裏・公達が死した姫を弔い、不思議な夢を見た話
上
ある仲冬の朝、左京の屋敷でのことである。
──ひいい。
女房の悲鳴を聞き、目覚めたばかりの公達が、家人に声をかける。
「なんとした」
すぐに家人が参上して、なんとも恐ろしげな顔で、彼の見たものを語る。
「南庭に骸が出てございます。一糸もまとわぬ娘でございます。ああ、不吉なこと」
「欠けたるところはあるか?」
「ございません。いえ、傷一つないようでございます」
「うぅむ」
骸は例外なく穢れを齎すものであるが、欠損のない骸となると、その穢れは最も強いものとなる。
三十日に及ぶ禊祓を行わなければ、宮中に出仕することも叶わない。不吉であり、災難と言えた。
しかし、これも洛では珍しくないことなのである。嘆かわしいことであるが、嘆いてばかりもいられなかった。
「狩衣を持て」
「は、いえ、骸になど近う寄られますな」
「穢れなら既に移っていよう。父上がおいでになる前に、指図を済ませておかねばならん」
折よくというべきか、当主は宿直で宮中におり、まだ穢れを受けてはいない。
ゆえに、彼が一切を指図し、父へ報せも送らなければならないのだ。
家人を急かして身支度を調えると、公達は気後れも見せず、南庭へ足を運んだ。
果たしてそこには、冬の冷気に中てられた骸が横たわっていた。
傷一つないと言ったが、足裏はひどく傷んでいた。自力でここまで辿り着き、力尽きたのであろう。
俯せに倒れ、腰までの長さで切られた髪が背に流れている他は、やはり一糸も身に付けていない。
なんとも惨い姿であった。それでいて、醜さとは全く縁遠い姿でもあった。
「なんと……」
狩衣が地に着くのも気に留めず、公達は骸の側に跪く。
譬えようもない美貌であった。
彼とて、美姫の噂を聞き付け、垣間見に走ったことはある。歌を詠み交わし、体を重ねたこともある。
だがこれほどの美しさ、内裏でさえ望みうるものかどうか。
体つきは、やや細身に過ぎるかもしれなかったが、実に均整が取れていて、見苦しいことはまったくない。
これで呼吸さえしていたなら、どんなにか魅惑的であったことか。
生前の美しさを思うほどに、打ち捨てられた如くに死に絶えた姿が哀れでならない。
「な、なにをなさいます」
家人の慌てるのにも構わず、公達は骸を抱き上げた。
殿上人たるものが、自ら骸に触れるなど、物狂いと思われてもやむないことだ。
「禊祓の手間は変わるまい。衆目に骸を晒すほうが、見苦しいことだ」
「さも、ありましょうが……」
嘘はないが、本心でもない。姫があまりに哀れで、捨て置くに忍びなかっただけだ。
禊祓が六十日になろうが、そうしただろう。
「曹司に運ぶ。畳を用意せよ」
「お、御曹司に? 公達、おやめなされ、ああっ」
寝殿内の私室である。生者とて、軽々に通してよいところではない。
ましてや死者である。まったく常識外れなことといえた。
公達の奇矯な振る舞いは、それにも留まらなかった。
身を清めさせ、八重畳に褥して骸を寝かせ、二年前に他界した妹の小袖を着せ、ふすままで掛けて、眠っているかのごとき姿に仕立て上げた。
しかも、それを手ずから行ったのである。父がいれば、さすがに許されなかったに違いない。
彼自身、なぜ自分がそうまでするのか、しかと悟っていたわけではなかった。
胸の内を詠み上げるもままならない。
骸が相手では、相聞にならない。離別でもなく、哀傷でもありえない。
父へ、叔父に宿を求めるよう報せを送ると、歌を詠めない代わりに、一心に法華経を読み上げた。
これは弔いなのだろうか。それもわからない。一面識もない姫である。これほどの美貌を忘れるはずもない。笑みも知らず、声も知らず、字さえもまた知り得ない。
ならば、物の怪に憑かれただけやもしれない。そうであればどれほど良いことだろう。どのような験者であれ、死者を黄泉還らせることはできないのだから。
慄く家人、女房を他所に、 法華経を読み上げては、禊祓の支度を命じ、また読経する。
それを夜まで繰り返すと、襖一枚隔てて、公達は眠りに就いた。
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