第4話 電気員の話 2

 それは、男が電気員として、当直勤務をしていた時の話だ。


 網膜スキャンが終わると、第五機関室の扉が横に開いた。


 空気が抜けるような音に続き、アラーム音が鼓膜を撫でる。咄嗟に手に持ったタブレットに視線を向けた。


――― ……おかしいな。


 集中管理室から必要な情報だけをタブレットに飛ばしてきているのだが、ざっと見る限りでは、異常はない。


 当然だが、なにかイレギュラーなことがあるからこそ、注意喚起のため、アラーム音が鳴るのだ。


 そして、その電気信号は即座に集中管理室に集約され、確認のための対処に各課員があたるのだが。


 現在、システム上では、異常はどこにも見当たらない。

 それなのに。


『第五機関室前で、異音がする』


 アラームが鳴っている。


 巡検をしていた当直士官が、いぶかし気に連絡をよこしてきたのは数分前だ。

 男は、別の機関室の動作確認を行っていたが、手を止め、インカムに神経を集中させた。


『こちらには、なんの異常もあがっていませんが……』


 男はその場で集中管理室に接続し、確認作業を行うが、やはり異常は見当たらない。


『おかしいな』


 戸惑い気味の士官の声を聞きながらも、万が一のことがある。男は喉に張り付けたマイクを軽く押さえ、当直士官に伝えた。


『自分が念のために確認に向かいます』

『了解した。私は、集中管理室に向かう』


 互いに、何かあれば対処に当たることを確認しあい、男は第五機関室に来たのだが。


――― どこの、アラームだ……?


 男は廊下に立ったまま、機関室内を一望する。網膜スキャンののち、スムーズに開いた扉からは、定期的に響くアラームが、とめどなく流れ出て来ていた。


 びー、びー、びー、と。


 警報音が、繰り返し鼓膜を震わせる。

 第五機関室は横に細長い部屋だ。


 中央に通路がとられているが、人が行きかうことはできないほど狭い。壁を埋めるのは機械というより、電子パネルのようで、いくつもの赤や緑のランプが点滅したり、光を放ったまま静止していた。


 ざっとみたところ。

 異常個所は、わからない。


 男はタブレットを腰のホルスターに滑り込ませ、第五機関室に足を踏み入れる。


 右足、左足、と踏み込み。

 扉をくぐる。


 あれ、と思った。


 自動照明が、作動しない。

 顔を上げた。


 暗い。

 反射的に振り返る。


 その眼前で。

 扉が閉まった。


 くしゃり、と。


 スライド式の扉が通路と機関室を隔てる。


 あ、と。


 男は慌てて扉に手をついた。強く押すが、横開きだったことを思い出し、扉に爪をかけて引く。だが、びくともしない。一瞬焦ったのち、苦笑した。


 網膜認証だ。

 入るときと同じく、網膜スキャンをしないと扉は開かない。


――― なにをやってるんだか。


 びー、びー、びー、と。


 鳴りやまないアラームに、どこか焦っていたのかもしれない。男は大きくひとつ息を吐くと、暗闇の中、目を彷徨わせた。


 扉脇に、網膜認証の装置はある。


 大きな魚眼レンズがついた、一見玄関の訪問チャイムに似た機械だ。

 長方形で、装置下部には軍のマークと、それから製作メーカーのロゴが併記された機械。


 暗闇でもわかるように、赤いランプが非常時でも灯火するように設定されている。


 だから。

 扉脇の、赤いランプを探せばいい。


 そう。

 思うのだが。


――― ……なんで……?


 赤いランプが、見当たらない。


 だいぶん暗闇に慣れてきた目で、男は熱心に扉付近を見つめるが、全く〝赤いランプ〟が探せない。


「そんな馬鹿な……」

 呟きは、響くアラームにまぎれる。


 男は、一歩下がった。

 ひょっとして近くづきすぎて見えないのだろうか。俯瞰で、ゆったりとした心持で眺めれば、赤いランプが見つかるのだろうか。


 背後で鳴り続けるアラームのせいか、妙に心が急く。

 男は順に自分の視界をたどっていくのだが。


 そこに。

 赤いランプが見えない。


――― 落ち着け、落ち着け。


 男はごくり、と生唾を飲み込んだ。焦るからよくわからなくなるのだ。とにかく、落ち着けと男は自分に何度も言い聞かせた。


 身じろぎするように、もう一歩足を下げたとき。


 右太ももに何かが当たる。

 視線を下ろし、男は安堵した。


 自分の太ももに当たったのは、ベルトに宙づりした懐中電灯だった。


 よく考えれば、慌てることは何もないのだ。耳にはインカムだってつけている。何かあれば、それで誰かを呼べばいいのだ。


 男は苦い笑いを浮かべ、腰から懐中電灯を抜いた。作業着の肩口で額に浮かぶ汗をぬぐい、電灯をつける。


 ふわり、と。

 暗闇の中、薄寒いほど白い円が浮かび上がった。


 男は懐中電灯で順次扉を照らし。


 そして。

 思わず笑いだした。


 ちゃんと、網膜認証装置は、扉脇にあった。


 ただ。

 不具合でも起こったのか、赤いランプが消灯していたため、見逃していたらしい。


 男はひとしきり笑うと、「さて」と改めて発声した。


 だいぶん、落ち着いた。

 というより、馬鹿みたいだ、と自分自身あきれた。


 暗闇と、そしてイレギュラーな状況のせいでこんなに狼狽えるなんて。


――― さっさと、異音を確認して、報告しよう。


 男は懐中電灯を持ったまま、振り返る。

 動きながら照らしたからだろう。

 白光は、闇を楕円形になめながら揺れた。


 そして。


「……ん?」

 思わず、声が漏れた。


 今何か、一瞬。

 光を遮るものが、よぎった気がした。


 男は扉を背に、改めて正面に懐中電灯を向ける。


 闇が丸く切り取られ、白く浮かび上がった。

 通路の突き当たりが、ぼやりと霞む。奥に光るのは、緑や橙色のライトばかりだ。


 じっくりと。

 男はライトを移動させるが。

 当然、動くものなど、見当たらない。


――― ……点検を、しよう。


 男は改めて自分に言い含めると、慎重に足を通路に運んだ。


 無重力対応の電磁底がついた軍靴だ。つま先部分は強化アクリルで包まれているから、蒸れることこのうえない。脱いだ直後の異臭は、そのまま男部屋の匂いだ。


 男は、そんな靴底に、じっとりとした汗を感じながら、慎重に壁面の機器に視線を配る。


 相変わらず、アラームは鳴り止まない。

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