第3話 電気員の話 1

 男はケースに近づくと、実に真剣なまなざしで商品を吟味し始めた。


「……この、ガラス瓶に詰まった飴と」


 男は、ガラスケースを指さし、左手で顎を撫でた。きれいに髭の剃られた顔だ。

 作業着は機械油で多少汚れてはいるが、仕事をしているのだから仕方がない。当然と言えば、当然だ。


 ソフィアは、この艦に乗るまで。

 そして、軍人とかかわるまで、勝手に彼らというのは、髭もじゃで、大変不衛生な人たちなのだと思っていた。


 なんというか、荒くれ者で、豪快に唾を飛ばして笑ったり、マナーなど全く無視してご飯を食べたり、酒を飲んでは暴れたり、と、とんでもない思い込みばかりしていた。


 実際に彼らに会って、かかわってみれば、誰もが清潔で、身だしなみもよく、すべからく紳士的だった。


 多少高圧的な物言いをするが、それも厳格な上下社会にあっては仕方のないことだと納得する。


 彼らはしっかりと教育・訓練されており、『軍人とは』ということを意識して生活している。そんなことを知るにつれ、ソフィアは自分の先入観と無知がだんだん恥ずかしくなってきた。


 正直、妙なことでクレームばかりつけてくる客が来るより、大柄な男性ばかりだとは言え、礼儀正しく、金払いもいい彼らに囲まれて仕事をする方が、ソフィアの精神衛生はとても良い。


 今、目の前にいるこの軍人も、作業着が汚れてはいるが、襟はぴっしりと立っているし、ボタンも一番上まで止められている。規定通りに隊服を着こなし、そして体には無駄な肉がなかった。


「それも、食べ物?」


 不思議そうに男は飴細工を指さした。尾の長い金魚の飴細工だ。透明なクリアケースに入った逸品だった。


「そうです。ガラス細工のようでしょう?」

 ソフィアが笑顔で応じると、男は満足そうにうなずいた。


「では、それも」

 言いながら、首から下げているドックタグを引き出してソフィアに示して見せる。


 ソフィアは右腕のホルスターから読み取り専用の機械を引き出し、かざして表示をスキャンする。その後、男性が購入した商品コードをスキャンした。これで、彼の口座から代金が引き落とされる仕組みだ。


「ラッピングをしましょうか?」


 剥離スプレーを使って商品をケースから取り出し、ソフィアは首をかしげる。男は慌てたように首を縦に振った。


「そうだ。忘れるところだったよ。きれいに頼むね」

 男はドッグタグを再び作業着の中に押し込みながら、陽気に笑った。


「君、ラッピングがうまいんだってね。みんな、喜んでいたよ。今度の店員さんは器用だし、センスがある、って」


「ありがとうございます」


 四○代半ばだろうか。笑うと目じりに深いしわが見える。ソフィアは口角を上げて笑顔を作りながら、頭を下げた。


「こちらでは、以前からこういった商品が売れていたんでしょうか?」


 上半身をねじって、棚から包装用の道具が入った箱を引き出す。

 色とりどりの不織布やリボンを詰めたそれは、本社指定のものだけではない。ソフィアが実費で購入したものも混じっている。会社指定のものはありきたりになりすぎるし、何と言っても「かわいくない」。


 基本ベースは会社指定を保ちつつも、リボンやオーガンジーを足すことで自分が納得できる「かわいいラッピング」に仕立て上げていた。


白童丸はくどうまる号ではね」

 男は肩を竦めて笑う。


 ソフィアはあいまいにうなずきながら、「では、他の航宙母艦は違うのだろうか」と目をしばたかせた。


「器用だねぇ」

 男が感心したように言うので、ソフィアは面はゆい。


 てきぱきと手を動かし、二つの商品を飾り付けていく手際は確かに流麗で無駄がない。


 これが自分の与えられた仕事だ、役割だ。

 そう思っているだけに、一生懸命だ。


 暇さえあれば、いろんなラッピング動画を見て自分なりに会得しているから、その指使いにはためらいがなかった。ソフィア自身の中にある〝かわいい〟がまた、明確にあるのもいいのだろう。


「以前の店員は、男性だったからさ。適当なラッピングバックに、ぼすん、と入れて、リボン結んでおしまいだったよ」

 男は笑い、ショーケースにもたれかかるように肘をつく。


「だから、機嫌を損なったら大変だ、ってみんな戦々恐々で……」


「誰の、機嫌を損なうんですか?」

 作り置きしている飾りリボンを商品に結わえながら、ふとソフィアは目を上げた。


「うん?」

 男は不思議そうに眼を何度か瞬きさせる。「誰、って」。そう言ってから、ソフィアがラッピングしている商品を指さす。


「それを、贈る相手さ」


「あの……」

 ソフィアは手早く、だが、正確にリボンを結び付け、ラッピングを完成させてから、男に尋ねた。


「ひょっとして、ここで買った商品を贈る相手は……。皆さん、一緒なんですか?」


 ソフィアの驚いた顔が余程意外だったのか、男はしばらくキョトンと見つめた後、それから吹き出すように笑い声を立てた。


「そうさ。なんだ、君は知らなかったのか。この売店で購入したプレゼントは、たいがい、持衰じさいに贈られるのさ」

 男は愉快そうに、付け加えた。


「恋人に贈るものじゃないとおもうな」


「ジサイ、ですか?」


 ソフィアはラッピングした商品を両手で包みながら、男を見上げた。男はソフィアと視線を合わせると、柔らかく微笑む。こんな表情を作ると、本当に軍人に思えない。


「この艦には、持衰がいるんだ」

「ジサイ、ってなんですか?」


 自分の知らない軍用語なのだろうか。あるいは、そういう称号を持つ〝なにか〟がいて、皆、このプレゼントをそのジサイとやらに贈るのだろうか。


「おれも詳しい訳じゃ無いが」


 男は前置きをしたあと、上半身を起こす。腕を組み、やっぱり顎をつるりと撫でた。


「昔からの風習でな。航海をするとき、着替えもせず、体も洗わず、髪も整えない人間をひとり、船に乗せるんだそうだ。それが持衰だ」


 ソフィアは顔をしかめた。随分と不衛生な人間だ。男はソフィアの顔を見て笑い、言葉を続けた。


「彼らは、航海が無事に済むと、たくさんの褒美を持たされて、解放される。だが、嵐や災いが起ったとき、彼らは、自分の命を賭けてことにあたる」


「……命を、賭けて?」

 ソフィアの柳眉が寄った。男は頷く。


「加持祈祷を行っても……。それでも、災いが船に襲いかかったとき、彼らは自らの命を投げ出して、災いから船や船員を守る。ようするに」

 男は口をへの字に曲げた。


「人身御供になるのさ。自ら海に飛び込み、災いを滅する」


 ぽかんと、男の語る話を聞いた。


 持衰。

 加持祈祷。

 災い。

 調伏。

 人身御供。


「……そんなのが、この艦に?」


 思わず、笑い出した。


 この、航宙母艦にか。


 最新式と称され、進水式には国王も参列し、他国も情報を狙い、マスコミが国民向けに派手に喧伝した、国中の科学の粋を集めた『白童丸』号に。


 持衰が、いる。


「まぁ、おれも最初は君と同じ気持ちだったよ」


 ひとしきり笑ったソフィアに、男は自嘲気味に応じた。頭を掻き、それから今頃気づいたのか、作業着の油汚れを手で払う。


「だけどねぇ」

 服のシミを指でこすりながら、上目遣いにソフィアを見遣った。


「この艦、どうもおかしい」


「……なにが、ですか」

 口の端に笑みの残滓を散らせて男をみやる。


「なにか、いる」

 男は瞳孔を揺らさず、ソフィアを見据えた。


「……なにが」

 射すくめられたように、商品を掌で囲ったまま尋ねる。


「おれは、この『白童丸』に乗艦するまでは、『紫峰しほう』に乗っていたが……。その時は、こんなこと、なかった。いや」

 男は表情を変えずに言った。


「たまには、あったよ。そりゃ、見間違い、勘違い、思い込みはある。なにしろここは閉鎖空間だ。通常の認知能力が正常に働かないことは、あって当然だ。だがね」

 男は、意味ありげに笑った。


「それは、〝たまに〟あることなんだ。『白童丸』のように、〝いつも〟あることじゃない」


「なにが、〝いつも〟あるんですか」

 ソフィアは表情を強ばらせたまま、男に尋ねる。


 男は、小さな笑い声を立てると、ソフィアが手で囲む商品を、節くれ立った指で差した。


「綺麗にラッピングしてくれたから、お礼に教えて上げよう」

 男はソフィアを見る。


「なぜ、おれが持衰にお礼を渡すことになったのか、を」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る