二 予兆

 鳥居を出て表通りを駅の方へ歩き出す紬。この春から通い出した高校へは、電車で二駅だ。

 駅まで続く商店街は、朝の支度を終え、次々と店を開けていく。魚屋や八百屋、他にも土産屋や喫茶店、クリーニング屋などの店が軒を連ねる。しかし、最近は店仕舞いするお店も増え、記憶にある活気あふれ商店街とは、違ってきてしまった。


「おはようございます」

「おう、おはよう。むぎちゃん今日も元気がいいね。どうだった、昨日の鰆は?」

「朝食で頂きましたけど、とっても美味しかったです」

「そうかい、今日も取って置きの鯵が入ってるけど、どうだい?」

「いいですね。後で雷清さんに伺うように連絡しておきます」

「いい、いい、配達ついでに届けとくから」

「いつもすいません、ありがとう御座います」

魚屋魚辰の大将、辰次郎さんとのいつもの挨拶が心地いい。

「そうだ。今朝、商店街であおを見かけませんでしたか?」

「どうだったかな?おい。おい」

「どうしたの、朝から騒がしい。あら、むぎちゃんおはよう」

「おはようございます」

「いやよ、かぁちゃんよ、海薙さんとこの猫、見なかったか?」

「あおちゃん?いや、見かけてないね」

「そうですか…」

「あおちゃんがどうかしたのかい?」

「それが、朝から姿が見えなくて…」

その後、気に掛けておくと言ってくれた、魚辰の夫妻にお礼を言い、駅へと再び足を向ける。

でも、どこに行ったのかしら?


リン


聞き慣れた鈴の音が聞こえる。


リン


 音がする方に振り向くと、白い尻尾が裏路地へと続く脇道に消える。

「あお?」

音を追いかけて、紬も脇道から裏路地を覗く。

「あれ?」

裏路地にひっそりと佇む木造の建屋に古びた木戸、その上にある「春明堂書店しゅんめいどうしょてん」と書かれた看板と共に長い年月を感じさせる。その木戸が、ほんの少しだけ開いていて、そこに吸い込まれるように、追いかけた白い尻尾が吸い込まれるていく。

「あお。あお」

「おはよう!」

消えた尻尾を慌てて追いかけようとしたその時、後ろから声を掛けられ、驚き振り振り向く。そこには幼馴染みで同じ高校に通う柴原楓しばはらかえでが立っていた。

「おはよう」

「なになに、どうしたのこんな所で?」

「いや、今ね、」

説明しようともう一度振り返ると、先程開いていたはずの木戸が閉まっている。

気のせい?今のは見間違い?

腑に落ちず小首を傾げていると、

「あ!そんな事よりもほら、急がなきゃ」

楓が慌てて差し出した腕時計を見ると、時計の針が電車に乗れるぎりぎりを指している。

それを見た二人は、慌てて駅へと続く道を走り出した。


「セーフ。間に合った」

小走りで乗った電車の扉が閉まり、楓が小さく両手を横に振り、二人で顔を見合わせて小さく笑う。

電車通学にもようやく少し慣れてきた。この時間は紬と同じ制服の人が殆どで、あちらこちらで談笑が聞こえくる。先に乗っている人達をかき分け、紬達は中央の吊り革に並んで掴まる。

「ねぇ、さっきはあんな所でどうしたの?」

電車に乗るのが優先になってしまったが、先程の出来事を気にして、楓が聞いてきた。

「朝から、あおが見当たらないんだけど、あそこであおっぽい猫を見掛けたんだよね。違ったみたいだけど」

自分でも、あの出来事には確信が持てず、春明堂の事は言わずに説明する。

「そうなの?それならそうと早く言ってよね」

そう言ってスマホを鞄から取り出すと、慣れた手付きで操作する。

「おねえちゃんとお母さんにLINEしといた」

「ほんと、ありがとう」

「いいよいいよ、案外もう家でのんびり朝ご飯でも食べてるんじゃない?」

スマホを仕舞うと、最大の笑顔で励ましてくれた。

「それはそうと、昨日のドラマ見た?」

1つの事が気になり出すと止まらなくなる、私への楓なりの気遣いだ。

「うん、見た見た。面白かったよね」

「うんうん、面白かったよね。しかも主人公の東条翼役の片山真司、はまり役だよねぇ。カッコ良かったぁ」

「相変わらず王道が好きだよね楓は。私は弁護士役の、鈴白仁が良かったけどな」

「出た!紬の線細い系イケメン好き」

「えー、なにそれ」

「だって中2の時も、山岸海斗様命、って大騒ぎしてたじゃん」

「ちょ、止めてよ、大きな声で人の黒歴史言うの」

顔を見合わせて二人でまた笑う。

楓と友達になれて本当に良かった、この笑顔を見る度に心からそう思う。

窓に映る見慣れた風景が、家々から次第にコンクリートの壁面へと流れていく。

不意に目に止まる、黒い屋根の家。

ビルとビルの合間にある、古い造りの平屋建て。

塀も黒い。

屋根の横に大きな木が見える。


 なんだろう。

 なぜか目が離せない。

 電車は進んで居るはずなのに。


 黒い家から目が離せない。


「ねぇ、聞いてる?」

その声で急に周りに音が戻る。

「大丈夫?」

楓が心配げに顔を覗き込む。

「う、うん。大丈夫」

正直、なにがどう大丈夫なのか分からなかった。

私、今どうしていたんだろう。


少し頭の重さを感じつつ、楓に向き直る。

「で、何だっけ?」

「やっぱり聞いてない。本当に大丈夫?」

「うん、ほんと大丈夫だから」

「そう?」

「うん」

「ならいいけど」

「で、なんの話だっけ」

「あのね。黒い家の噂話なんだけど」


 世界が歪んだ気がした。けれど、なぜそう感じたのかは分からない。

「なにそれ?」

動揺を隠しつつ聞き返す。

「黒い家よ。知らない?」

「ちょ、ちょっと待って。それってもしかして。そっち系の話?」

「うん」

「止めてよぉ。私がそう言うの苦手なの知ってるでしょ」

紬は耳を塞ぐ真似をする。

「えー。まだダメなの」

「そうよ、そもそも黒い家って自体がなんか怖い」

「そう?」

「そうよ」

「結構面白い話なんだけど」

「なにそれ。怖いのか、面白いのかハッキリしてよ」

「うーん。あのね、その黒い家って言うのは…」

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