第15話

 透のスマートフォンに学校から連絡が来たのは、早退して架月の迎えに向かっていた最中だった。勝呂の家との話し合いはまだできていないが、学年主任が気を回して透に連絡をしてくれたのだ。

 架月が病院に運ばれたから来てほしい、という内容だった。指定された病院は学校の近くの公立病院である。

 階段から落ちたときの影響が出たのではないか。悪い想像で焦る気持ちとは裏腹に、道路は夕方で混雑し始め車の進みが悪い。病院に着いたとき、夜のとばりが下り始めていた。

 救急外来の受付がわからず、総合案内で高校名と勝呂架月の名を出すと、すぐに案内された。

 救急外来の廊下には、千津と富田教諭がいた。千津はベンチに座って俯いていたが、透に気づき、顔を上げる。

「勝呂さん」

「酒々井さんも」

「千絵が、千絵が……!」

 千絵は仕事中のところを駆けつけたようだ。ブラウスにスーツのスカート、上着は、高校の近くの仕出し弁当の会社のロゴが入ったウィンドブレーカーを着ている。

「妹さんに、何が」

「……申し訳ありません」

 富田教諭が割り入り、頭を下げた。

「私どもの監督不行き届きです」

 先日と打って変わってしおらしい富田教諭に、透は自分の出方を考えてしまった。

「何があったんですか。ふたりが病院に運ばれるほど」

 質問するが、つい喧嘩腰になってしまう。

 富田教諭は、申し訳ありません、と深く頭を下げる。

「放課後の補習中に、千絵さんは低血糖発作に。架月くんは」

 病院のスタッフに、勝呂架月さんのご家族のかた、と呼ばれ、話が中断されてしまった。透は呼ばれるまま、診察室に入る。診察室の丸椅子に架月がちょこんと座り、黒い瞳が不安そうに透を見上げる。

 「塩川」書かれた名札をつけた年配の男性医師が、座ってちょうだい、ともう1台の丸椅子に透を促した。

「勝呂架月くんですね、先程学校で頭を打ったんですって。この前もお家の階段から転んだそうだと聞いたので、念のためレントゲンとCTとMRIを撮らせてもらいました。画像を見る限りでは、異常ありません」

 塩川医師が、さらさらと話す。

「女の子を守ったそうじゃない。格好良いけど、自分の体のことも気にしてね」

 はい、おしまい。さらさらと診察室を出されてしまう。

「ごめんなさい。俺、おにいちゃんに迷惑かけてばかりだ」

「大丈夫だよ。怪我をしなくて良かった」

「でも、酒々井さんも」

「酒々井千絵さんを守ったんだって? すごいよ」

「そんな大仰なことはしていないよ」

 勝呂くん、と富田教諭が呼ぶ。

「千絵さん、意識が戻ったって。勝呂くんがすぐに気づいてくれたお蔭だよ。今、お姉さんがお医者様から説明を受けているところ」

 架月が、ほっとしたように微笑んだ。俺はたまたま後ろの席だったから、とか、むにゃむにゃ呟く。

「この後、お時間ありますか? 学校に戻って、当事者と一緒に、当時の状況を説明させて頂きたいのですが」

 富田教諭の口調は、どこか圧があるが、責任を感じて、やることはやる態度が感じられた。

「もちろんです。伺います」

 千津が診察室から出てきて、目尻の涙を拭った。

「千絵、数日で退院できるそうです。架月くん、ありがとう。架月くんが気づいてくれたお蔭だよ」

 先程から褒められてばかりで、架月は恥ずかしそうに首を横に振った。

 架月も千絵も学校に荷物を置いたままだということで、教室に取りに戻る。

 千絵の荷物を見て、千津は目を伏せた。

「千絵は普通の子です。高校生として当たり前のことをしたいでしょうし、してもらいたいのに、それすら許されないのでしょうか」

 女子高生の小物にしては地味な黒いポーチの中身は、血糖チェックの機械とインスリン注射の道具である。透はインスリン注射の道具を見させてもらった。

「これ、食前に打つタイプですね」

「ご存じなんですね」

「知識だけですが」

 母親の存命中に、調べたことがある。透の母は、食後に打つタイプのインスリン注射をメインに使用していたが、インスリン注射は主治医によって処方が異なる。

「お待たせして、すみません」

 富田教諭が教室に入ってきた。机の向きを変え、「島」をつくる。

「数学の補習授業を行っていた、片山と申します」

 片山教諭は、若い男性だった。教員になって数年しか経ってなさそうで、幼顔だが確固たる意思がありそうな表情をしていた。

 学年主任や、もっと上の立場の教員も加わった。副校長だという。

「ふたりの生徒が病院に搬送されたことについて、大変申し訳ありません」

 富田教諭が、再び頭を下げた。透個人としては色々思うところがある人物だが、今回の件は心底心を痛めていることは、理解できる。ただ、富田教諭は直接関わったわけではないようだ。

「自分から説明させて頂きます」

 片山教諭が、淀みなく話し始める。

「放課後に補修授業を行い始めたところ、酒々井千絵さんが菓子を出してしていました。注意喚起しましたが聞き入れてもらえず、やむを得ず菓子を没収しました。それからしばらくして、勝呂架月くんが騒ぎ始めました。酒々井さんにお菓子を返すよう、声を荒げたのです。勝呂くんは、席で眠そうに体を傾ける酒々井さんに抱きつき、自分のケータイで119番通報し始めました。その後、没収した菓子を教壇まで奪いに来て、酒々井さんと教室から出ようとしたので、止めました。そこで勝呂くんは、尻餅をつく拍子に机の角に頭を打ったと主張しています。以上です」

 片山教諭は、自分の出番は終わったとばかりに満足そうな顔をした。もしもこの人が同級生だったら関わりたくないタイプだ、と透は思ってしまった。

 違う、と架月が呟いた。

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