第9話 晴天に吹く風は雨が降る前の香り
夏の暑さが一向に引かぬ9月の中頃、1年3組の男子に衝撃が走った。クラスのマドンナでありアイドルであり一部の男子からはセックスシンボルと思われている久留島初華の、体操服を着て走ったり跳ねたりする度に躍動していた豊かなバストが揺れなくなったのだ。
初華に悟られ対策を取られたかと恥ずかしくなってしまった者もいれば、明日からの目の保養はどうしようと考えを巡らせる者もいた。しかし皆、表立って発言はできなかった。中津留源治とかいう初華と懇意にある猛禽類が「そろそろ颯太以外の変態をぶん殴りてえなぁ」と牙を研いでおり、初華の『う』の字でも出そうものなら瘤の1つでも作られそうだからだ。
そんな言論統制下におかれた(そもそも表立って言っていいことでもない)体育の授業の中で、猛禽類こと源治は颯太と並んで胡座をかき、いつもの仲良しグループと共にグラウンドを走る初華を眺めて「良い顔になったなぁ」としみじみ呟いた。
「そっかぁ…あのスポーツ店で買ったのがバストバンドかぁ…」
「不満か?」
源治が颯太の肩に手を置いて訊く。颯太は「いんやぁ〜?」と敢えて強調するような物言いで返す。
「まぁ…たゆんたゆんが見られないのは寂しいけど、初華ちゃんの気持ちが楽になったんなら俺はそれが良いと思うよ」
「颯太…やっぱお前、俺の友達だわ」
「だろ?」
源治は得意げな顔の颯太とハイタッチを交わす。そばでは野球部の斎藤や他の男子生徒が、エロのことしか頭に無いエロ猿だとばかり思っていた颯太の見慣れぬ一面に心の底から怯えていた。
昼休みを迎え自販機に緑茶を買いに行った源治は、自販機コーナーの最奥にある菓子パン専門の自販機を睨みつける、金髪の印象的な女子生徒を見つけた。セーラー服の上からでもわかるほど細い腰とスラリと長い足で右、左、右、左と重心を変えリズム取るように立ちながらパンを吟味する姿は如何にも悩んでいるらしく、源治は女子生徒が何を買うのか決めるまで観察しようと背後に回った。すると唐突に女子生徒が振り返った。
「おっ、ちょうど良い!オススメのパン教えてよ!」
まるで旧知の仲であるかの如く馴れ馴れしい態度で話しかけてきた女子生徒の容貌に源治は目を見開いた。色白で彫りの深い目鼻立ちと、晴れやかな空の色にも似た青い瞳。まるでハリウッド女優だ。
ハーフか顔濃いめの人だろうか。見惚れてしまいそうになるのを「ジロジロ見たら失礼だろ」と心の中でいさめつつ源治は『クリームパン』と書かれた円形のパンを指した。
「正統派にして競争率の激しいフレーバーか。お手並み拝見といきますか」
まるで知識人のようなことをほざきながら女子生徒は自販機に200円を入れてクリームパンのボタンを押し、出口に落ちたクリームパンを取り出した。そうしてその場で袋を開け、一切れ千切って口に含むと「うん、褒めて遣わす」とやけに尊大な口ぶりで源治を褒めた。
変な人に絡まれたな。女子生徒に対して少しどころでなく面倒臭さを感じた時、源治は彼女の着ているセーラー服の襟にローマ数字の『Ⅱ』と刻まれた襟章が着けられていることに気づいた。
「あっ、2年生…」
「そうだよ。おやおや、アタシ有名だから君も知ってるかと思ったんだけどな」
「え、有名なんですか?」
入学から今までの間にクラスメイトと交わした会話の中でこんなに癖の強い上級生の話が出てこようものなら覚えていそうであるが。振り返れる限りの会話を振り返ってもそれらしい話題を見つけきれず首を傾げる源治の前に、女子生徒が「国際学生証〜」とスローなテンポで唱えながらエメラルドグリーンのカードを突きつけた。そこには女子生徒の写真と、横書きで4行ほど並べられた何らかの英数字。
「上から学校名、名前、生年月日、学生証の有効期限ね。で、私はエラ・スミス。グレートブリテン及び北アイルランド連合王国からの留学生だ」
一気に言い切ってからドヤ顔を見せる女子生徒─エラ。対して源治はエラの頭頂を見下ろして「根元黒いな〜」と思っていた。外国の名前など地元に展開されている専門料理店に掲げられた国名とアメリカぐらいしか知らない源治の脳が『グレートブリテン及び北アイルランド連合王国』なる名前を認識しきれず処理落ちしてしまったのである。
エラは源治の目つきから彼が処理落ちしたことを察したらしく「君達の言うイギリスだよ」と恥ずかしそうに言い直した。
「最初からイギリスって言って下さいよ」
「正式名称なんだけどな。あと『イギリス』って呼び方は日本だけだから。それよりせっかく出会ったのだから君の名前も教えてよ。知ってるけど。中津留源治でしょ?」
名前を聞いておいて自分で完結してしまったエラに源治はなお「当たりだけど癖強いな〜」と面倒臭さを覚えつつ、留学生ということは日本に何かしらの興味を持って来たのかと考えた。アニメや漫画の話を出されても悲しいかな源治としては詳しくないので対応しかねるところであるが。
「ちなみに日本留学を決めたのは食べ物の問題だよ。日々の癒やしであるスイーツが美味い所が良いからね。実際食べてみたけど美味すぎて意味わかんなかったね」
源治が問うよりも先にエラが話を始めてしまった。
エラは続けて「コンビニ商品が美味すぎる」「青空の日が多いね」「心なしかファストフードもヘルシーな気がする」と日本に対するレビューを捲し立て始めた。そのうち「K-POPは聴いてて踊り出したくなる」「1回トゥンカロンを食べてみたい」と他国の文化の話になってきたので源治は「それは違う国だし俺もトゥンカロン食べたい」と突っ込んだ。
「ふう…中津留源治との初遭遇、楽しかったよ」
「俺、呂布か何かですか?」
5分に渡りレビューを捲し立てた後、ようやく吐いた締めらしい言葉に織り交ぜられた違和を源治は漏らすこと無く突っ込んだ。
「それにしても日本語上手ですね。癖強いけど」
「それはもう、ここのお陰さ」
エラがドヤ顔で源治にA5サイズ程の薄い冊子を手渡してきた。赤色のレザック紙で作られた表紙には明朝体で大きく印字された『群青』の字と、下部に『鶴巻高校 文芸部』の字。文芸部が毎年年度末に作成して卒業生に配っているという高級仕様の部誌である。
「今日の放課後にでも遊びに来ると良い。今日は活動日だからね」
その冊子はあげるよ─そう言い残してエラは悠然と、クリームパンを食べながら歩き去っていった。
残された源治は1人『文芸部』の字とエラの背中を見比べて「そうはならんやろ」と呟いた。
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