第25話 お礼の話 3
「やっぱりな……」
アンリが盛大にため息をつき、乱雑にタブレットを取り上げた。またポケットにつっこみながら、首を横に振った。
「なんだってんだ、本当に……」
「昨日、君の所には彼女は現れていないんだね?」
ライトは背を伸ばしながらアンリに尋ねる。アンリは前髪を掻き上げながら、困惑したように瞳を揺らした。
「だから、てっきり貴方が彼女を退治してくれたのか、と……」
そう言って、その表情のままソフィアを見た。
「昼食時にライトさんが厨房にやってきて、昨日、君の所に彼女が来た、と聞いた時は、だから本当に驚いたんだ。どういうことだ、って」
「そんなの、私が聞きたい」
ソフィアは咄嗟に言い返す。
「彼女、なにか言ってた? おれのこととか」
勢い込んでから、アンリは口をつぐむ。どうしたのか、と目をまたたかせる前で、アンリは肩を落として、苦笑いをして見せる。
「ほら……。一方的におれの悪口でも言ったのかな、と思って」
「いえ。そんなことはなかったですよ。というか、話してはなかったけど……」
「話してはなかった、けど?」
アンリが身を乗り出すが、ソフィアは改めて気づいた。ライトを見上げる。
「それより、どうして彼女は私のところに来たの?」
その問いに対し、アンリは不安気に首を横に振るだけで何も言わない。ソフィアはライトを見上げた。ライトは彼女の視線を受け、ほんの少し首を右に傾ける。
「いろんな条件が重なったんだと思う」
ライトは「あくまで推測だけど」と前置きをした後、ソフィアに向かって話し出した。
「この艦は特別だ。怪異が表出しやすいし、条件的にも良いんだと思う。さっきも言ったろう? 人工の灯りは、『日の光』じゃない」
ライトに言われ、ソフィアはおずおずと頷いた。
「怪異を退けられない、ってこと?」
ライトはうなずく。
「そうだね」
微笑んだ。その瞳に宿る室内灯も、人工のものだ。
「君は本来、体質的に怪異に遭遇しにくい体質なんだと思う。なんというか……。体内の電子伝達体が変わっている、というか……。いや、これはぼくの勝手な見解なんだけど。怪異や霊の存在を感じにくい人って、いてさ。君、そんな人たちとすごく雰囲気が似ているんだ」
ライトは、顎を摘まんで小首を傾げ、言葉を探しているが、自分でも明確に説明しにくいらしい。
「ただ、君は『怪異を見たい』という気持ちが強すぎる。チャンネルが開いているんだ。それなのに、まったく受信できない状態で……」
ライトはそこで、ちらりとアンリを見やる。
「怪異にもいろんな原因がある。気象や地形、場所によって生じる怪異もあれば、その空間に焼き付いてしまった人の意識が再生され続ける場合もある。また、生きている人間のように、なんらかの意志を持って、自分の感情や思考を訴える場合も」
ライトの言葉は、ソフィアの記憶を刺激した。
『サイモンは今でも私の枕元に立つんです。責任感の強い人でしたから、今でもきっと悔やんでるんだと思います』
そう言って泣くのは、ソフィアの脚を切断するきっかけを作った、サイモン・キーンの妻だった。
まだ、三十代前半だったと思うが、憔悴しきったその風貌は、時折実年齢よりもっと上に見えた。
その彼女は繰り返し言うのだ。
サイモンの魂は、今でも、ここにいて、そして訴えているのだ、と。
『サイモンは貴女に謝っている』『サイモンは悔いている』『サイモンは泣いていた』
サイモンの妻はソフィアに会うたびにそう言い、嗚咽を漏らす。
『彼は、天国にも行けず、貴女の傍で謝り続けている』と。
だからソフィアは彼女の背を撫で、慰めるしか無かった。彼女の夫は、あの事故で命を失ったのだ。その心の傷はソフィアには想像が出来ない。
そう。
ソフィアはあの事故以降、なんだか『人らしい』感情を脚と一緒に失ってしまったのだから。
『もう泣かないで』『サイモンは貴女にとって素晴らしい夫だったんですね』『彼も生きていれば、貴女に会いたかったことでしょう』
ソフィアはサイモンの妻をそう労りながら、心の中では冷静だった。
泣いている女をただただ、ソフィアは無表情に眺めている気分だ。外見上は眉を下げ、目に涙を浮かべてサイモンの妻を励ましているように見えただろうが。
ソフィアは、無感動に、自動的に求められる人物像を演じたに過ぎない。
それが、人間的かと言われれば。
ソフィアは、違う、と思っている。
――― あの事故以来、私は変だ。
相手が期待する人物像を演じることはできても、自分自身が何をどう思っているのかがわかりにくくなってしまった。
食べたいもの、飲みたいもの、着たい服、身につけたいと思うアクセサリー。そんなものが、曖昧になってしまった。
食事は空腹を満たせれば問題ない。服は制服でかまわない。装飾品は、年相応で服装規定に抵触しなければそれでいい。
本社からこの艦に異動命令が出たのも、本当は断らせたかったからかも知れない、と最近になってソフィアは思うようになった。
ソフィアは、障がい者雇用枠でこの会社に入社した。以降二年が経過している。国からの援助金は停止されるはずだ。
企業にとって、障がい者を雇用する目的のひとつに、『国からの援助金』があげられる。もちろん、社会参画事業としての面も持ち合わせているだろうが、給料の半額を国が負担してくれるというのは、企業としては関心の高いところだろう。正規職員の半額の人件費で、ひとり雇えることになるのだから。
だが、その補助期間は、無限ではない。
二年だ。
ちょうど、今年、ソフィアの援助金は打ち切られる。
あとは、ソフィアの給料を企業が全額出さなければならない。
あの時は、「命じられた」から「来た」のだが。
その裏には、「異動を断り、退社する」ことを期待されたのではないだろうか。
企業からすれば、補助金が打ち切られれば、その障がい者を解雇し、新たにまた、障がい者を雇用する方がいいのだ。
なにしろまた、国がその人間の給料を半額負担してくれる。
そんなことに気づかず、ただ〝異動を唯々諾々と実行する〟ことが自分の〝役割〟だと思っていたが。
――― 違っていたのかもしれない。
ソフィアはふと、そう思った。
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