第29話

 さすがの彩也子さんもお盆は帰省すると言うことで、誠陵館は誰もいなくなる。

 あたしも早めに飛行機のチケットを取っておいたこともあって、予定通り、おじいちゃん、おばあちゃんの家に集合して、久しぶりに会う従兄弟とかと近況を話し合ったり、渓流で遊んだりして楽しい時間を過ごすことができた。

 初めて誠陵館に来たときは、部屋に鍵がないことに愕然としたけれど、住めば都と言う言葉もあるとおり、個性的な面々に囲まれながらも寮暮らしは案外楽しいものだとお盆の間に思うようになっていた。

 舞子さんは相変わらず遊びなのか本気なのかわからない調子で迫ってくるし、静音さんは転んだり階段を滑り落ちたりしてはあたしを下敷きにして難を逃れていたりするし、夏輝さんはべたべたしてくるけど。

 そうしたこともお盆の帰省の1週間なくなると思えば帰省が楽しみだったけれど、逆にいつもあることがなければないで物足りない。

 なんだかんだ言ってあの生活に慣れてきて、それが日常になったってことなのかなぁって思った。

 まぁ、あの3人の他に友喜音さんや翔子がいてくれるおかげで何とかなってるって側面もないわけじゃないと思うけど。

 そうして勉強のことも忘れて1週間自堕落な生活を送っていたらあっという間に誠陵館に帰る日がやってきた。

 次におじいちゃんちに帰るのは正月かと思うとちょっと寂しいけれど、逆に1週間勉強もせずにいたことへの焦りもまた芽生えていた。

 夏休み明けには実力テストもある。

 夏休みの間にどれだけレベルアップできたかを測る重要なテストだけに、誠陵館に帰ったら早速勉強を再開しないといけないなと思いつつ、キャリーバッグを引きながら誠陵館に到着する。

 お盆の帰省は3日間と言う予定だと言っていた彩也子さんは、よく晴れた天気の中、布団を干しているところで、あたしに気付くとつっかけをからんからんと鳴らしながら小走りに駆け寄ってきた。

「お帰り、千鶴ちゃん」

「ただいまです、彩也子さん」

 穏和に、ふんわり微笑む彩也子さんを見ると、あぁ、戻ってきたんだなぁって感じる。

「他のみんなはどうなんですか?」

「帰省から戻ってきてるのは舞子ちゃんと静音ちゃんだけよ」

 友喜音さんの話だとこのふたりはあんまり実家に寄りつかないと言うことだったから、彩也子さんがいない間だけ帰省して、彩也子さんが戻ってくるタイミングでここに戻ってきたんだろうと想像がついた。

 今の布団で最後だったのか、キャリーバッグを引きながら玄関に向かったあたしの隣を彩也子さんも歩いていく。

 玄関を開けて中に入ると彩也子さんが言った。

「舞子ちゃーん、静音ちゃーん、千鶴ちゃんが帰ってきたわよー」

 まるで初めてここに来たときのようだと思いつつ、靴を脱いで上がると暑がりの舞子さんは101号室の扉を少し開けて、顔だけ出してから『帰ったかー』と言ってそのまま扉を閉めてしまった。

 相変わらず暑いのに弱くてエアコンのある彩也子さんの部屋から出てこようとしない。

 階段を上がろうとしたときに、階段の上に静音さんの姿が見えた。

「お帰り、千鶴」

「ただいま、静音さん。……って下りなくていいから!」

 階段を降りようと足を踏み出した静音さんを制止するも、静音さんはそんなことはお構いなしに階段を下りてくる。

 ……途端、つるりと足を滑らせて静音さんはお尻を階段に打ち付けながら転がり落ちてきた。

「あーもうっ、言わんこっちゃない!」

 降りようとしていたときから予想してたからキャリーバッグから手を離して、落ちてくる静音さんを何とか受け止める。

 すると顔にふにょんとした柔らかいものが当たってるのがわかった。

 もう誠陵館に来てから4ヶ月余り。

 これが静音さんの胸だとわかったあたしは冷静に静音さんの両肩を掴んで離れる。

「大丈夫?」

「千鶴が受け止めてくれたから平気」

「ならよかった」

 相変わらずのドジっぷりだと思っていると、静音さんは両肩を掴んでいたあたしの手を取って離すとそのまま抱きついてきた。

「千鶴がいなくてつまらなかった」

「ほ、ほれはほうも」

 彩也子さんや舞子さんには及ばないものの、平均的な高校2年生よりは大きい胸の中に顔を埋められてわたわたする。

「1週間もいなかった罰として千鶴はこれから1週間わたしと一緒に寝ること」

「ぷはっ! なんでそうなるの!?」

 何とか胸から顔を離して尋ねると不思議そうな顔をされた。

「わたしは千鶴が好き。だから千鶴成分が補給できなかった。1週間分を取り戻すのに1週間じゃ足りないけど我慢する」

「いやいやいやいや! 我慢とかそういう問題じゃないから!」

「なんで?」

「なんでって言われても……」

 いつぞやの寝惚けた静音さんのことを思い出す。

 あのときは焦ってわからなかったけれど、思い返せば寝惚けてたときの静音さんはとても色っぽかった。

 一緒に寝て、また寝惚けて抱き締められたり、色っぽく迫られたりしたらドキドキしてとてもじゃないけど満足に寝られそうにない。

 ただでさえエアコンがなくて暑い部屋で寝苦しいと言うのに、一緒になんか寝たら余計暑いだろうし、色っぽく迫られるかもしれないと思うとドキドキしてさらに眠れなくなりそうだ。

 モデルをしていたくらいの美少女なのだから、静音さんにはその辺の自覚をもっと持ってもらいたい。

「千鶴はわたしと一緒に寝るのがイヤ?」

「イヤとかじゃなくて暑いでしょ」

「じゃぁ彩也子さんの部屋で寝る?」

「いくらなんでも彩也子さんの部屋に4人は入らないよ!」

「じゃぁどうすれば千鶴成分を補給してくれるの?」

 じっと感情の窺えない瞳で見つめられて言葉に詰まる。

「……うーん、一緒に寝る以外だったら一緒に勉強するとか?」

「勉強だけ?」

「まだ足りないの!?」

「当然。1週間分を取り戻すのは容易じゃない」

「じゃぁお風呂!」

「もう一声」

「ご飯のときも隣に座ってあげるからー」

「なら夏休みが終わるまでずっとそれで」

「長くない!?」

「千鶴はわがまま」

「わがままなのは静音さんのほうだよ!?」

「じゃぁ1週間で我慢する。その代わり、お風呂で洗いっこしよう?」

「それくらいなら……」

 静音さんだから夏輝さんみたくスキンシップ過多にはならないだろう。

「じゃぁそれで決まり」

 そう言っていつもは見せない淡い笑みを静音さんは見せてくれた。

 慕ってくれる方向性が間違ってる気がしないでもないけど、たまにこうして見せてくれる小さな笑顔がしょうがないなぁって気にさせられる。

 美少女は得だ。

 でもなんだかこういうことがあると、『誠陵館に戻ってきたんだなぁ』って気持ちになる。

 まだ舞子さんと静音さんしか戻ってきてないけれど、そのうち翔子や友喜音さん、夏輝さんも戻ってきてお盆前の賑やかさが戻ってくるんだと思うとなんかそれも悪くないと思えた。

 この4ヶ月余りでかなり馴染んだと言うか毒されたと言うか……。

 自然と苦笑いが浮かんできて、それを見た静音さんが不思議そうな顔であたしを見てきた。

「何でもないよ。さて、あたしは荷解きしてから勉強しようっと」

「あ、お布団は干してるからね。あと、洗濯物があったら脱衣所の籠に入れておいてちょうだい」

「はい、わかりました」

 いつもながらにかいがいしい彩也子さんの言葉を背中に受けながら、あたしは階段を上って誠陵館での自室である204号室に向かった。

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