二章 三節 部活がない日の放課後教室にて

 また時間は進んで放課後、休みがない有名なブラック部筆頭と呼ばれている吹奏楽部であるが、今日はたまたま部活がない日である。三時間で、部活がない。いつも部活に追われて休みがない吹奏楽部民で喜んでいない人はいなかった。勿論、私も。


「はぁ……今日はあの先輩の顔を見なくていいなんて清々するわ……」


 私の人生において、嫌いな人物はたった二人しかいない。そのうちの一人が美鈴先輩だ。部活に行くたびに面倒ごとに巻き込まれる……いや、巻き込まれるだけではなく実際に被害が出るからこそ嫌いなのだ。


「天音さん、そういえばさっき数学の時間に送った手紙を見ましたか?」


「ええ、ちゃんと見ましたけど何か?」


 先生にほとんど怒られたことがない私が、先生に怒られる原因となったあの手紙のことだろう。あの、ふざけた手紙。


 私は、ほとんど人に怒られたことがない。先生、両親等々……怒られる前に逃げてしまうからだ。はっきりと言葉にするのであれば、私は人に怒られることに慣れていない。


「天音さんなんか怒ってますぅ? なんでですか? え? 僕またなんかしちゃいました?」


「……知ってますか? そのセリフって一番人の神経を逆なでするんですよ?」


「だって神経を逆なでするようにあえて言ってるますからね、当然です。それで、答えはどうするんですか? どうせ予定なんてないんでしょう?」


 確かに、氷斗さんの言うとおりこの後予定はない。塾も、ピアノも、今日はどちらも休みだ。ただ……


「暇イコール遊びたい、というのはあなたの偏見では? 偏見を私に押し付けないでください」


「じゃあ今日は何をするんですか?」


「寝る予定ですが何か」


「えぇ……」


 休みの日、何もない日は基本的に睡眠に費やすようにしている。寝ているときは何も考えなくていいから楽なのだ。部活の話も、勉強の話も、何もかも……。


「それじゃあ、今日のお昼ご飯どうするんですか? 本当に死にますよ?」


「だから、何度でもいう通り一食抜いたところで死にはしないんですよ。それに、どうせ死んだところで何にもならないんですよ」


「……そうですか」


「私が死んだところで、この世界も、このクラスだってで何かが変わることなんてないんです。どうせ一週間で最初からなかったみたいに扱われることなんてわかってるんだ」


 氷斗さんの表情が、少し暗くなったのが見えた。少し被った前髪の後ろから見える目に、影が落ちた気がした。


「……失礼、少し言い過ぎましたかね。忘れ——」


「死んでも何も変わらない、確かにその通りです。けどね、死んで悲しむ人間っていうのは少なからず存在するんですよ。だからね、そのことを忘れたら人間終わりだ」


 私の言葉に合わせて、氷斗さんの少し冷たい声が響く。その言葉は、このまえの泣きピエロよりもさらに冷たいように感じた。まるで、人の首を狙う銀色のナイフのようだ。


「……で、それでどうするんですか? 来るの? 来ないの?」


 やっぱり急に明るくなる氷斗さん表情と声。この前は安心感すら覚えていたのに、今日は少しだけ不気味な何かを感じた。背中に嫌な汗が伝っている。


「仕方ない、行ってあげますよ」


 ここで行かないと答えた時にどうなるかを私は想像したくなかった。この重い雰囲気から逃げられるのであれば、それでいいように思えた。


「じゃ、十二時半に三丁目にある公園に集合で、大丈夫ですか? ほら、あのブランコのある公園」


「……それでいいです」


 今はもう十一時、家に帰るには大体三十分かかるが……ギリギリ間に合うだろう。


「わかりました、それじゃ早く帰りましょうか」


「そーですね」


 リュックに適当に荷物を詰めて、背負った。いつもより、少しだけ軽い気がしたがきっと気のせいだ。もう日課となった二人の帰り道、最初のころに感じていた違和感はもうなかった。

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