第27話 お礼の話 5

「それで?」


 ソフィアの含み笑いに気付いたのか、ライトは気まずそうに声に力を込める。人形に何か言われたのか。


 憮然とした顔で前抱きの人形を見つめ、それからソフィアから隠すように再び横抱きにしてしまった。


「それで、その事故にまつわる誰かの霊と話したかった、ってこと?」


 ライトに促され、ソフィアは慌ててうなずく。そうだ、その話をしようと思ったのに、だいぶん脱線した。ソフィアは改めて背中に力を入れ、上体を伸ばした。


「私は歩道を歩いていたんですが、対向してきた車がぶつかってきて……。地面になぎ倒されたんです。ちょうどその時、車の前輪となぎ倒したガードレールで、私の足は地面に挟まれました」


 聞いた途端、アンリは天井を仰ぎ、ライトも口をへの字に曲げた。二人の様子を見てソフィアは苦笑いしたものの、話を続ける。


「でも私は運がよかった。両脚はちぎれる寸前でしたが、ちぎれなかった。かろうじて圧迫されたままになったんです。おかげで、大量出血で即死、という状況を免れました」


 そう。

 事故直後は、ソフィアの脚は体についていた。正確には、脚と脚の間にガードレールが挟まり、「切断」というより、「押し切る寸前」となっていたのだ。


 挫滅症候群にも、大量出血による失血死にもならなかったのは、ひとえに、現場で作業をした救急救命士たちの判断がよかったこともあると思う。おまけに、病院への搬入もスムーズだったと聞いた。


「脚は失いましたが、命は助かったのですから」

 ソフィアはふたりに笑いかける。


「私は運がよかったのです」


 ソフィアは再度そう言ってから、ライトを見る。

 彼の黒曜石のような瞳は、澄んで、穏やかだ。その質感は清涼な水を思わせる。見つめるものの心を静め、そして自分が清浄になるような気がした。


「ですが、車の運転をしていた、サイモン・キーンは亡くなりました」

 ソフィアは膝の上でゆるく拳を丸め、囁くように言う。


「運の良し悪しでいえば、彼は悪かったのです」


「衝突直後に死んだ、ってこと? ってか、自動運転にしてなかったんだね」

 アンリが静かにソフィアに尋ねる。ソフィアは頷いた。


「彼は、百貨店のバイヤーでした。その日、自分が携わる催事のことで、あの時間まで打ち合わせをしていたそうです。ようやく家に帰ろうとした矢先、社長から急ぎ尋ねたいことがあるから、本社に来てくれ、と言われ、あの車を選んだそうです」


 ソフィアは、重い呼気を吐く。


「いつも乗っている車は、他の社員が乗って出てしまい……。そのまま、帰着してしまったそうで。彼は、乗りなれない、自動運転装置のない車で社長のところに向かったそうです」


「事故現場は、複雑な交差点だったのか?」

 アンリは太く男らしい眉を寄せた。


「自動運転装置がついていない、とはいえ……。それだけで、歩行者に突っ込む?」

「また間の悪いことに、彼は体調を崩していたそうです」


 ソフィアは、膝の上に乗せた手の指を組む。マニキュアも塗られていないその指は、あのサイモン・キーンの妻だという女の手より、随分と幼く見えた。


「彼の妻が言うには、サイモンは、事故の数日前から風邪症状を訴え、市販薬を買って飲んでいたそうです。それが、どうも、眠気の強い薬だそうで……」


「まさか、居眠り?」

 アンリが目を見開く。ソフィアは深い息を吐いて肯定する。


「検死解剖の結果と、ドライブレコーダーの映像。それから、ブレーキ痕なくぶつかってきている状況を見て、事故直後は、『眠っていた』のではないか、と警察は判断をしました」

 ソフィアは組んでいた指をほどき、額に落ちかかる前髪をかき上げた。


「彼の血液の中には、適正量以上の濃度でその市販薬が含まれていた、と説明を受けました。薬を飲んで社長のところに向かう様子も百貨店の防犯カメラに写っていたそうです。奥さんが言うには、『社長に会うために、万全を期したかったのだろう』と」


「……奥さんが、そう言ったの?」 

 ライトがいぶかし気にソフィアに尋ねた。ソフィアはその視線をゆらりと躱し、そっとほほ笑む。


「奥さんの枕元にサイモン・キーンの幽霊が立つのだそうです。それで、私に対する詫び言と、当日の自分の軽率な行動を悔やんでいるそうで……」


「それを、君に言って聞かせるの?」

 さらりとしたライトの声が鼓膜を撫でる。ソフィアは彼に顔を向けた。


「サイモンは悔いている、サイモンは貴女に謝っている、サイモンは……」


「そのサイモンが、君の傍にもいる、って?」

 幾度となく聞かされたサイモン・キーンの妻の繰り言を、途中で断ち、ライトは切り返した。


「その妻が言うんだ、君に」

「……ええ」


 ソフィアは彼の目をまっすぐにみつめて返事をした。


「だからもし、私の傍に彼が本当にいるのなら、伝えてほしいのです。ライト」

 ソフィアは上体をねじり、彼と向かい合った。


「私はあなたのことを恨んでもいないし、憎んでもいない。お互い不幸な事故に見舞われただけだから、どうか、あなたの行くべきところに、行ってください、って」


 ソフィアの言葉は熱を帯びる。それは視線もそうだ。


 ライトは、なんというだろう。

 ソフィアは今まで、幾人もの自称霊能両者や、異能者たちに伝えてきた。『サイモン・キーンが見える』という人間に。


 伝えてほしい、と訴えた。


『これはお互い不幸な事故だったのだ。だから、私はあなたに対して恨みのような感情を抱いていない。あなたも私に執着などせず、行くべきところに行ってほしい』


 自称霊能力者たちは、鷹揚にうなずき、そしてソフィアの背後に向かってそう言うのだが……。


『サイモンは、枕元に立って言うの。あなたに、今日もお詫びをしていたわ』


 会うたびに、サイモン・キーンの妻はそう言ってむせび泣いた。


 サイモン・キーンは。

 まだ、自分の近くにいる。離れない。


 ソフィアは彼女の涙を見るたび、陰鬱な気持ちになるのだ。


 そして。

 陰鬱な気持ちになる、自分に嫌気がさす。


 最愛の夫がある日突然、事故死したのだ。


 悲嘆にくれるのは当然だろうし、加害家族として、被害者であるソフィアに毎月謝りに来ることが、彼女にとってどれほど心理的負担となっていることだろう。


『謝罪はもう、結構ですよ』

 ソフィアはそう伝えたのだが、サイモンの妻は納得しなかった。


『サイモン・キーンの言葉を、あなたに伝えなくては……』

 そう言って、彼の月命日にいつもやって来るのだ。


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