第3話 下剋上の憂鬱
天文二十二年(一五五三)旧暦六月十七日、三好義賢の軍二千余は、満月の光を浴びてひたひたと龍音寺に迫り、主君の細川持隆を急襲した。このとき持隆の手勢は百にも満たなかった。
月見の宴はたちまち騒然たる修羅場と化し、持隆は近くの見性寺までほうほうの体で逃れたものの、そこで最期を遂げた。いわゆる「
この下剋上により、阿波一国は三好義賢のものとなった。勝瑞城の主となった義賢は、持隆の愛妾
小少将は勝瑞の名花である。阿波はおろか西国随一の美女と謳われ、その美しさたるや天女かと
しかし、人間だれしも得意絶頂の日々は長くはつづかない。
数年後、よからぬ風聞が流れた。
勝瑞の町に、満月の夜にると、馬の
義賢は側近に訊いた。
「その馬は、持隆公の愛馬であった
白兎は勝瑞の変の折、逃れる持隆を乗せて見性寺へと
義賢の問いに、側近は困惑顔で答えた。
「それが、噂の噂たるゆえんで、実はだれも見たことがないのでございます」
「ふむ。だれも確認しようとせぬのか」
「そういった者もおらぬと聞いておりまする」
「何故のことだ?」
「もし、万が一、その馬が首なし馬であれば、と怖れるゆえにございます」
阿波には古来、「首なし馬を見た者は遠からず死ぬ」という伝承がある。
現代人から見れば「愚かな」と一笑にふす類の迷信であるが、この室町期の人々は霊魂や悪霊、魑魅魍魎の存在を信じて疑わなかった――それほど迷信深い時代であったといえよう。
特に、戦場で多くの人を殺し、自身もいつ果てるやもしれぬ武士ほど、何かとげんをかつぎ、占いや祈祷に頼った。戦さの前には必ず
側近から「首なし馬」という言葉を聞いて、信仰心の篤い三好義賢は満月の夜を怖れた。
義賢は連歌や
次第に義賢は、主君持隆を殺害したことを気に病むようになり、持隆公の
持隆弑逆の八年後、実休義賢は畿内の戦場にいた。
義賢に敵対するは、河内守護の畠山
高政と承禎連合軍の総勢は二万余。
迎え撃つ実休の軍は七千余。これに三好長慶の命で派遣された松永久秀の軍七千が加わり、
久米田の戦いといわれる、
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