第24話 お礼の話 2

「ライトさんから聞きました。いや、本当にすみません」

「彼が来てくれなきゃ、私……」


 そこまで言い、ソフィアは足音に気づく。視線を横に移動させると人形の顔が真正面に来た。ライトが隣に立った加減で、彼が腕に抱えた人形と視線が同じになったようだ。


 だが。

 人形が見ているのはソフィアではない。


 ソフィアは、ふふ、と小さく笑った。


 というのも、人形の瞳が向かう先を追うと、ソフィアの膝の上に乗る小箱にたどり着いたからだ。


「これ、お礼なの」


 ソフィアは両手でラッピングした商品を持ち上げる。人形に向かって「はい」と差し出すと、ライトが苦笑を漏らした。


「セイラが催促したみたいで申し訳ない」


 ライトは東洋人らしく頭を下げる。ソフィアは朗らかに笑い、そんな彼に向かって小箱を差し出した。


「喜んでくれたら嬉しいな。マシロちゃんの分もあるから、セイラだけ独占……」


 しないでね、といいかけて口をつぐんだのは、アンリの姿を目でとらえたからだ。


 訝しそうに。気味悪そうに。理解不能の顔で。

 アンリは、ソフィアとライトを見ている。


――― ……私も昨日はあんな顔だったのかな。


 思わず顔をしかめた。たった一日で〝あちら側〟から〝こちら側〟になじんでしまったようだ。


「ダメだ。今は開けない。我慢しろ」


 ソフィアから商品を受け取ったライトは、小声でそんなことを言い、机に歩み寄っている。


 多分、人形が、箱を開けろ、中身を見せろ、と、せがんでいるに違いない。アンリは更に頬をひくつかせて、自分に近づいてくる異能者を見ていた。


「で。持ってきてくれた?」

 小箱を丁寧に机の上に置くと、ライトは人形を左腕に抱えたままアンリをみやる。


「あ……。ああ、ええ!」


 アンリは夢から醒めたように頷いた。それでも幾分目の色に薄気味悪さを漂わせ、彼は腰を浮かせる。


「なんですか?」


 ソフィアもジョイスティックで車いすを操作しながら、机に近づく。


 ライトが身を開いて彼女のために場所を空けた。これではまるで割り込んだようだ、とソフィアはためらったのだが、ライトに目配せをされて、椅子に座ったアンリの隣で車いすを停止させる。気づけば自分の右脇にライトは立っていた。


「これ、なんですけど」


 アンリが取り出したのは、尻ポケットにいれていたタブレットだ。通信装置なのだろうか、とソフィアは目を丸くしたが、アンリは苦笑いで首を横に振る。


「写真の保存用や読書に使ってるだけで……。流石にここでは地上と同じようには使用できませんよ」


「ですよね」

 ソフィアが肩を竦めると、アンリは画面をスクロールする。


「元カノの写真を持ってませんか、って尋ねたんだ」


 耳元で囁かれ、ソフィアは背を震わせた。瞳だけ右に移動させると、直ぐ側にライトの整った横顔がある。


 頬に熱が集まりそうになったものの、彼が見ているのはアンリの掌にあるタブレットだ。ほっとして上半身の力を抜いた。自分を間に挟む形になったので、身を乗り出さないと見えないのだろう。安堵したものの、〝自分に近づいた意味〟の理由に少し残念な気持ちになる。


「あれ?」


 ソフィアもスクロールしているアンリのタブレット画面に視線をやったとき、ライトの声が鼓膜をなぞる。


「はい?」


 首を傾げるように彼を見上げた。まだアンリは写真を探しているようだが、ライトは何かを見つけたのだろうか。


「ピアス」


 腰を折り、ソフィアに顔を近づけたライトが、人形を抱えていない方の手で、彼自身の耳朶を指さした。


「あ、ちゃんとついてます?」

 

 外れかかっているのだろうか。

 ソフィアは慌てて自分の耳に触れる。固い感触を確認していたら、ふわりと微笑まれた。


「可愛いね、それ。似合ってる」


 言われて一気に首から上に血が上る。


 彼の呼気が頬を撫でた。微かに柑橘系の香りがして、どん、と血圧が上がった気分で、くらりと目眩までした。


 多分、自分が車いすに座っていなければ、そしてアンリが、「あ、これだ」と声をかけなければ、「ちょっと休憩に入ります」と部屋を出たかも知れない。


「この子、です」


 アンリがタブレットを机に置く。


 丁度、ソフィアとライトの中間あたりだ。ライトはソフィアから離れて画面を覗きこみ、ソフィアも熱い頬を両手で包んで表示された写真を見る。


 そこにいるのは、ひとりの女性だ。


 地上の風景なのだろう。衛星でない。なにしろ、風が吹いているのだから。左から右にかけて銀色の綺麗な髪が揺れ、その女性はうつむき加減になって手で髪を押さえている。


 背後に見えるのは公園だろうか。濃い緑の木々が見えた。

 その場所から、横断歩道を渡ろうとしているところのようだ。


「この子ですか?」

 アンリに問われ、ソフィアは目を瞬かせた。


 そうだ、とも言えるし、違うような気もする。


 うつむき加減の上に、顔の左側をこちらに向けているから、特徴的な右目下のほくろが見えない。


「他の写真はないの?」


 口端をぎゅっと下げてライトが尋ねる。ソフィアも、おずおずと頷いた。アンリは再びタブレットを取り上げ、スクロールをしていく。


「売店の仕事は?」

 彼が写真を探している間に、ライトがソフィアに尋ねる。ソフィアは笑って見せた。


「今日の営業は終了です。また明日朝八時より開店いたします」

 そう言いながら、ソフィアは目を細めて見せる。


「だけど、艦内じゃあ日も暮れませんから、夜だ、朝だ、って言われてもピンときませんね」


「確かに」

 ライトもわずかに笑みを浮かべる。そのまま、そっとソフィアの耳に口を寄せた。


「陽光に見えても、電気だから、気を付けて」

 囁くように言うライトを、ソフィアは無言のまま見つめた。


「ここは、ある意味、いつでも朝であり、いつでも夜だ」


 彼の黒瞳は、火を宿した黒炭のようだ。その瞳は告げる。ソフィアに。警戒しろ、と。油断するな、と。


 この艦を覆うのは偽の光だ、と。朝日じゃない。昼間の輝きなどありはしない。夕日のような温かさえない。


 そして。

 人工の光は、闇を駆逐しない。


 ただ。

 見えにくくするだけだ。



 闇を。



「では、これはどうですか?」


 再び机の上に乗せられたタブレットを、ソフィアは見る。ライトの目から逃れたくて、ソフィアは、差し出されたタブレットに救いを求めるように顔を向けた。


 このライトという青年は、まるで多面体だ。


 親切な表情を見せたかと思うと、逞しい一面を見せ、頼りがいがあるのかと思えば、少年のように狼狽えて見せたり。


 今のように。

 老獪な男のような瞳を見せつけたりする。


「……彼女、だな」

 ライトが呟く。


 ソフィアはタブレットを見たまま、首を縦に振った。


 写真の中で、彼女は微笑んでいた。


 左側にいる女友達と話しているからだろう。

 カメラに右側を見せ、目を細めている。


 その目は、菫色。そして右目の下には、泣きほくろが。

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