第7話 竜巻の脅威は花園でこそ発揮され 前編

「お兄ちゃァん」


酒焼けを思わせるハスキーな呼び声で夢の世界から戻された源治は、覚めきらぬ頭で今日が土曜日であることを察した。


「お兄ちゃァん、もう昼だよ。起きなよ」


ベッドの脇で妹の奈子(なこ)が再び呼びかける。生ぬるい風の通る網戸の向こうでは、老夫婦の住む隣家から漏れているらしき毎週土曜日12時放送のローカル番組『ひるぐる』のオープニングテーマが聞こえてくる。

本当に昼だわ。源治はのっそりと起き上がると、奈子に顔を向け「おはよう、出ていけ」と辛辣な言葉をかけた。


「ここはお兄ちゃんのプライベートゾーンでありお母さん以外は女人禁制だ。自分の部屋に戻ってテキーラでも飲むんだな」


「酒焼けじゃねえんだよ。お兄ちゃん、女人禁制ったってこの部屋にはエロ本1つ無いじゃないの。中古の筋トレ器具とEXIST関連のグッズとガラの悪いラインナップの服ばっか置きやがって。アスリート志望でも無いのに青春なげうって筋肉育ててるのは多感な10代男子としてどうなん」


「お前は青春=エロなんか?お兄ちゃんはEXIST TRIBEの皆さんを人生の手本にして日夜筋肉と倫理観を磨いてんだよ。あとエロ本は見つかりやすいからデキる男はエロ動画一択だ」


「何でも良いけどさお兄ちゃん、下見な」


気だるげに言いながら奈子が窓を指差す。もしやと源治が網戸を開けて身を乗り出すと、数m下の通りからTシャツ半パン姿の颯太がバケットハットで陰になった顔に笑みを浮かべ手を振っていた。


「源治ィー!エロ動画見てねえで降りてこーい!街行くぞー!」


源治と奈子の会話が聞こえていたのか公道でデキる男の秘密を漏洩させる颯太に源治は「殺すぞ!」とだけ返し、源治はものの10分で歯磨きから着替えまでを済ませ(うち7分間歯磨きをしていた)、仕上げに櫛で梳かした長髪をひっつめると趣味の韓流ドラマを見ているであろう母に外出の旨を伝えるべく居間の戸を開いた。案の定母は40型のTVいっぱいに映し出された切ないラブシーンに胸をときめかせていたが、その横には見慣れぬ4つの人影。


「何だかんだ言ってシネを選ぶんかぁーい!」


「主人公補正ってやつかぁ!?」


「スジンちゃんの努力はどうなるんですかねぇ!」


「脚本作った奴イカれてんのか!」


「何してんの?」


横長のテーブルに肩を並べて口々に文句を垂れる紫杏、恵、マナカ、初華の4人を背後から見下ろして源治は問うた。振り返る4人。


「あらぁ〜寝太郎がやっと起きたわね!お友達がアンタを迎えに来てるのよ!颯太くんは?」


「家の前で公衆猥褻してるよ。遊びに誘うんなら先にLINEとかして欲しかったんだけど」


「驚かせたかったんだもんねぇ〜!」


女性陣が(何故か母も含め)悪戯っぽい顔で笑う。

結構切実なんだけどと源治は不満を抱いたが、しかし別に予定があるわけでも無いし好意で誘ってくれたのだから怒る気にもならない。身支度もしたしどこへなりとついて行ってやろうではないかと思い直し、ドラマへ野次を入れ続ける女子4人に「とりあえず行きますか」と促して家を出た。すると眼前にてスポーツドリンクをガブ飲みする汗だくの颯太の姿。


「おせーぞ源治ィ!」


「大人しく家入っとけや。てか何?なんで街?」


「俺達の遊び場といえば街かパークランドだろうがぁ!中でもバスの路線的に行きやすいのが街って話だ。乗り換え無しのドストレートで行けるし本数も1時間に3〜5本はあるからな!」


颯太の口から語られる田舎特有の交通事情に源治は「これでも多い方なんだよな」と悲しいものを感じつつ、玄関で自分達を見送る母と奈子に「行ってきます」と声をかけた。


「源治ィー、エロ動画は16歳のガキが見るものじゃないからねぇー」


「女の子がいるんだからやめろ!」


声を荒げた源治だったが、エロ動画の件を母に聞かれているということは女の子達も聞いている可能性が高いんじゃないかと気づき頭を抱えた。女性陣は何やら意味深な顔でお互いを見合わせたが何も言わなかった。




中津留家から歩いて5分程の所にあるバス停からバスに乗り、源治達は中心市街へと降り立った。

かつて城下町として町民の衣食住を支えてきたこの中心市街は、石垣のみが残された城跡から南方にある駅にかけて庁舎、オフィスビル、商業ビルが建ち並んでおり、仕事から遊興まで日々多くの目的を持った人々が行き交っている。

10年程前からは地上駅として交通機関としてのみ機能していた駅が高架駅へのリニューアルを遂げ、またアパレルや飲食店、映画館等の入った駅ビルが開業し賑わいを見せている。ただしアパレルショップの駅ビルへの集約に伴い、市街に多く建ち並んでいたファッションビルは広場や飲食店に特化した商業施設へと変貌を遂げてしまった。

そんな中心市街の中で源治達一行が真っ先に向かったのは駅前交差点から北方に延びるアーケード商店街の中にできたタピオカドリンク店だった。ここは市内のトレンドに敏感な人間が注目する新店舗の1つであり、県南の港町から引っ越してきたばかりの初華が予てより行きたいと話していた場所でもあった。

源治達が店に辿り着くと店先には長蛇の列が出来ていたが、客の回転は早くものの20分程で注文に漕ぎ着けることができた。この店の看板メニューはタピオカミルクティーということで女性陣と颯太はそれを注文したが、以前旅先でタピオカミルクティーを飲んで腹が緩くなったことのある源治はタピオカの入ったパッションフレーバーの茉莉花茶を注文した。


「何それ美味そう!一口ちょうだい!」


源治が受け取った茉莉花茶を見た颯太が目を輝かせて頼んできたので、源治は颯太の手からミルクティーを奪いながら茉莉花茶を手渡した。「サンキュゥ〜」と茉莉花茶を吸い込む颯太の横で源治もミルクティーを一口飲み、返された茉莉花茶を受け取りながら颯太にミルクティーを返す。

そうして源治が本命の茉莉花茶にありついていると、今度は初華が「私も飲みたい」と源治の前に進み出た。颯太が「源治お前」と何やら悔しそうな顔をするのを一瞥して源治は初華に茉莉花茶を手渡す。


「あっコレ美味しい」


「初華ちゃん、私も」


「次、私ね〜」


「私も飲む」


初華が飲んだ後、茉莉花茶がマナカ、恵、紫杏を経由して源治の手元へ戻ってきた。カップいっぱいに注がれていた茉莉花茶は3分の2程にまで減り、源治は「飲み過ぎじゃない?」と不満を垂れつつ飲み始めた。すると横からかけられる颯太の「ご褒美だろ」という声。


「女の子が口付けたジュースだぞ。なみなみのジュースよりそっちの方が嬉しいだろ」


「俺、お前がいつかセクハラで訴えられるんじゃないかと心配になってきたわ」


「俺は逆にお前がこういうイベントに対して無機物すぎて心配になってきたわ」


『心配』の名の下に嫌味を浴びせ合う源治と颯太。背後では紫杏達が「コイツらどうやって仲良くなったんだろうな」と呆れていた。




タピオカドリンクを満喫した後、一行はメインの遊び場である駅ビルへと足を踏み入れた。

この駅ビルは食品の取り扱いをメインにした1階、アパレルやコスメショップの並ぶ2階、大規模な生活雑貨店とフードコートのある3階、本屋と映画館を両端に置いてゲームセンターとレストラン街が並ぶ4階に分かれており、源治達は4階から徐々に下に降りる形で散策していくことにした。

エスカレーターに乗って4階へ上がり、蕎麦屋とハンバーグ屋に挟まれた通りを抜けて本屋に辿り着くと、店先に置かれていた人気俳優『餅ヶ浜海星』の写真集を見た紫杏と恵が黄色い声を上げて駆け寄った。


「この海星くん格好良い〜!」


「めっちゃ欲しいけど2500円はキツイってぇ〜」


薄暗い地下道を背景にして不敵な笑みを浮かべる餅ヶ浜海星の表紙を前に悶絶する紫杏と恵。

恵まれた容姿と高い演技力を兼ね備え、仕事に対する異常とも呼べる程ストイックな姿勢を見せることで有名な餅ヶ浜海星には女性ファンは勿論のこと男性ファンも一定数ついており、颯太も「海星くんは俺の憧れ」と豪語している。源治の見る限り、性の煩悩に囚われた颯太は海星から何も学んでいないように思えるが。

ふと気づくと、源治のそばにいたハズのマナカと初華がいなくなっていた。慌てて見回してみれば2人はファッション誌コーナーに移動しており、自身の趣味に沿った雑誌を開いて楽しそうに話している。

女の子達が楽しそうにしてるし、俺も少し雑誌を覗こう。源治は颯太に声をかけ、2人で店内奥にある男性誌コーナーへと向かおうとした。それを何故か隣を通りかかってきた2人組の若い女性が阻んだ。


「すみません、ストレッチの本を探してるんですけど何処の棚にあるのかわからなくて…一緒に探してもらってもいいですか?」


頬を赤く染めて尋ねてくる女性達。その視線は一心に源治へ向けられている。

源治は「なんで俺?」と内心で考えながら颯太に目をやった。対して颯太は何やら訳知り顔で「お前詳しそうだもんな」と言うのみ。


「うーん、あんま詳しくないけどだいたいのコーナーならわかるかも」


「本当ですかー?すごいガタイが良いから色々されてるのかと思って」


「いや、学校の体育がハードなのと筋トレ動画のお陰で鍛えられてる感じですね。あとは体質か…」


『学校の体育』というワードに女性達が目を剥いた。戸惑いすら見て取れる彼女達の表情を源治は怪訝に思ったが、すぐに戸惑いの正体を解した。


「俺、高校生です…1年…」


「えええ!?」


「私達より10個下なんだけど!?」


口を覆って驚きを示す女性達。彼女達は源治を同年代の男と勘違いした上で、源治を逆ナンするつもりで声をかけていたのだ。

女性達の驚きように源治は大人に見られたんだと喜ぶべきか、はたまた老けて見えると捉えへこむべきかと困惑した。そばにはいつの間にやら初華達4人が駆け寄り「どうしたの?」「中津留が逆ナンされたって」と何やら楽しそうに囁き合っていた。

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