琥珀の月が満ちるまで

雪乃

琥珀の月が満ちるまで

序章 異邦人

序ー1

 ふと目を覚ますと、視界に入ってきたのは三人の見知らぬ男たちの顔だった。

 上から覗き込むように、それぞれ銀色、空色、緑色という三色の瞳が、じっと自分を見おろしていた。

 どうやら自分はベッドの中に居るらしい。身体を包み込んでいるふかふかの布団が気持ちよかった。


 一瞬、これはまだ夢の中なのかと思う。

 自分の周りに居るはずのない、きらびやかな色彩溢れる人たち。

 ずっと日本で住んでいる自分にとっては、髪や瞳がこんなに明るくカラフルな相手を間近で見ることは少ない。


「なんで、外国人が私の部屋にいるの……」

 思わずぽつりと呟くと、男たちの目が鋭く細められた。


「やっぱり! こいつもか!」

 空色の目をした青年が、吐き捨てるように叫ぶ。そうして腰に帯びた剣を抜き放つのが見えた。


 え……。剣? 何で? 銃刀法違反じゃない? というか、コスプレ?


 目に飛び込んできた物騒な代物に、思わず朱里シュリは逃げるように起き上がった。

 しかし、恐怖よりも興味の方が勝ったのか、そのままベッドからは降りず、まじまじと三人を見やる。

 よくよく見てみれば、男たちはゲームや外国のファンタジー映画などでよく見るような、時代がかったちょっと凝ったつくりの服装をしている。あの剣も、とうてい本物とは思えなかった。


「なんでよりにもよって、こいつまで!」

 怒りに染まった空色の瞳は、その眼光だけで人を射殺せるんじゃないかと思う。

 その瞬間、ひんやりと冷たいが首元に触れて、朱里は息をのんだ。

 先ほど抜かれた細い剣が、すぐ目の前にあった。その鋭い冷たさに、押し付けられた刃がレプリカなどではなく本物なのだと悟る。

 そして ―― これは夢ではなく、現実なのだと。


 これまでの夢うつつな意識は吹き飛んで、しっかりと覚醒した朱里は、自分が置かれている状況を把握しようと必死に記憶を振り返った。

 さっきまで、自分は図書館でゼミの発表用のレジュメを作っていたはずだった。

 このところ寝不足で、資料を読みながら何度か寝落ちしそうになったことは覚えている。

 ということは、そのあと睡魔に負けて眠ってしまった自分は、この外国人のコスプレイヤーたちに拉致されたってことだろうか?


「 ―― っ」

 そう考えて、思わず顔が引きつった。いくら目の前の男たちの顔が良くても、そんなことをする犯罪者は願い下げだ。

 何が目的かはわからないけれど、どうにか逃げなければ。

 そう思いつつも、押し付けられた刃の冷たい気配に動けない。

 だからといってこのまま屈するのも嫌で、朱里は剣を突き付ける空色の瞳の青年を思い切り睨みつけた。


「なんだよっ、その目。睨みたいのはこっちだ!」

 すでに睨んでいるくせに、青年はさらに怒気を深めたようにそう怒鳴る。その剣幕に、思わず朱里は首をすくめた。


「やめなさい、ディアス。それはアシュリーの身体です。少しでも傷を付けたら、あなたでも許しません」

 先ほど朱里を見おろしていた三色の瞳のうち緑色の持ち主が、剣を持つ青年を制するように見やる。

 黄金のように煌めく金色の髪と深い森のような緑色の瞳の青年。初めて見るはずなのに、何故か自分がよく知っている人のような既視感を覚えて、朱里は困惑した。

 それに ――

(ディアス……アシュリー?)

 先ほどから飛び交う名前も、自分はよく知っている。


「リヴァー! けどこいつは……」

「中身が何だとしても、身体はアシュリーなんです」

 有無を言わせぬ強い声。しかし丁寧な言葉とは裏腹に、燃えるような怒りに満ちた眼光が、こちらに降り注いでいた。


 どうして自分がこんな風に怒りをぶつけられているのか。さっぱり分からない。言っている言葉の内容も不可解だ。

 けれど、分かったことはひとつあった。

 それは ―― 彼らが何のをしているのかという事。


 ディアス。アシュリー。リヴァー。この三つの名前が出てくるものを、朱里は良く知っている。

 大好きな「水底のレイラ」というファンタジー小説に出てくる、主要な登場人物たちの名前。

 文章でしか読んだことがないとはいえ、彼らの容貌は朱里が持っていたイメージにも似通っているし、ディアスと呼ばれた青年も、リヴァーと呼ばれた青年も、髪や瞳の色と名前は合致している。


 ということは、この部屋に居るもう一人。

 闇を溶かしたような長い黒髪をひとつにまとめ、夜空に浮かぶ月のような銀の瞳をした青年。

 他の二人のように怒るでもなく、ただ何かを見極めようとするように、じっとこちらを見つめているあの人は ―― 。


「ユディファル・ヴィレ・アルデリア……」

 作中屈指の人気を誇る「水底のレイラ」の主人公ヒロインの相手役。朱里もいち推しだった男主人公だ。


「……俺を、知っているのか?」

 朱里がその名を呼んだことに、青年は驚いたように目を見開いた。他の二人も、信じられないとばかりに視線を向ける。

のことは知らないけど、あなたがのことは分かるよ」

 とりあえず、朱里は当たり障りのない返答をかえす。

 自分がどうして拉致されたのかは分からないけれど、他の二人よりはこの人の方が話ができるのではないかと思った。


「扮する? 何のことだ」

 青年はいぶかし気に眉をひそめた。心底わからないと言わんばかりの態度に、朱里は思わずため息をついた。

 さっきからこの男たちはになりきっている。呼び合う名前もそうだし、会話だって普通じゃない。

 だからといって、自分がその茶番に付き合う義理はない。そう、言おうと思ったのに。


「 ―― なに、これ?」

 朱里は何気なく向けた視線の先に在るに、茫然と呟いた。

 自分が右手を口元に持っていけば、それも同じように動く。首を傾げれば、同じく。

 誰がどう見ても、あれは鏡だ。

 でも ―― そんなはずはない。朱里は身震いするように手を握り締めた。


 鏡と思わしき物に映るその姿。緩やかに伸びた蜂蜜色の髪も。雪のように真っ白な肌も。人形のように愛らしいその容貌も。けっしてのものではない。

 恐る恐る肩からこぼれおちた己の髪を掬い上げてみても、鏡に映ると同じ。


「な、んで……どういうことなの!?」

 いま、自分の姿があの鏡に映るモノなのだと理解して、朱里は混乱したように呟いた。

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