第23話 お礼の話 1
翌日。
ソフィアは、
膝の上に載った小箱に視線を落とす。
さっき自分でラッピングした商品だ。
中身は、紅茶用のシュガー。有名な製菓メーカーが作った角砂糖だ。薔薇型に押し切ってあり、ピンクや白のそれらに混じり、ひとつだけ、天使の羽が入れられている。
――― セイラにも、それからマシロにもお礼がしたいし……。
天使の羽を砂糖瓶の中から見つけたとき、そう思った。
昨晩、自分の睡眠につきあってくれたあの、小さな白い鳥。
目覚めた時にも律儀にベッドヘッドにとまっていた。
『おはよう』と声をかけると、翡翠色の瞳を瞬かせる。小首を傾げて煙のようにかき消えたが、その仕草がどこかライトに似ていて、ソフィアはなんだか素顔の自分が恥ずかしかった。
小箱に結んだリボンの環を整えながら、ソフィアは同時に自分の姿にも目を配る。
本社から支給されている制服に、いつものスラックス。化粧も普段通りではあったのだが。
ソフィアは髪に手ぐしを通し、それから耳たぶにふれる。冷たく固い感覚が指先に伝わってほっとした。
このピアス。ピアスポストからキャッチが外れやすいのだ。髪を掻き上げたときに触れただけで、落としたこともある。
『あれ、ピアスなんてしてたっけ?』
例の如く、おしゃべりに来ていた射撃手がめざとく見つけてそういったときも、『あ。よかった、まだついてますか?』と尋ねたほどだ。
『たまには、つけようとおもって』
ソフィアはにこりと笑ってみせる。
元は祖母からもらったものだ。なんの変哲も無いダイヤのピアスなのだが、カットを気に入っているのと、縁起がいいこともあって、外泊するときはいつも持ち歩くことにしている。無事、帰ってこれるように、と。
――― あの事故のときも、つけてたのよね……。
ソフィアは再びリボンに目を落とし、きゅっと強く結び直す。
あの事故が起こった日。
それは、友人の誕生日だった。そのパーティーの帰り道のことだったのだ。
『送っていくよ』
と声をかけてくる男性がうっとうしくて、多少強引に振り払い、歩いて駅まで向かった。こんなことなら、ケインと一緒に来ればよかった。そんなことを思いながら。
人通りも少なく、交通量もさほどない。ソフィアはそんな道を駅まで歩く。
向かいから来る車に気づいたのは、記憶を失う数秒前だった。
車の照明が地面を舐め、徐々にソフィアに近づいてくる。ソフィアは「あ、車だ」程度に思ったが、「避ける」とか「端に移動しよう」とは思わなかった。
なにしろ自分がいるのは歩道だったのだから。
ガードレールもある歩道。多少車が近づいてきても大丈夫。そう思っていた。
まさか。
車が自分にむかって突っ込み、ガードレールごとなぎ倒されるとは想いもしなかった。
そして。
ちぎれたガードレールが自分の両脚を奪うことになることも。
――― こうやって生きてるのも、このピアスのお陰。
ソフィアはそう思ってるが、友人も両親も呆れている。そのピアスをしていたから、事故に遭ったのじゃないか、という人間までいるが、ソフィアはそうは思わない。
なにしろ、あれだけ外れやすかったピアスが、あの日は、落ちなかったのだ。
救急救命士に引っ張り出されても、救命医に乱雑に扱われても、治療のために看護師に服を破かれても。
ピアスは、ソフィアが目を醒ますまで、外れなかった。
だから、ソフィアは今回の勤務が決まったとき、真っ先に『あのピアスを持って行こう』と思ったのだ。
航宙母艦が。
ましてや、軍の最新鋭とまで言われる艦が、そう簡単に事故に遭うとは思わないが、それでも何が起るか分からない。ソフィア自身、まさか自分が二十歳の時に脚を失うとは想いもしなかった。しかも両方。
人生、何が起るかわからない。そう思ったあの日から、ソフィアは少しでも危険を感じたら、このピアスを持ち歩くことにしていた。
――― でも、他のアクセサリーも持ってくれば良かったな……。
ふう、とソフィアは小さく息を吐く。
もちろん、ソフィアも自分の職業を良く理解しているから、毎日相手に不快感を与えない服装や髪型、化粧を心がけている。
会社には細やかな服装規定もあり、身に着けるアクセサリーの数やストッキングの種類も指定されていた。そのことに対して、「厳しすぎる」と顔をしかめる同僚の女性もいたが、ソフィアはなんとも思った事がない。むしろ、アクセサリーは仕事の邪魔だと思っていたし、化粧は面倒だなぁ、と思っていたほどだ。
だが。
今朝になって、『そうだ。
それは同時に、ライトに会う、ということと同義語なのだ、と。
なんとなく。
なんとなくソフィアはそれから心が落ち着かない。
化粧はちゃんと出来ているかな、とトイレに行くたびに顔を確認し、鏡を見ては「……なんかこう、地味よね」と焦って手持ちのアクセサリーを探してみたり、凝った髪型はできないが、アレンジした方がよかったかな、と、店で接客中もそわそわしていた。
そこを射撃手に、からかわれたものの、営業用の笑顔と対応で乗り切って、今、ソフィアは営倉の前にいる。
腕時計をちらりと見た。閉店時間から数分しか経っていない。思わずソフィアは苦笑する。どれだけここに来るのを楽しみにしているのか。
――― 今日は、お礼だから。
大義名分をかざし、ソフィアは訪問チャイムに指を伸ばした。背を伸ばし、左手で座面を支えて右腕を上げる。
指がベルのボタンにかかった。ぎゅっと押し込み、しばらく待つ。カメラで入室者を確認しているかも、と思ったが、存外あっさり扉は開いた。
「やぁ」
内側に扉が開き、ライトが人形を片手に声をかけた。
「どうも」
応じてから、そっけなかったかな、と反省した。目が合った瞬間、するりと視線を外されたからだ。
「どうぞ」
そう言ってそっぽを向く彼の目元がほんのり赤い。
どうやらまだ昨日のことを引きずっているのだと気づいて、ソフィアは吹き出しそうになったが、ジョイスティックを操作して室内に入る。
「あれ……?」
車いすが営倉内に入りきった途端、ソフィアは目を瞬かせた。
「あ……」
室内の人間も中途半端に口を開く。
「アンリさん」
ソフィアは、所在なげに椅子に座っているアンリを見て声を上げた。
まだ、彼は勤務中なのだろうか。昨日と違い、コックスーツを身につけている。ソフィアに気づき、正面を向こうと体をよじったせいで机に脚をぶつけたようだ。数々の持衰への贈り物が一斉に揺れた。
「あの、昨日なんか大変だったみたいで……」
だが、アンリは机には気にも留めず、わしわしと大きな右手で髪をかきむしった。ソフィアを見つめ、そして眉をハの字に下げる。
「元カノの生き霊がそっちに……」
「そうですよ!!」
ソフィアは思わず怒声を張る。握った拳で肘掛けをどん、と叩くと膝の上に置いた小箱が跳ねた。
「すごい怖い目にあったじゃないですかっ!! ちゃんとそっちで面倒見て下さいよっ」
指を差して糾弾するソフィアに、アンリは恐縮しきりと言った風に首を縮めてみせる。
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