様の後に従って仕事を学んでいるにすぎません。フェリエス様こそ……」
ユスフィルの目の奥に敵意が見てとれた。
「大変高貴なお家柄と伺っておりますが、どうしてこのような場所に?」
明らかな皮肉であり、軽蔑すらも込められた言葉だった。本来商人が上級貴族に対してこのような態度をとるのはあり得ない。だが彼女にとって、ここに幼い少女たちがいるのは許せないのだろう。
「妹さんがどのような場所で遊んでいるのか、ユスフィルさんも知っておくべきだと思いましてね」
無礼な彼女の振る舞いはまるで気にも留めず、セレンは話を続ける。
「それに首都に支店を出すための市況調査にもなりますわ。この辺りのお店に来る客のほとんどは裕福な方ですから」
「お気遣いありがとうございます」
ユスフィルは一刻も早くこの場から離れたそうだった。テフィルはリーナの袖を掴み、ブルブルと震えている。
「というわけで、堅苦しい挨拶は抜きにして早速遊びに行きましょう!」
「は?」
セレンがパンッと手を叩いた。突如砕けた調子でしてきた思わぬ提案に、ユスフィルは敬語で返すのも忘れてしまう。
「ほらほら、早く早く!」
「ちょっと、そんな押さないで」
セレンは愉快なステップを踏みながら、ぐいぐいと彼女の背中を押してサロンを出ていこうとする。リーナとテフィル、そしてユスフィルのお付きたちは慌てて追いかけようとするが……
「お付きはここに残ってなさい。さもないと公爵家の権限で商会を取り潰すわよ」
この一言にお付きたちの足がピタリと止まった。
もちろん、こんな子供にそこまでの力はない。だが彼女の言葉には本当にやりかねないような気迫がこもっている。お付きたちは万が一のことを考え、動こうにも動けずにいた。
「さぁみんな、行きましょう!」
「ちょっと待ってまだ私は行くとは――」
セレンは有無を言わさず、12歳の少女とは思えないような力でユスフィルを押し出した。
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「ようこそお待ちしておりました、エヴァニエル様。そちらの方が――」
「えぇ、今日初めて遊ぶお友達よ」
リラクリカでは受付嬢が、いつもとは違う丁寧な対応でセレンたちを迎え入れた。
「申し訳ないですが、私は遊ぶ気など……」
言葉では拒絶しながらも、ユスフィルはどこか落ち着かない様子でそわそわと店内を見まわしている。
(これはまさか……)
追いかけてきたリーナは、そんなユスフィルを見て何かを感じ取っていた。テフィルも不安そうに見守っている。
「今回はわざわざ遠方から来たあなたのために、お店に頼んで特別コースを用意してもらったの」
セレンがパチンと指を慣らすと、店の奥から十人近い少年たちが次々と歩み出てきた。
「こ、これは……」
「さぁ、ユスフィルさん。この中から好きな子を一人選んでくださいな。それとも」
ぬるりと近付いてきたセレンが耳元でささやいた。
「全員の方がいいかしら?」
ユスフィルの耳がピクリと震えた。
「見ろ、テフィル。お前の姉ちゃん、完全にイケメンの気にあてられてるぜ」
入り口近くで見守っていたリーナが言った。
ユスフィルの頬は紅潮し、のぼせているかのように口を軽く開けていた。目の前に並んだ少年たちにすっかり見とれてしまっている。
「い、いつの間に姉様のタイプを……」
「お前が遊んでいた時じゃね?」
はっとしてテフィルが口元を押さえ、セレンを見やる。気付いた彼女は二人に向かって静かにほくそ笑んだ。
「なぁんだ。こういう遊びはダメだって実家にいたときから言ってたのに。やっぱり自分も興味あったんじゃん」
テフィルの言葉が耳に届いたのか、我に返ったユスフィルは両頬をパチパチと叩いた。
「せ、せっかく用意していただいたのに申し訳ないですが、私は遠慮させていただきます……」
少年たちに背を向けるものの、はたから見てわかるぐらいに名残惜しさがにじみ出ている。
「あら、あなた……」
セレンが回り込み、ユスフィルの目をじっと見つめた。
「まさか公爵家の娘からの贈り物を受け取らないつもり?」
彼女の殺し文句にユスフィルは雷に打たれたような衝撃を受けた。礼儀として目上――しかも上級貴族からの気持ちを無下にするべきではない。
「そうですよ姉様! フェリエス様の贈り物を断るなんて失礼ですよ!」
ここぞとばかりに普段はしない様付けまでして乗っかってくるテフィル。リーナは笑いをこらえるのに必死だった。
ガバッとユスフィルが振り向く。目の前には自分好みの少年たち。妹がいる手前、本来なら自らの欲望を決してさらけ出すわけにはいかない。だがセレンの最後の一言で、建前は成立した。
「な……ならば仕方ないですね……」
もはや彼女を止める障害は何もなかった。
「フェリエス様の贈り物、謹んで受け取らせていただきます」
セレンに対しゆっくりと頭を下げるユスフィル。下を向いているその表情はすっかり緩んでしまっていた。
「ではどの子にいたしましょう?」
すかさず横に並んだ受付嬢が彼女を促す。
「ここにいる方々はフェリエス様がご用意なされたのよね?」
「はい、もちろん」
「でしたら全てフェリエス様のお気持ち……全員、謹んでお受け取り致します」
妹の目も気にせずユスフィルは言いきった。こうして彼女は期待で胸をいっぱいにしながら、少年たちを引き連れて店の奥へと消えていった。
「……ぶわっはっはっは! 全然謹んでねぇぇぇ!」
見届けたリーナがせきを切ったように、大笑いしながら床を転げ回った。
「それにしてもセレン、よく姉様が実は好き者だってわかったよね」
テフィルも腕を組みながら感心しているようだ。
「だってあなたのお姉さんよ。血は争えないに決まってるじゃない」
はは……とテフィルが渇いた笑いを漏らした。
「だけどこれでお姉さんは、極上の顔と超級の腕を持つ複数人を相手に卒業することになる。私ですら自重した強烈な初体験――決して忘れられないし、逃れることはできないわ」
「ということは……」
テフィルは期待の眼差しでセレンを見据える。
「すっかりハマったお姉さんは二度とあなたの遊びを注意しなくなる!」
「さっすがセレン様ー! 一生ついていきます!」
こうしてテフィルに訪れた危機は無事過ぎ去ったのであった。
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「あのさ……今朝実家から連絡があって……」
数日後、サロンでくつろいでいたセレンにテフィルがおずおずと歩み寄った。
「姉様……『私も都会に行く!』と言って家出しかねないレベルでお父様と大ゲンカしてるそうなんだけど……」
話を聞いたセレンが、まぶたを閉じてふっと息を漏らした。
「やり過ぎたわね」
「どうしてくれんのさぁ!!」
サロン内にテフィルの叫びが虚しく響き渡った。
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