第26話 お礼の話 4

「君は、人間以外の存在から、何かを聞きたい、と思っていたんだろう?」


 ライトに促され、ソフィアは口端を上げてみせた。この顔は、笑い顔に見えているだろうか。


「彼女に、じゃないけどね」


 できるだけ軽い口調で。砕けた様子で言ってみせる。

 それを、期待されていると思うから。ライトと、アンリに。


「私、二十歳の時に事故に遭ったの。今から四年前ね」


 ソフィアはそう言って自分の両ひざを撫でた。その動きに応じて、空洞のスラックスが揺れる。まるで、熱帯魚のひれのようだ。


「夜道を歩いていたら、乗用車がつっこんできて。それで」

 ソフィアは肩を竦めて、わざと語尾をぼかした。


「それで、両脚をなくしたのか?」


 アンリが気の毒そうに眉根を下げた。とび色の瞳が、悲しみに曇るのを見て、ソフィアは慌てた。


 同情してほしいわけじゃない。話の都合上、知ってほしかったから語っただけなのだ。


「そんなにきれいなんだ。事故に遭わなければ……」

 アンリはまるで悔やみを言うようにソフィアに告げる。


 ソフィアは、口端を上げたまま、動きを止めた。

 事故に遭わなければ、なんだ、というのだ。


『あの日、駅まで歩いていかなければ……』

 父も母も。弟たちもそう言ってうつむいたり、顔を反らせたりする。


 何も親兄弟だけじゃない。

 友人たちもそうだ。


 それまでの友人たちは、やれ「彼氏ができた」「彼氏と別れた」「好きな人ができた」「気になる男がいるけど、どう思うか」とソフィアに相談や愚痴やのろけを吐き続けていたのに。


 事故以降。

 そして、ソフィアが脚を失って以降、全くその手の話題を口にしなくなってしまった。


 会えば、事故前のように近況を報告し、会社の上司の悪口を言い、今度手掛けるプロジェクトについて、ほんの少し誇らしげに、語る友人たちは。


 だが、自分の恋愛模様については、一切口を閉ざした。


『彼氏とはどうなの? そろそろ結婚とか?』


 ソフィアが水を向けると、あいまいに言葉を濁し、そして話題を変えるのだ。


 まるで、ソフィアには、今後そういった話がないだろうから、気を遣っているのだ、と言わんばかりに。


 そんな友人たちや家族を見て、「脚を失ったから、といってなんだというのだ」と、ソフィアは思っていた。それは強がりでも何でもなく、本当にそう信じていた。


 事故直後。

 ケインは、生きていてくれただけで嬉しい、と泣いていたが、そんなことを言い含められなくても、ソフィア自身、実感していた。


 あの日。

 病室で瞳を開き、息をした。

 大怪我をし、障がいを得たものの、生きていることに感謝していたのだ。


 ソフィアは、「自分がまだこの世界に残された意味は何だろう」と神に尋ねたほどだ。「その使命を果たせるよう、頑張ります」と病院聖職者チャプレンに告げたほどだった。


 今は筋電義肢も進化していると聞いたし、それを嵌めてリハビリを頑張ろう。

 大学を卒業したら、障がい者雇用枠を使って、キャリアを積もう。

 ケインも支えてくれる、と言ってくれている。そのうち、きっと結婚だってするだろう。自分の身の回りのことだけではなく、こどもの世話もできるように、社会資源も活用しなくては。


 そんな風に、未来を思い描いていた。


 前向きに生きる自分を周囲に見せることによって、今は泣いている両親も、いつか「あの時は大変だったわね」と笑ってくれるに違いない。暗い顔しか見せない友人も、「幸せそうでなによりね」と肩を叩いてくれるだろう。ケインだってそうだ。「君をパートナーに選んでぼくは誇らしいよ」。そう言って胸が張れるように頑張ろう。


 そう。

 思っていた。


 だが。

 ソフィアに、与えられたはそうではなかった。


『あの事故にさえ遭わなければ、今頃恋人もいたでしょうに』


 そうやって泣く母を慰める〝足のない娘〟を演じることが求められた。


『ごめん、やっぱり俺、無理だわ。だって、君が努力しないんだもん』

 彼が期待する〝普通に見える障がい者〟にはなれなかった。


『サイモンはきっと悔やんでいます。私の枕元で、いつも暗い顔をして立っているのですから』


 そうやって悲嘆にくれる加害者家族に寄り添う〝寛大な被害者〟を演じることが求められた。


『足がないと不便だよね』『あ。これ、できないでしょ? こっちでやっておくから、心配しないで』


 友人たちからは〝なにもできない不幸な障がい者〟を演じることが求められた。


 気づけば。

 ソフィアは、両足を失うと同時に〝自分の役割〟を失ってしまった。


 なにを望み、なにを感じ、なにが欲しいのかわからない。


 価値基準は〝他人〟だった。

 他人が求める〝自分〟を、演じ続けることばかりを。

 ソフィアは、求められた。


「事故に遭う前の君を知らないけど」 

 ごほり、と小さい咳払いの音で、ソフィアは我に返る。


 こわばった笑みを浮かべたままアンリを凝視していたが、すぐ隣のライトを、彼女は見上げた。


 ライトは人形を左ひじに抱えたまま、まじめな顔でソフィアの瞳を見返す。


「今の君は、十分きれいだけどね」


 生真面目で、断言口調で。

 明確な発音で目もそらさずにそう言われたら。


 ソフィアはなんとなく、呆気に取られて、ゆっくりとまばたきを三度した。


 一度目にしたまばたきでは、まだライトは自分を真正面から見つめていた。

 二度目のまばたきでは、なんだか不審そうに眉根を寄せたライトがいた。

 三度目のまばたき後、とうとう彼は、自分がなにか変なことを言い、彼女の気分を害したのかもしれない、と思ったようだ。


「魅力的だとも思う」


 腰をかがめ、視線をソフィアに同じにすると、力強く断言した。


 その顔に。

 目力の強さに。

 潔さに。


「あ……、ありがとう、ござい、ます」


 ソフィアは圧されるように礼を口にした。そんなソフィアの態度に、ライトはほっとして、息をつくが、二人の様子を見ていたアンリは、「なぁんだ」とからかいをにじませた声を発する。


「ふたり、ってそういう関係なの? ソフィアさんは、俺と同じで何か、怪異体験を相談に来てるんだと思ってたけど」


 その言葉に弾かれるように、ソフィアとライトは彼に顔を向ける。人を食ったような笑みを浮かべたアンリは、厚い口唇を三日月にかたどり、にやりと笑って見せる。


「ふたり、つきあってるんだ」

「つきあってない」


 音程を外した声でライトは断じた。人形を腹の前で改めて抱えなおし、焦ったように首を振る。


「ぼくは持衰じさいじゃないが、似たような存在だ。身を清め、女を近づけてはならない。それに……、その……、だいたい、こんな胡散臭い男」

 ライトは眉根を寄せた顔で、ソフィアを一瞥した。


「あちらにも、失礼だろう」


 小声で、口早に言うライトは、心底そう思っているようだ。咎めるように、アンリを睨む。


 彼はソフィアにではなく、アンリにだけ顔を向けているが、上体を動かした関係で、前抱きにしている人形の首が、うつむいた。


 拍子に瞼が閉じる。顔を上げてその様子を見ていたソフィアには、人形がため息ついてうなだれたように見え、くすりと笑い声を立てた。

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