第3話 ようこそムジナ会へ
「またいつでもいらっしゃい」
受付嬢に見送られ、リーナはやや天を仰ぎながら店を出た。先に待っていたセレンが笑顔で彼女の横に歩み寄る。
「お疲れ様、どうだったかしら?」
「…………スゴかった……」
リーナは心ここにあらずといった笑みでお腹をなでた。それを見て並んで歩いていたセレンが足を止める。
「どうやら後悔は全くないようね。だとすると、あなたに伝えないといけないことがあるわ」
「ど、どうしたいきなり改まって?」
先ほどとの温度差に戸惑いながら、何か不味いことをやらかしたのかと焦るリーナ。そんな彼女の目をじっと見つめながら、セレンが口を開いた。
「あなた、沼にハマったわよ」
「へ……?」
予想外の言葉に、拍子抜けした声が漏れた。
「だってその歳で初体験とか普通ありえないからね」
「はぁぁ!? お前がそれを言うのかよ! ってかたった一回だけでそんな」
「たった一回、ですって?」
気迫の籠った眼差しに、リーナは言葉が続かない。
「普通は多少の失敗があるはずの初めてで、スーパー素敵な体験をしちゃったのよ! リーナはそれを、一度きりで忘れられるとでも?」
「うぅ……絶対ムリ……!」
確かにあの天国のような時間を、たった一度しか味わえないなんてもったいなさすぎる。リーナの毎月の小遣いを考えれば、週に何度か通えるのだから尚更だ。
「しかもよりにもよって、この辺りでも最上位の店で卒業しちゃったあなたはもうおしまいよ。結婚するまでお遊びなしじゃ生きていけない。ようこそ、好き者の世界へ!」
「セレンまさか……こうなることを狙って店を紹介したんじゃ……」
笑顔で親指を突き立てていたセレンが、表情を変えずに言い放った。
「公爵家の娘が何の利益もなく他人に親切にすると思って? 積極的な同世代の女の子って少ないから、仲間を増やすチャンスを逃したくなかったのよね」
「悪魔か貴様は……!」
リーナは肩を震わせるが、時すでに遅し。詐欺よりも厄介なセレンの策略にまんまとハメられていたのだった。
「でもね、同じ道を歩んだなら私たちは真の仲間よ。身分の垣根を越えてね」
セレンはまるで容疑者にトドメを刺す刑事のように、リーナの背中に優しく手を回した。
「案内したいところがあるわ、ついてらっしゃい」
「さすがにハシゴは体力が……」
「そういう思考になる時点で手遅れよ」
「ぐはっ!!」
心に矢が突き刺さったリーナを意に介さず、セレンはリラクリカの脇道へと歩を進める。
「人数は少ないけど、私たちみたいにハマっちゃった子たちのコミュニティがあるのよ。その名も『ムジナ会』」
「ムジナ……って何だ?」
ようやく回復したリーナが慌てて後を追った。
「妖怪の名前よ。遠い国のことわざに『同じ穴のムジナ』というのがあってね。一見別なようでも実は同類であることのたとえよ。上級でも下級でも、貴族だろうがそうでなかろうが、私たちは趣味嗜好を同じくする仲間である、という意味を込めてるの」
「へぇ~」
知らない国のモンスターまで知っているのかと、セレンの博識さに溜息をついた。口ぶりからしてそのムジナ会というのも彼女が作ったのだろう。やはり格の違う人間だ。
「それに私たちには同じ『穴』がある」
「ぶっ!?」
発言の落差に思わず吹き出した。
「こ、この流れでそういうこと言うかお前……!」
「『穴』とは欠点の意味よ。あなたは何の『穴』だと思ったのかしら?」
ニヤニヤしながら見下げてくるセレンに対し、リーナの顔が真っ赤に染まる。身分の壁がないなら殴っても構わないよな?
「で、同じ欠点ってのは何なんだよ?」
「あなた現状の自分が欠点のない清廉な人間ですと胸を張って言えるの?」
「ぐうの音も出ねぇ」
引きずり込んだのはセレンだが、足を入れたのは紛れもなく自分自身だ。握りしめた拳を解き、沼の奥底に突き進むかのようにセレンと歩を進める。
「着いたわ」
セレンが立ち止まった先には、看板のない古ぼけた扉があった。建物自体も長屋の一部のようで、貴族が立ち寄るような場所には見えなかった。
「ようこそムジナ会へ」
そう言ってセレンが扉を開くと、中にはカッコイイ大人がお酒を飲んでいそうなバーが広がっていた。
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「うおぉ! 何これ! カッケェ!」
外観からは想像もしなかった造りに、リラクリカ店内とは違う意味で興奮した。
カウンターの天井にはいくつものワイングラスがぶらさがり、奥の壁には見たことのない銘柄の瓶が所狭しと並べられている。イスもテーブルもシックなデザインで統一されており、まさに大人の世界といったところだ。
「マジで映画で見るようなカウンターバーじゃん!」
子供でも入れないわけではないが、大人ばかりの場なので居心地が悪い。リーナ自身もほとんど訪れたことはなかった。
「大人の世界への憧れを表現したの。いわば私たちの理想の秘密基地よ」
バーテンダーは今いないけど、と付け加えた説明を聞いているのかいないのか、リーナは目を輝かせてカウンターのイスに座った。子供用に調整されているのか、高さがちょうどいい。勢いを付けてクルクルと回る。
「ただしお酒は出ないわ」
「えぇー! ここまで再現してるのになんでだよ!」
「子供はただでさえ酔いやすい上、この地で正常な判断力を失うのは致命的よ。もちろん煙草もダメ」
セレンがグラスにジュースを注ぐと、シュッと横に滑らせた。カウンターの上を滑るグラスは、セレンの目の前にピタリと止まる。
「すげー! あたしにもやらせて!」
「いいけど割ったら弁償よ」
公爵なのにケチ臭! と軽口を叩いていると、一人の少女がこちらに近づいてきた。
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