第22話 自室での話 4

 なんだか怒りながらそう言われ、ソフィアは慌てて首を何度も上下させた。改めて脚よりも上半身を見ると、吹き出したいほど胸が露わになっている。


 事故直後の入院中や退院後も一年近くは入浴や治療に他人の介助が必要だったため、あまり、裸を見られることにソフィアは抵抗がなくなった。


 もちろん、性犯罪に対しては危機意識を持っていたが、そもそも、前の恋人との別れもあり、肌が露出しようがどうしようが、誰も自分に恋愛感情や性的な視線を向けないだろう、という投げやりな考えもあった。


 事故後、なんの努力もしない自分に魅力などない。

 ソフィアは醒めた風にそう考えていた。割り切っていた。


 だが。

 ソフィアは小さく吹き出す。


 この男は、違うらしい。

 ソフィアは手早く前をかき合わせた。


「あの、もう大丈夫です」


 声をかけてからでも、信じていないのか、しばらくもじもじとライトは視線を足下に散らし、それから意を決したように振り返る。


「……良かった」

 真っ赤な顔で安堵の息を漏らすライトに、ソフィアは盛大に笑い始めた。


「笑い事じゃ無いだろう」

 ライトはすかさず怒鳴りつける。


「男の前で、は、半裸って……。君、おかしいよ! 誘ってると思われても仕方ないからなっ! 潔斎しているぼくだからこそ、君……。無事だったようなものの……っ。ほかの男だったら、襲われてても文句は言えないぞ!」


 車いすを押しながら近づいてくるライトに、ソフィアは目尻に浮かんだ涙を指で拭いながら首を横に振る。


「ライトが珍しいと思いますよ」

「はぁ!?」 


 眉根を寄せ、肩幅に脚を開いて、自分を見下ろす喪服の男に、ソフィアは苦笑して見せた。


「人と同じことができない私を見て……、みんな嫌気がさすんだそうです。脚を失ったら、ほら、普通は義足や筋電義肢を使うじゃないですか。だけど、私は、その努力を怠って……。ライトも私の脚、見たでしょう?」

 その言葉に、ライトはきょとんと目を瞬かせて見せた。


「見た、けど」

 答えた途端、脳内で映像が蘇ったのか、ライトはまた耳まで真っ赤になって怒鳴りつける。


「そのバスローブ、丈があってないだろ! ちゃんと伸ばしなさいっ」


 まるで父親のような声で叱責される。ソフィアは笑いながら頷き、それから上目遣いにライトを見る。


「まさか他人に見られるとは思っていなかったもので」


 そう切り返すと、ライトは途端に申し訳なさそうに眉をハの字に下げ、真っ黒な髪を片手でかきむしる。


「いや本当に済まない」

 掠れた声でそう言うから、ソフィアは焦る。


「冗談ですよ。むしろ、来ていただいて本当に助かったんです。裸を見られるぐらい、なんともないですから」


 ソフィアの口にした〝裸を見られる〟という言葉にまた反応したらしい。ライトは真っ赤になって俯いてしまう。


「あの……。ところで、どうしてこの部屋に入れたんですか?」


 ソフィアは話題を変えることにした。このままでは不毛な会話のままで終わってしまいそうだ。


「ああ……。僕はどの部屋もパスできるんだよ」


 ライト自身もほっとしたようだ。声からこわばりが消えたものの、視線はまだソフィアには向けづらいらしい。車いすをぐい、とベッドの方に押しやった。


「そうなんですか?」


 ソフィアは驚く。個室は全て指紋認証されるはずだが、ライトはマスターキー的な物を持っている、ということだろうか。


「艦内のどこに怪異が発生してもスムーズに入れるように、艦長から手配されてる」


 ライトはそう言うと、また歩き出す。どうしたんだろうとソフィアが目を瞬かせていると、人形を左手に。白い鳥を肩にとまらせて戻ってきた。


持衰じさいが異変に気づいて、ここに来たんだ。正直に言うと、君を見るまでは、君の部屋だとは知らなかった」


 彼の腕に抱かれた人形は、とろんとした瞳をソフィアに向けているだけで、特に何を話すわけでもない。


 ソフィアが今まで見てきたどの人形よりも薄汚れ、どんな人形よりも酷い服を着せられているが。


 今はその青い瞳が、あらゆる人形よりもとても頼もしく思える。

 ソフィアは彼が抱える人形に向かって、「ありがとう」と礼を伝えた。


「まぁ、こうやって君の無事も確認出来たし……」

 そんなソフィアを眺め、ライトはぎこちなく笑った。


「そろそろおいとまするよ。お邪魔さま」

 そう言って扉の方に体を向けるから、ソフィアは狼狽えた。


「待って、待って!」


 急いで腰を浮かし、車いすの肘掛けを掴む。自分の方に引き寄せながら、ベッドに手をついた。


「私をひとりにしないでくださいよ!」


 ソフィアの声はライトの肩を打ったらしい。何気なく振り返った彼は、ぎょっとしたようにまた目を見開いた。


「やめろっ! ぼくが部屋から出るまで動くなっ!」 


 ライトは人形を腕に抱きしめ、肩を怒らせる。彼が身じろぎしたからだろう。とまっていた小鳥は、ぴいと鳴いて宙を羽ばたいた。


「出て行かないでっ! 怖いじゃない!」


 腰回りを覆っていたシーツを剥がし、ベッドに膝立ちになった途端、「ぎゃあ」と悲鳴を上げられた。


「服を着ろ、服をっ! 君は悪鬼かっ」

 慌ててソフィアに背を向けるライトに、口を尖らせる。


「じゃあ、服を着るから待ってて下さい! 私をひとりにしないで! 今日はこの部屋にいてくださいっ」


 また、あの幽霊が出たらどうするんですか、というソフィアの訴えは、放たれる前に「あのなぁっ」というライトの大声に消された。


「持衰はセイラだけど、僕だって同じ立場なんだっ。艦が無事に帰着するまでは身を清めて女を近づけるな、と言われているっ!」

 ライトはソフィアに背を向けたまま、器用に腕だけ彼女に伸ばして指さした。


「それなのに、そんな格好の女と同室できるかっ」

「じゃあ、服を着たらいいんですか?」


「ち、ちらついて、無理っ。少なくとも今日は無理っ」


 俯き加減に怒鳴るライトの耳は、やっぱり真っ赤だ。足早に部屋を出て行こうとするが、ソフィアだって必死だ。ひとりにされて、またあの女が来たらどうすればいいのか。


「そんなに露出してました? 胸ぐらいじゃなかったですか? すぐ服着ますから、待ってくださいって!」


 車いすのアームを握ったまま、ソフィアはライトの背に尋ねる。彼の左腕に抱えられた人形の首が、がくりとのけぞり、ソフィアと目が合った。今はぱちりと瞼を上げているせいか、桃色の唇が持ち主を小馬鹿にしたように嗤っているように見える。


「む、胸……。いや、結構、全部見えた……」

 ライトが肩を落とす。まるで自白する犯罪者のようだ。


「全部?」

 ぱちぱちとまばたきして、重ねて問うと、おずおずと頭を下げる。


「脚の縫合部分まで見た……。というか、その先というか……。いやでも、ふとももまでしか見ていないっ! って、ふと、ふともも……」


 弁解しようとしたのだろうが、自分の言葉に自分で追い込まれていき、結局はうなだれたまましばらく硬直している。


 その後。


「ごめん。とにかく、今日は無理……」


 ぽつりとつぶやき、首まで真っ赤になって項垂れるライトを見ていると。

 なんだかソフィアの顔も、だんだんと熱くなってくる。


 胸の奥からふつふつと、小さな気体が沸き上がり、それが弾けるたびに、くすぐったいような、少し恥ずかしいような。だけど誰かと手をつないで笑い合いたいような嬉しさがこみ上げる。


 自分に関心を持つ、この青年に。

 ソフィアは久しぶりに興味を覚えた。いや、「他人からの視線を気にした」というべきか。


 何故、彼が顔を赤らめるのか。なぜ彼が照れるのか。なぜ彼が自分に対して「無理」と叫ぶのか。


 そのあたりを考えあわせた結果。

 徐々にソフィアの体は熱を持つ。


「……多分、もうあの霊は出ないと思うけど、不安だよね」


 ソフィアが急に黙り込んだからだろう。ライトが咳払いをし、そんなことを言いだした。


「ええ、まあ……」


 ソフィアは車いすから手を離し、真っ赤になった自分の頬を包む。

 熱い。それから慌ててシーツをかき寄せ、自分の下半身を覆い隠してバスローブの前をかき合わせる。厳重に。


「マシロを置いて行くよ。君が眠るまで、側に居るから」

 ぱちりと、ライトが指を鳴らす。


 ぴう、と鳴いたのは宙を舞っていた小鳥だ。体には不釣り合いな大きな翼で空を打ち、ソフィアのベッドヘッドにとまった。


 マシロと呼ばれたその小鳥は、ソフィアの顔を翡翠色の瞳で見つめ、ぴうぴうと小さく鳴いた。


「……ありがとう」

 ほっと息を漏らし、ソフィアはライトの背中に言う。


「お邪魔様」

 ライトはそれだけ言って、部屋を出て行った。


 結局。

 彼は耳を赤く染めたまま、一度もソフィアを振り返らなかった。


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