第9話 倉庫A705の話 1

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 ソフィアは電動車いすを操作しながら、通路を見回した。

 目指すのは、艦底区域の倉庫A705だ。


――― このあたり、なんだよね……。


 普段立ち入らない区域に入っているから、なんとなく心拍数が上がる。もちろん、軍属のソフィアがこの区域に入り込んだとしても、誰かに見とがめられることはない。万が一、「どうしてこんなところにいるのか」と問われたら、いくつか言い訳だけは考えているが、実際、自分にそんな声をかける人間が、今この時間にいるとは思っていない。


 ソフィアは動きを止め、それから慎重に周囲をうかがった。


 左肘掛けに装着されているマウスで動きを微調整しながらソフィアは、射撃員の男が話してくれた、倉庫A705を探した。


『なにか、不思議な体験をされたんですか?』


 少尉から恐怖体験を聞いたソフィアは、その後そう尋ねることにした。

 対象は、過去に売店でラッピング商品を購入した軍人だ。


 さりげなさを装い、彼女は聞き取りを行う。


 飲料や嗜好品、パソコン関連商品を買いに来た彼らは、ソフィアの問いかけに当初、きょとんとした顔をするが、すぐに思い出したかのように苦笑した。


 そして、語るのだ。

 彼らが体験した、『不思議な話』を。


 いわく、艦内通話中に、倉庫A705女の忍び笑いを聞いた。

 いわく、工具箱を開けたら、みっちりと人がはまり込んでいた。

 いわく、手を洗おうと水道栓をひねると、真っ赤な血があふれ出てきた。

 いわく、タブレットいっぱいに、見知らぬ女の顔が映り、悪態をつきはじめた。


『それを上官に訴えたら、持衰じさいに会いに行け、と言われててね』


 そう言って、一様に照れたような笑みを浮かべるのだ。『馬鹿みたいだろ』。そうソフィアに促すが、彼女は首を横に振り、話の続きを待つ。


 その後、彼らが発する言葉は同じだ。

 持衰に一連の怪奇体験を語ると。


『その災い、一身に受けよう』

 持衰は一言告げ、以降、彼らを怪異が襲うことは無い。


 だから。

 持衰が喜ぶという〝女の子が喜びそうな商品〟を、礼の品として贈るのだという。


――― 本当に、そんなことがあるのかな……。


 ソフィアは、彼らの話に真剣に耳を傾けながら、心のどこかで疑う自分がいる。


 もちろん、彼らが体験した恐怖を否定するつもりは無い。

 実際に彼らは、『怖ろしい』と思う感覚を得たのだろう。


 そして、それは非現実でありながら、確かに現実だったのだ。


 だが、それを彼らは、受け入れることができない。理由や原因のわからないものを、受け入れるほど、人は寛容ではない。


 なぜこんな目に遭うのか。

 それを知りたがるのは当然であり、自分に理解ができる結末を迎えたがるのは必然だ。


 その結論を得る手段として。

〝持衰〟がいた。


 彼らは、真面目に「自分の身に起こった事実」と向き合い、遭遇した出来事を相談し、そして、ひとつの回答を得る。


『その災い、一身に受けよう』


 それは、災いなのだ

 あなたの手には余るものなのだ。


 だから。

 私が、引き受けよう。


 それは、もう、彼らの手から、怪異が手放されたことを意味している。


 実際、彼らは、持衰に会ってから、不思議な体験をしたことはない、という。


 ただ、ソフィアは思うのだ。


――― その、怪異が本物だとしたら……。


 自分にも、見えるのではないか、と。

 怪異が、体験できるのではないか、と。


 ここは宇宙に出た〝艦〟だ。地上ではない。


 ある意味、密閉された状態を〝艦ごと〟保持している。

 怪異に遭遇した、その現場を。

 見たときと同じ条件で保存できているはずだ。


 だとすれば。

 自分がその場を訪れれば。

 同じように怪異に遭遇するのではないか。


 ソフィアはそう結論づけ、まずは軍属の自分が立ち入ってもおかしくはない場所に行ってみることにした。


 いろいろ考えた結果、第五機関室はあまりにも専門的すぎたし、業務用タブレットを見る方法など思いもつかない。かといって、少尉の部屋を訪問するには、プライベートが過ぎる。血が出た水道に行くのが、一番ハードルが低いと思われたが、残念ながら今日は演習訓練のため区域が封鎖された。


 そこで。

 逆に、演習訓練のため人が出入りしない倉庫A705が浮上した。


――― ……行ってみようかな。


 そう思ったのは、演習訓練時に、誰も売店に人が来ない、ということもある。普段は、軽口をたたきにくる射撃員や、なんだかんだと様子を見に来てくれる会計係の中尉もさすがに今日は来なかった。


 そこでソフィアは、店を抜け出すことにした。


 中尉からは、演習内容とタイムスケジュールを口頭で教えられている。『プラン5』が実施される一四時二五分までに店に戻れば良い。


 そう思って、ソフィアは、A705倉庫を目指したのだ。

 女の、すすり泣きを聞くために。


――― 今のところ、とくに……。


 ソフィアは注意深く様子をうかがいながら、右肘掛けのジョイスティックを操作する。


 異変は、起きていない。


 この階自体が、「倉庫」として利用されているのだろう。薄く灯りが漂う廊下は、艦内というより、深夜のホテルのようにも思えた。扉ばかりが並び、人影も音もしない。


――― ここか。


 ソフィアはA705と表示された扉前で停止し、しばらくそこで待ってみることにする。


 怪異を語ったのは、経理係の下士官だった。

 物品の確認のため、この倉庫に赴き、そして女のすすり泣きを……。


「何をしているんだい?」


 不意に声をかけられ、ソフィアは悲鳴を上げて肩を竦めた。

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