表・姫が鬼に拐かされ死んだが、御仏の慈悲によって父母の許へ帰った話

 今となっては昔のことであるが、洛の左京に、それは美しい姫がいた。


 烏珠ぬばたまの髪に、玉の如き白い肌。話す声は幼気で可愛らしく、ひかえめな所作も、なんとも魅力的であった。

 万葉を諳んじ、詠じることは巧みで、返歌にもまた機知があった。


 その美しさは名高く、女房にも親しみがあったので、悪い噂を立てられることもなく、求愛の歌が寄せられることは引きも切らなかった。

 けれども、美しいのと同じだけ慎み深く、返歌もあまりに鋭かったので、そうそう垣間見を許すこともなく、その美しさを本当に知るのは家の者だけであった。


 そんな姫のことを、父も母も心配しなかったわけではないのだけれど、姫はまだ若かったし、気立ての良い娘であったので、いずれ相応しい人が見つかるであろうと信じ、半分は、可愛い娘が自分たちのもとで育っていくことを喜んでもいた。


 姫が拐かされるなどとは、全く考えてもいなかったのだ。


 すすきの揺れる秋の夜、姫は忽然と消えた。


 家の者はみな周章狼狽し、嘆き悲しむことは長雨のようで、手を尽くして姫を探したのだけれども、行方は杳として知れなかった。

 この頃は、左京と雖も鬼や土蜘蛛が跋扈して、内裏でさえ似たような有様であったので、いずれ、そうした類の仕業と思われた。

 鬼にくらわれてしまったのでは弔いようもなく、あまりにも無慙なことで、悲痛は癒えることもなかった。


 そうした、果ても見えぬ悲しみの日々が終わったのは、とある公達からの報せによってである。

 庭先で死んでいた娘がおり、それが、噂に名高き姫のものではないかと思い至り、遣いを寄越してきたのだ。


 まさか、この公達が姫を拐かしたはずもない。また、そうであれば報せてくることもあるまい。

 父母が訪ねてみれば、果たして、それは消えた娘に他ならなかった。

 死は穢れと雖も、また、生きて再び見えることは叶わなかったと雖も、ようやく娘の行方を知ることができた。


 死んだ姫に対する公達の行いは、習わしに即せば奇妙なことであったが、姫を憐れむ心映えは立派なことであった。

 父母も、一心に娘の取り返されんことを祈ったので、御仏が慈悲心を起こされ、公達にそのことを悟らせてくださったのであろう。これもまた不思議な話である。

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