第5話 電気員の話 3

――― おや。


 ふと、目をとめたのは、緑のランプが並ぶ機器だ。

 五つ並ぶランプだが、その一番左だけ、赤が明滅している。


 男はライトを当て、文字盤を確認する。

 どうやら、厨房の電磁調理器に関わる配電盤の一部らしい。『調理台A』、『調理台B』と続き、『食堂』に関する文字が書き込まれている。


 いずれも、ランプは緑だ。

 だが。

 一番左のものだけが違う。


 赤ランプが点滅している。


――― ……『予備』……?


 そこには、『予備』と書かれたシールが貼られ、スイッチとおぼしき黒い棒が中途半端に浮いていた。


 男は隣のランプを見る。

 緑を表示しているスイッチは、いずれも上に跳ね上げられていた。その状態が「オン」なのだろう。下に押し下げれば、「オフ」。


 真ん中の位置で止まっている、この『予備』というスイッチは、確かに変だ。


 男は脇に懐中電灯を挟み、タブレットを取り出す。

 第五機関室の機器を表示させ、この『予備』という電源が何を意味するのか調べようとしたのだが……。


――― ……ないな……。


 タブレットでは確認出来ない。男はしばらくタブレットと『予備』の赤点滅を見たが。


 指を伸ばし、スイッチを上に跳ね上げた。


 スイッチは少しの抵抗を示すが、ぱちん、と軽い音を立てて上向く。

 途端に。

 アラームが止んだ。


 男は周囲を見回す。


 静寂。


 羽音のようなモーター音だけを残し、第五機関室は静けさを取り戻した。


「やれやれ」

 男は肩を竦め、わざと声に出してそう言った。


「無事、終了」

 タブレットを腰のホルダーに戻し、脇に挟んだ懐中電灯を再び握り込む。自動扉に顔を向けたとき。


 びー、びー、びー、びー。


 再び、アラームが響き始めた。


 ぎょっと、男は振り返る。

 反射的に配電盤を見た。


『予備』

 そのランプが。

 赤く点滅している。


 そして。

 また、妙な位置でスイッチが止まっているのだ。


 上に跳ね上げられるでもなく、下に押し下げられたわけでもなく。

 真ん中に。


 中途半端に浮いている。


 びー、びー、びー、びー。


 定期的にアラームは第五機関室に揺蕩い、そして男の心を震わせる。

 男は素早く手を伸ばし、そしてスイッチを跳ね上げる。


 び。

 音は、奇妙な余韻を残して止まった。


 男は再び扉に向かい合う。


 出よう。

 早く出よう。


 そう思った矢先。


 びー、びー、びー、びー。


 音は再び鳴りだした。

 男は振り返る。


 同時に、スイッチを跳ね上げた。


 音が止まる。


 男は上半身をねじった妙な姿勢のままで、スイッチを凝視する。懐中電灯で照らした。白浮きした視界野中で。


 しん、と静けさと暗闇に包まれた機関室の中で。


 その腕は、伸びてきた。


 あり得ない、と男は息をするのも忘れた。


 配電盤の中から、腕が出てきたのだ。

 にゅ、っと。


 男であろうと思われる右腕だけが配電盤から伸びだし。

 そして。


 男が上に跳ね上げたスイッチを。

 ぱちり、と中頃まで押し下げる。


 すぐさま。


 びー、びー、びー、びー。


 アラームが鳴り出した。


 男はその音に弾かれるように扉に取り付き、開けようと爪を立てる。

 横に押し開こうとするが、びくともしない。


 額に脂汗を滲ませながら、「網膜認証」を思い出した。

 男は装置に取り付き、自分の右目をレンズに押しつけようとして。


 目が。

 合った。


「ひひひひ」


 単調な、笑い声が男の鼓膜を撫でる。

 男と、その目は。

 見つめ合う。


 網膜認証のレンズだと思ったそれは。


 人の目を。


 していた。





 かつり、と高音がし、ソフィアはまばたきをした。


「ということで、おれはみっともなく、悲鳴を上げてね」

 目の前には、男が苦笑して自分に向かってチップらしい硬貨を差し出している。


「マイク音声を聞いた士官殿に助けられて……。ことの経緯を伝えたら、持衰じさいに相談しろ、と言われて行ってきたのさ」

 ソフィアは男に何度も頷いて見せた。そんなソフィアに男は言う。


「持衰はおれの話を黙って最後まで聞いた跡、『災いは引き受けた。あとはこちらで』と」


「……それだけ?」


 ソフィアはなんとなく拍子抜けする。なんかこう。聖水を振りかけたり、香炉を揺らして聖句でも唱えるのかと思ったら違うらしい。


 ソフィアの様子に、男は愉快そうに笑った。ソフィアは自分の想像に照れながら、ラッピング済みの商品を押出し、チップと交換する。


「その後、妙なこともおこらないし……。いいんじゃないか?」

 男は商品を受け取ると、笑顔のまま言う。


「ということで、これは持衰殿へのお礼の品なんだ。今から行ってくるよ、ありがとう」

 軽く片手を上げる男に、ソフィアは曖昧に微笑んだ。


「行ってらっしゃいませ」

 頭を下げ、怪異を体験した電気員の男を見送った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る