第3話 天女は指の先で衣を掠め
源治の通う県立鶴巻高校がある鶴巻地区はその昔、大規模な宿場町として多くの旅人を迎え入れ、また見送ってきた。時には日本史の教科書に名が記されているような有名人もこの鶴巻地区の宿を利用したと伝えられており、地区内の至る所に『○○○○往来の地』などと書かれた看板が立てられている。
そんな歴史の濃さを感じさせる鶴巻地区だが、全体を俯瞰してみると飲み屋か常時薄暗い古ビルが占めており、学生の居場所というのは殆ど無い。あってもコンビニぐらいである。ゆえに鶴巻高校の学生達は学校が早く終わると、広大な一級河川を挟んだ先にある隣町へと躍り出る。
林町と呼ばれるその町は商業ビルの建ち並ぶ中心市街地のような華やかさは無いが、スーパーやコンビニ、軽食屋からレストランまで幅広い飲食店、本屋など学校帰りの若者が楽しめるだけの施設は揃っている。もう少し昔は若向けの雑貨店も複数存在したとか。
鶴巻地区から長い大橋を渡って林町へと繰り出した源治一行は、大通り沿いにあるドーナツ屋へと足を運んだ。夏の終わりなど感じさせない強烈な陽光とコンクリートからの照り返しが生む灼熱地獄の中を歩いてきた一行にはクーラーの効いた店内がオアシスのように感じられ、源治は被っていたスポーツタオルを取り払い、後ろで小さな団子にしていた長髪を解いてワシャワシャと掻き回した。髪の間に冷気が滑り込み火照った頭が冷えていく。
ふと源治が背後にいる仲間達に目を向けると、先程まで楽しそうに喋っていた女性陣が押し黙り源治を見つめていた。汗でも飛ばしてしまったかと思った源治が「ごめん、飛んだ?」と声をかけると、先頭にいた紫杏がハッとして「いやアレ」と首を横に振った。
「中津留ってEXIST好き?」
「うん?うん」
突然の質問に戸惑いながらも源治は頷いた。
EXISTとは日本の音楽業界を席巻するダンス&ボーカルグループの名称で、鍛え上げられた肉体が繰り出すキレの良いダンスや渋さと甘さを兼ね備えた歌声に魅了されファンとなった人々が多い。中でも男性のファンはEXISTのヘアスタイルやファッションを手本にする傾向があるが、源治もそういったファンの1人である。
「源治の家行ったらE-ladiesのクソデカいポスターあるからね!E-ladies知ってる!?俺RTD49のすーちゃんが好き!勝井須磨子ちゃん!」
「急転換すぎんだよ」
制汗剤を首に塗りながら口を挟む颯太に呆れ笑いを浮かべつつ、源治は6人で座れそうな席を探した。建物の一面を占める大きな窓に沿うようにテーブルセットが並び多くの鶴巻生でごった返す店内の奥、幸いにも4人掛けのテーブルセットと2人掛けのテーブルセットが空いていたのでそれらを繋げて使うことにした。
席を確保してからは女子から男子の順に交代で注文を取りに行った。このドーナツ屋はドーナツの他にパイや中華そばなどの軽食も揃えており、その上どれも学生の財布に優しい値段である為に源治と颯太は頻繁にここへ通っている。
源治と颯太はいつも頼んでいる汁そばとドーナツのセットを注文した。添えるドーナツには人間の個性が現れるもので、その日の気分で種類を変えている源治はウンウンと迷った末に甘いグレーズのかかったフレンチクルーラーを選んだが、普段から「オールドファッションが1番美味い」と主張している颯太は一途にオールドファッションを選んだ。
対して女性陣は初華だけが汁そばとドーナツのセットを注文し、紫杏達は「カロリーをドーナツに全振りしたい」と各々好きなドーナツを2個ずつ注文した。
女性陣の乱入により騒がしくなった昼食は、紫杏の発案により『初華ちゃん歓迎会』と名付けられた。いつの間に下の名前で呼び始めたのかと源治は紫杏のコミュニケーション能力に若干引いてしまったが、対して初華は6人掛けに繋げたテーブルセットの中心列、窓を背にした席の上で嬉しそうに笑っていた。
それから各々の注文品を囲んで行われたこの歓迎会は穏やかに、しかし年相応の盛り上がりを見せながら進められた。汁そばを食べるのが初めてだという初華が汁そばに口をつけるのを一同は見守り、初華が「美味しい」と笑うと皆自分のことのように喜んだ。恵が「初華ちゃんノワールローズにいそう」と初華の美貌を韓国の女性アイドルグループに例えると、紫杏とマナカがヘアゴムやら櫛やらを取り出し、ウェーブのかかった初華の長い黒髪をツインテールにしてみせた。紫杏達の手腕か初華の美貌がそうさせるのか、あざとさを一切感じさせない大人びたツインテール姿の初華は源治や颯太のみならず周囲にいた多くの学生を感嘆させた。
ドーナツ屋での歓迎会の後、林町中の本屋やアパレルショップを冷やかして回った一行が解散したのは日が落ちかけた18時半過ぎだった。
夏の日没は遅く、夜の7時頃までは空が明るいので時間を忘れて遊び倒してしまう。早く帰って20時から始まる『お喋りナイト』を見るぞと急ぎ足で住宅街を進む源治の隣で、初華が同じスピードで歩きながら「今日は楽しかった」と語りかけていた。
「紫杏ちゃん達と仲良くなれて、色んな所に行って、すごくドキドキした」
「良かったじゃん。ところで久留島さん、なんでついて来てるの?」
「私もこっちの方向だから」
何食わぬ顔で答える初華を源治は目を剥いて見つめたが、ややあって「そりゃついて来るわな」と笑った。
「もしかして家近いんじゃないの?どこ?」
訊きながら源治はうっすらと期待した。初華の家が隣近所にあれば、もしくは映画みたいな話だが一緒に住むことになれば、と。
「横尻のTOASONの裏にある『エイデン横尻』っていうマンション」
源治は脳内に地図を展開させしばし考えた後、努めて朗らかな笑顔で「そっか」と返した。エイデン横尻は源治が住む一軒家から徒歩で15分程という近いとも遠いとも言えない位置にあるのだ。
人生そう映画みたいにはいかないか。当たり前のことだというのに悲しみが湧き上がってくるのを押し殺して自宅の位置を教える源治に初華が「近くな〜い」と追い討ちを喰らわせた。
「やっぱ近くないよなぁ」
「でも行き帰りの方向はほぼ同じじゃん。ね、これから登校も下校も一緒にしていい?」
訊きながら初華が源治の手を取り、優しく握った。ゴツゴツとした自分の手をスベスベとした白く小さな手が包むのに源治は動揺し、時が止まったかの如く固まってしまった。しかしすぐに我に返り「それはアレですね」と受諾とも拒否ともつかない反応をしてみせた。
「多分、色々噂されますねぇ…」
「そう?高校生にもなれば珍しいことじゃないと思うけど。…それとも、」
源治君は私と噂になるのが嫌なの?真っ直ぐに自分を見つめる初華の口からそんな問いが飛び出すよりも早く源治が声を上げた。
「一緒に登下校しようか!」
「やったー」
初華が満面に笑みを浮かべ、胸の前でパチパチと拍手をしてみせた。
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