第8話 竜巻の脅威は花園でこそ発揮され 後編

「中津留のこと"オム・ファタール"だって別れ際にお姉さん達が言ってた」


逆ナン目的の女性達から解放された後、軽食を食べる目的で訪れたフードコートで、熱々のタコ焼きを箸で割りながら恵が言った。


「何それ」


「なんか『魔性の男』らしいよ」


「ひーっ!源治が!」


颯太は源治を指差して引き笑いをしたが、何か思うところがあったのかすぐに「なるほどなぁ〜…」と頭を抱えて黙りこくってしまった。


「何だコイツ。何か言ってくれよ」


「中津留は見た目悪くないと思うけど魔性は大袈裟でしょ。それだったら今頃ウチらも中津留のこと好きになってるって」


湯気ののぼるタコ焼きを箸で小さく切りながら半ば嘲るように言う紫杏の隣で、マナカがどこか居心地の悪そうな顔でタコ焼きを食べる。

源治はふと、斜向いで喋る紫杏の下まぶたに抜け落ちた睫毛が貼りついているのに気づいた。紫杏の瞳が動く度に睫毛の先が揺れ動き、今にも目の中に入ろうとしている。きっと中に入ったら目がゴロゴロして気持ち悪かろう。目の端に溜まるとそれはそれで目を閉じた時にまぶたに突き刺さって痛かろう。


「アレ、中津留なに見てんの」


「赤嶺、顔こっちに近づけて」


物言わぬ源治の目線に気づいた紫杏に源治が促す。紫杏は源治の意図を図りかねているらしく怪訝そうにしながらもとりあえず机から身を乗り出し源治に顔を近づけた。直後、源治は紫杏の鼻スレスレまで顔を近づけ、下まぶたの上で揺れる睫毛を捉え指で取り除いた。


「睫毛抜けてた」


席に着いた源治が自身の指先にフッと息を吹きかける。

「先に言えよー」と颯太達が笑う中、ヘナヘナと脱力するように席に着いた紫杏は驚きによりしばらく目を見開いていた。初華や恵から「大丈夫?」「目ェでっかくなってるよ?」と心配そうに声をかけられて初めて我に返ったが、大丈夫だと返す声はやや上ずっており顔もやや上気していた。




どこか様子のおかしい紫杏を引きずりながら一行はアパレルショップの並ぶ2階を冷やかした。

この2階に集結するアパレルショップは、質は低いものの流行の服を安価で買える店から質に重点を置いた高級店、大手ブランドの直売店、アウトドアに特化した店、下着や靴下など1つのパーツに絞った店など多種多様な店が集結している。

店先に並ぶマネキンが着ている服を眺めあんな服が欲しい、こんな服が欲しいと語り合っていた一行だったが、スポーツ用品店の前を通りかかると女性陣が何やら小声で話し出し、そのまま店の奥へと消えていった。反射的に源治と颯太がついて行こうとすると紫杏が「中津留と塩月は来んな〜」と睨みつけてきた。

仕方が無い、と源治と颯太がスポーツ用品店前のベンチに腰掛け無料エロ動画サイトで見つけたオススメの動画について語り合っていると、何やら憑物が落ちたように晴れやかな顔をした初華を筆頭に袋を提げた女性陣が戻ってきた。颯太が「何買ったの?」と尋ねても彼女達は口を揃えて「教えな〜い」と返すばかりだった。




日が暮れかけて近隣の庁舎やオフィスから仕事終わりのサラリーマンが溢れ出した頃、遊び疲れた源治達はバスに乗ってそれぞれの家に一番近いバス停へと向かった。

源治は初華と共に行き道で利用したバス停に降り、それから初華を送り届ける為に彼女の家を目指した。するとその道中、初華が「源治くんには教えてあげよう」とスポーツ用品店の袋から商品を取り出した。それは黒いバンドを胸の上部に巻いた女性が描かれたパッケージで、併記された宣伝文句から源治はバストバンドであると気づきスポーツ用品店での紫杏達の態度に納得した。


「体育とかで揺れるのが気になってたんだ。走りにくいし…うん」


初華が何やら言い淀んだのに気づいた源治は、彼女が本来言いたかった言葉を察した。初華が転入して以来、彼女が体育で走ったり跳ねたりする度に大きな胸が揺れる様が一部の男子の間で専らの話題になっているのだ。

『やめて』などと真っ向から訴えても煽りと捉えられかねないし、誰かしら教師に相談した日には『女子生徒の身体をジロジロ見る男子生徒がいる』などとデリカシーもクソも無い学級会を開かれてしまう地獄の未来が予想できる。初華に限らず多くの女子生徒が悩み苦しんでいることを思った源治は「これから思いっきり動けるね」とフォローを入れた。


「授業初めの3分マラソンで競争しようか」


「やる?でも私が本気で走ったら源治くん追いつけないんじゃない?」


「俺が走る時『ひとり駅伝』って呼ばれてんだけど」


「何それぇ、意味分かんない」


初華の顔に今日一番の笑顔が浮かんだ。薄桃色に染まった大輪の花が咲く様にでも例えられそうな、見る者に驚きとときめきを与える笑顔だ。

彼女に下衆な目線を送っていた連中は、果たしてこの笑顔を前にしても同じ目線を送り続けられるのか。神聖さすら感じる程の笑顔に源治が見惚れていると、初華の鞄からスマホへの着信を知らせる電子音が響いた。初華はスマホを取り出すと「もしもし?」と応答し、通話先の人物に「もうすぐ着く」「友達が家の前まで来てくれる」と答えたのち「じゃあね、ママ」と言って電話を切った。


「お母さん?」


「うん。迎えに行こうかって言われた」


「あー、もう暗いもんなぁ」


すっかりと日が落ちて濃紺に染まり、端に橙の光が薄く残るのみとなってしまった空を見上げながら、源治は可愛い娘の帰りを待つ母の気持ちを想った。

そうして他愛も無い話をしながら薄暗い住宅街を歩いていると、初華の住むエイデン横尻の玄関が見えてきた。テンキーの設置されたドアに守られたエントランスの前で、シャツにカーディガンを羽織り紙袋を提げた美しい中年女性が立っている。


「ママ!」


初華が駆け寄ると、ママと呼ばれた女性は自分とそう身長の変わらない初華の肩に手を回し大事そうに抱き寄せた。そして初華が「アレ源治くん」と源治を指差すと、女性は源治に歩み寄り「ありがとう」と紙袋を差し出してきた。


「娘から聞いてます、パークランドで助けてくれて、登下校も一緒にしてくれてるって。これ、つまらないものだけど」


「え、普通のことしてるだけですし…」


「その気持ちがなおさら嬉しいの。どうかこれからも娘と仲良くしてやって下さい」


そう言って源治の手に紙袋を持たせる初華の母のそばで、初華が「ママちょっと心配性なんだよね」と苦笑いをする。

源治は「ありがとうございます」と紙袋を受け取りつつ、初華からも彼女の母からも自分がかなり好意的に見られていることを内心誇らしく感じた。




初華の母から渡された紙袋の中身は高級洋菓子店の焼菓子詰合せだった。源治の母は連絡網代わりのグループLINEで得たという久留島家の電話に早速連絡を取り仰々しく礼を述べた。源治の父と奈子は高級感のある深い赤色の缶に詰められた焼菓子を眺めどれを食べるかと心を躍らせた。

一方で源治は詰合せの中からノールックでマドレーヌを取りムシャムシャと食べながら颯太とLINEを交わしていたが、唐突にスマホに着信が入り、画面に表示された名前に慌てて自室へと駆け込んだ。


「もしもし?姫野さん、どうした?」


ベッドに腰掛けた源治が着信の相手─マナカに尋ねると、何やら緊張したようにどもりながらマナカが『何てことじゃないんだけどね』と言った。


『中津留くん、今日はいきなり押しかけてごめんね。迷惑じゃなかったかな』


「全然。暇してたし」


『…あ、な、なら良かった。実を言うと最初は女子だけで遊ぶつもりだったんだけど、私が中津留くんと塩月くんも誘おうかって話したんだ。始業式の日に一緒に遊んで楽しかったから、また遊びたいなと思って』


「あ、そうなの?それはそれは…」


マナカが自分を誘おうと働きかけてくれたことに源治は意外なものを感じた。

マナカとは始業式の日まで殆ど話したことが無く、初華の歓迎会の名の下にドーナツ屋で食事をした時も颯太や紫杏を介してのみ会話をしていた。平常から颯太が起こしてきた騒ぎの件もありマナカからは避けられているだろうと考えていたのだ。


「…ありがとう。めちゃくちゃ嬉しい」


『本当?』


「またちょこちょこ集まって遊ぼうよ。毎週とはいかなくとも、月イチとかで」


『…うん!』


マナカが弾んだ声で答える。通話口の向こうでは彼女が眩しいほどの笑顔を浮かべている気がして、源治は得も言われぬこそばゆさを覚えた。

それから二〜三言、言葉を交わして電話を切った源治は頬が緩んでいるのをそのままにリビングへ出た。そこで父、母、奈子が「源治の本命はどの子か」と熱心に議論を繰り広げていることに気づき、自分に矛先が向く前に自室へと戻った。

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