第7話 少尉の話 2

 異変は、その日の就寝時に起った。


 一日の勤務を終え、巡検を済ませてベッドに潜り込んだときだ。


 日中は訓練に忙殺されて、たった十数時間前に感じた薄気味悪さをすっかり忘れていた少尉だったが。


 部屋に戻った途端、うんざりした。

 やはり、気味が悪い。


 部屋に備え付けのシャワーに入り、その後は携帯型音楽プレイヤーを取り出して、イヤホンを耳に填め込んだ。

 

 ひとり部屋だからそのまま音楽を流してもいいかとは思ったが、万一音漏れでもして、隣室からお叱りを受けては敵わない。客分だというのに、赴任早々、そんな失態をする男だと思われることは避けたかった。


 非常アナウンスを聞き逃すことも嫌だったので、極力音量を落とし、そして片耳だけワイヤレスのイヤホンを差し込む。耳から流れ出るのは、出来るだけ陽気で、それでいて聞き流せる音楽にしておいた。


 不思議と。

 その音が、妙な気味悪さを退けた。


 いや。

 音に遮られて、様々な感覚が鈍っていくのだろう。


 本来は今日体験したことを反芻し、集中して報告書を書くべきなのだろうが、少尉は、提出前に再度見直すことにし、とにかく思い立ったことをノートパソコンに打ち込んだ。


 推敲は後だ。音の奔流で自分を取り囲みながら、思いつくままに文書を打ち込んでいると、次第に眠くなってくる。ちらりと、パソコンの画面に表示されている時刻を確認すると、起床点呼の5時間前だ。


――― 寝よう。


 少尉は欠伸をかみ殺し、イスから立ち上がる。足首当たりにまとわりつくような疲労のせいで、数歩先のベッドまで行くのが面倒くさい。


 のろのろと歩き、何も考えず、二段ベッドの下に潜り込んだ。


 ワイヤレスイヤホンを耳に差し込んだまま、ごろり、と仰向けに寝転がる。手で掛布をたぐり寄せて腹の上にかけた。


 すう、と引き込まれるような眠りにあらがえず。

 少尉は一気に、夢に落ちた。


 その夢の中で。


 少尉は、戦闘機に乗っていた。

 単座式の。

 訓練用戦闘機だ。


 足でペダルを確認し、管制からの指示を忠実に実行すべく、目の前に広がる各種パネルに視線を走らせていた。各モニターに異変はない。


 というより。

 少尉は心のどこかで苦笑する。


 訓練なので、そうそう異変など起こりえない。


 左手で操縦桿を握り、管制に「了解」と返事をし、決められた手順で操作を行おうと思った矢先。


 ざざざざざざざざざざ……っ


 顔をしかめるほどのノイズが耳から脳に溢れ込んできた。

 数秒、何が起ったか分からない。


 途端に、体が反転した。


 ぎちり、と音を立ててシートベルトが背もたれに自分を貼り付ける。瞬時に頭に血が上った。足裏が浮いている感覚がしている。内臓が浮遊するあの感覚。


 反転した。

 世界がひっくり返る。

 少尉は焦った。


『どうした、……機! 状況を説明……』


 ざざざざざざざざざざ……っ


 管制からの指示が、荒いノイズに消される。少尉は操縦桿を握って叫んだ。


『わからない! どうなっている!?』


 だが、その声も。


 ざざざざざざざざざざ……っ


 ノイズに消される。

 少尉は恐慌状態になったまま、パネルに視線を向ける。


 警報音がけたたましくなる。

 パネルが赤く点滅する。

 管制が何か言う。


 なんだこれは。


――― 状況確認。状況確認だ。今、機体はどうなって……。


 焦った頭に。


 ざざざざざざざざざざ……っ


 ノイズが五月蠅い。


『ダメだ!!』


 管制が叫ぶ。

 一気に血の気が引いた。


 なにが。

 なにが。

 ダメ、なのだ。


 自分は。

 どうなるのだ。


 体が凍り付いたとき。


『墜ちろ』


 耳元ではっきりとそう言われ、少尉は悲鳴を上げて飛び起きた。


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