無念

「嫌いだ」


 僕ははっきりと彼女にそう告げた。たとえ今こうして一緒に過ごす時間が心地良いものだとしても、僕が他人の存在を許容することとはイコールにならない。ここでもし僕が彼女の存在を受け入れてしまったら、きっとその時に僕の世界は終わる。


「———そう」


 彼女はそう言って目を伏せた。


「会ったときから言っているけどここは僕の心の世界なんだ。僕の心に居ていいのは僕だけだ」

「違うよ、ここは私の世界だよ」

「まだ言うの?」


 その時、世界が色を変えた。


「え?」


 違和感にはすぐ気づいた。飽きるほど見ていた夕日のオレンジ色が大気から失せている。代わりに不安を煽るような薄暗い闇が世界を包んでいた。つまり、夕日が沈んで夜が訪れたということ。ずっとこの世界で過ごしていて、こんなことは初めてだった。


「来た………」


 それまでベンチに座っていた彼女がおもむろに立ち上がり、何かを憂うような顔で遠くを見つめる。


「来たって、何が?」

「世界の終り」

「え?」


 彼女がそう言った次の瞬間、空がひび割れた。同時に地面が激しく揺れ、細かく剥がれた大地が引力に従うように次々と空に吸い込まれていく。一言で言うなら、天変地異。


「な、なんだ!?どうなってる!?」

「———さとる


 状況が呑み込めず混乱する自分とは対照的に、クオンはいつも通りの落ち着いた声で語りかけた。


「なんだよ?というかなんでそんなに落ち着いてるんだよ君!」

「すぐに帰って。もうこの世界は終わる。元々この世界にいなかった貴方まで巻き込まれることはないよ」

「はあ?」

「誰もいない世界でただ終わりを待っていた私だけど、最後に貴方と過ごせてよかった。ありがとう」

「だからクオン、何を—――」


 その時、視界が完全な闇に覆われた。


***


「ッ!?」


 我に返った。ヘッドマウントディスプレイの重量のせいか僅かに頭に不快感を覚える。一旦それを外して机の上に置き、つけっぱなしになっているパソコンのモニターで時間を確認した。間違いなく昼間に見た日付で、いまは夜だ。


「………夢でも見ていたのか?」


 気を取り直すように机に置いていたペットボトルの水を一気に飲み干すと、僕はもう一度ヘッドマウントディスプレイを装着して【Maritozzoマリトッツォ】を起動した。


***


「………どこだ、ここ?」


 僕を出迎えたのは沈まない夕日でも水に沈んだ線路でも廃駅のホームでもない、現実世界の自室にもよく似た狭い部屋だった。違いと言えば窓も出入り口もそこにはなく、完全な閉鎖空間であるということ。まるで即身仏を行う僧侶が籠もるという石室のようだ。


「クオン?」


 そしてそこには見慣れた少女の姿もない。最初からそこにいなかったかのように。

 

 ―――いや、最初からいなかったんだ。

 ———あの世界は、僕の心象風景なんかじゃなかった。

 ———あそこは本当に、クオンの世界だったんだ。


 果たして本当に実在する世界だったのか、どういう理屈で【Maritozzo】が僕をあの世界に繋いでくれていたのかは定かではないが、どうやら僕はずっと


「ふ、ふふ………はははっ………」


 僕は笑った。笑うしかなかった。あの広く美しい終末の世界を自分の心の投影だと思い込んでいたこと。実際の自分の心はこんなに狭くて薄暗く、卑屈な自分にこれ以上なく相応しい。

 そして何より、彼女がもういないことに寂しさを覚えている自分が滑稽で仕方なかった。


「はははは、ハハハッ、ハハハハハハハ……」


 ———これで良かったんだよ。

 ———これが真実の世界だ。

 ———僕が望んでいた孤独な世界は、ここに在るんだ。


 この狭い世界で、僕はずっと一人だ。

 きっとこれからも。

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