第5話 禁じられた呪文は嵐女神を目覚めさせ
「おのれ源治ィ!この体幹オバケが!」
登校して早々殴りかかってきた颯太の拳を胸筋で受け止めながら、源治は「褒めてんの?けなしてんの?」と眉根を寄せた。
騒がしいながらもどこか気だるげな雰囲気の漂う朝の教室。いつも源治を囲んで談笑している男子生徒達は例によって源治の席の周囲を陣取っているが、その表情は明らかに困っている。
「斎藤、コイツ何?」
「お前が階段でこけそうになった姫野さん支えたの見て発情してる」
「きも」
源治は心の底から湧き上がってくる嫌悪感に思わず侮蔑の言葉を吐き捨てた。
昨日、保護された初華を迎えにダンス部の部室へ向かう途中、階段で躓いたマナカを源治が咄嗟に支えたのを颯太は見ていたらしい。しかしそこで何故発情されるのか。
中学以来の付き合いである颯太との関わり方を考え直そうかと思った源治の胸に颯太が「『きも』は傷つくだろ」と再びパンチを喰らわした。
「俺はもどかしくて仕方ないんだよ!だって階段じゃん!好きな子と2人じゃん!支えようとして自分も倒れて密着すんのがセオるむっ」
颯太が全てを言いきるよりも早く、彼の口が源治の大きな手で塞がれた。モゴモゴと唸りながら自身に伸ばされた腕を叩く颯太に源治が「やめろ馬鹿」と言い放つ。
「そのキモい思考回路もだけど、まず学校で『好きな子』とか言うな」
「むぅ?」
「なんで?」と言わんばかりに目を丸くする颯太。その背後に目を向けた源治は諦めを孕んだ笑顔で「もういいわ」と呟き、颯太の口から手を離した。
直後、颯太の痩身が波のように数多押し寄せてきた水色襟のセーラー服に飲まれていった。
「中津留が好きなのマナカだったの!?」
「いつから!?」
「いっつも久留島さんと帰ってんのに!?何なのお前!?」
「どっちもとか言うなよ!」
「『二兎を追う者は一兎をも得ず』って言葉知っとんのか!」
颯太を押し退けて寄り集まってきたクラス中の女子(一部は遊びに来ていた他クラスの女子)に囲まれた源治は「ホラもぉー!」と悲愴に満ちた叫び声を上げた。
女子高生という生き物の殆どは他人の恋愛話に敏感で、身近にいる同級生が異性と話しているだけでもすぐに恋愛に結びつけるし『好き』という言葉が出ようものなら確定演出に突入したパチスロ狂の如く大歓喜するのだ。
「学校で『好き』は禁句なんだよぉー!」
颯太に向け怒りの絶叫を響かせた源治だが、颯太の言葉を確定演出と見なした恋バナ狂達の勢いは止むことなく源治に「どうなんだよ」と質問攻めを喰らわす。
もちろんマナカのことは目で追ってしまう辺り好きなのだろうが、初華と噂になっている以上は妙なことを言って噂をこじれさせたくない。かといって「好きじゃない」なんて答えるのは何だか響きが悪いし失礼だし、何と答えれば良いのか。途方に暮れる源治の目に、離れた所から自分を見つめる4人の女子の姿が映った。源治を指差し爆笑する紫杏と恵、引き攣った笑顔を見せるマナカ、驚いたように目と口を開いた初華。
本人が見ている前だと尚更妙なことは言えない。泣きそうになりながらも思考を巡らせた源治は意を決して口を開いた。
「好きっていうか全然まだわかんないから2人のことをもうちょっとちゃんと知ってから考えたい…!」
辺りが嘘のように静まり返った。しかしすぐさま爆発したように明るい笑い声が響き「純情やん」「可愛い」と好意的な感想があちこちから寄せられた。そこへ鳴り響くチャイムと教室に入ってきた担任の山際。
「おー中津留を囲んで悪魔でも呼んでんのかー?すごいの来そうだなー」
他クラスの女子がいまだ教室に居座っていることを咎めるでもなく山際が呑気な声で茶化すと、女子軍団は「恋バナでぇーす」と明るい声で返して解散していった。
思春期女子の圧力から解放された源治はフラフラとよろめきながら自身の席に戻った。隣の席に座っている志山が「お疲れ。これでも食え」と源治の手に何かを握らせた。茎わかめ(個包装)だった。
大騒ぎがあった後でも初華との登下校は平常通り続く。騒がしい1日が終わり、廊下で同級生の女子とすれ違う度に「進展が楽しみや」「その辺のリアリティショーより面白え」「賭けたぞ」と温かみの感じられない声援を受けながら校舎を出た源治と初華は、敷地外にあるグラウンドへ向けダッシュをする野球部を眺めながら部活に入るかどうかを話し合った。源治が部活に入る意志が無いことを話すと初華が「私もいいかな」と返したのですぐに決着がついてしまった。
「ところで源治君はマナカちゃんが好きなの?」
唐突に、しかし天気か夕飯の話でもするかの如く自然な口調で投げかけられた質問に源治は「うーんそうだな」と首をひねり、それからすぐさま「またそれ訊く?」と目を剥いて初華を見た。
「朝答えたじゃん。まだわかんないって」
「本当にそうなの?好きだけど隠してるわけじゃない?」
「本当にそうだよ。何?なんでそんなに詰めてくんの?」
「私が源治君のこと好きなんだもん」
源治は声を発することも忘れその場に立ち尽くした。初華の発言に衝撃を受けたからではない。頬を赤く染めて愛を訴えてくる初華の、強い意志をもって自分を真っ直ぐに見上げてくる大きな瞳の美しさにあてられてしまったのだ。
「マナカちゃんの方が好きなら仕方無いけど、そうじゃないなら私のことを好きになって欲しい」
絞り出すように言いながら切なげに目を伏せ、源治の腕に絡みつき頬を擦り寄せてくる初華。あまりにも絵画的で且つあまりにもいじらしく、神は、いや初華の家系はとんでもない怪物を産み落としてくれたと畏怖すら覚えつつ源治は初華を諭そうとしたが、口から出た言葉はあまりにも頼りなかった。
「可愛いぃ〜」
源治のやや裏返った間抜けな声を耳にしたギャラリーは皆一様にして考えた。源治が初華に落とされるのも時間の問題だな、と。
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