8撃目

Splendidaすばらしい……

 黒尽くめの男は、思わずそうつぶやいていた。

 アレは素人だ。それは間違いない。所作のすべてがそれを物語っている。だがどうだ? その素人が、おそらくは殺しの才能ただ一つだけで、あれほどの闘争をやってのけたのだ。

「フム……拍手の一つも送ってやりタイところデスが」

 男は潜んでいた物陰から、素早く周囲を見回す。寂れた商店街のどこに潜んでいたのか、好奇心にかられた野次馬がぞくぞくと集まってきつつあった。早く到着した者たちはスマホを取り出し、その場の惨状を写真や動画に収めようとしていた。

 遠くのほうから、サイレンが聞こえてきた。この国の司法機関にしては遅いほうだが、どちらにせよ悠長に構えていられる時間は残っていなさそうであった。

 男は滑るように動きだした。キナコより速く、キナコより静かに。


「……あれ?」

 思考の網から抜け出したキナコは、血まみれの羽白田を不思議そうに眺めた。

「い、いつのまにか、組長さんを半殺しにしちゃってたよ祥子ちゃん」

(キナコちゃんってば……結構危なかったんだよ。キナコちゃんの体が組長さんの殺気に反応しなかったら、今ごろは……)

「ひええ、今度から気をつけよう」

 ぶるる、と軽く身震いをしてから、キナコは羽白田に近寄っていく。地面に尻をつけたままの羽白田は、青い顔をしながらキナコの顔を見上げていた。

 ヤクザである自分が、幼い少女を下から見上げるこの形は、彼にとって屈辱以外の何者でもない。だが、動けない。ダメージと出血はもちろんだが、動けない原因はそれだけではない。

 蛇ににらまれた・・・・・・・

「組長さん」

 キナコに呼びかけられ、羽白田の体がギュッとすくむ。

「くれますよね、ピストル・・・・

 羽白田は答えない。答えられない。

「くれますよね」


 カシャッ、という音が響いた。


 キナコが音のしたほうを向くと、そこには高校生らしき制服姿の少年が立っていた。興奮を隠せない表情で、手に持つスマホをキナコに向けている。

「え」

 キナコはそこではじめて辺りを見回してみる。全く気づいていなかったが、キナコと羽白田の周囲は、いつのまにか沢山の人に囲まれようとしていた。老いも若きも、男も女も、みなキナコたちを遠巻きに見ながら、手に持つスマホで撮影を試みていた。


「ウソ……」

 それは、キナコにとっては信じられない光景であった。

 祥子のような「完璧」な人間ならともかく、いたって「ふつう」の自分が、こんなに多くの人から注目を浴びているなんて!

 キナコは、自分の体がかすかに震えていることに気づいた。様々な感情が、キナコの内側を駆け巡っていく。

 ――すごい、すごい、すごい! これ私、今ぜったい「特別」扱いされてるよ! 嬉しい、嬉しすぎる! やっぱ、殺し屋って……サイコーだ!


 キナコは、誇らしげに金槌を振り上げた。

 シャッター音が次々に響く。

 次の瞬間、キナコの意識は暗闇に包まれた。


(キナコちゃん! ねえ、キナコちゃんってば!)

「うーん、むにゃむにゃ。もう食べられないよう……」

(嘘……こんな寝言、本当に言う人いたんだ……じゃなくて、キナコちゃんってば!)

「うひゃあ!?」

 キナコは慌てて体を起こした。キナコの体にかけられていた薄いシーツが、その勢いで落ちた。

「……あれ? ここは……どこ?」

 そこはキナコの見知らぬ部屋であった。広さはさほどでもなかったが、窮屈さを感じることはなかった。部屋にはほとんど何もなかったからだ。あるのはキナコが寝ているソファと、小さいがあまり薄くないテレビ、それに今にも壊れそうな椅子だけだ。

「ん……この匂い……」

 キナコは犬のように鼻をひくつかせた。

(コーヒーの匂いかな)


「オヤ、起きましたカ。気分はドウですかナ」

 訛りのある日本語が聞こえてきた。キナコがそちらに顔を向けると、そこには湯気を立てるマグカップを手にした黒づくめの男が立っていた。

「え? えっと……」

 答えようとしたキナコの全身に激痛が走る。

「びゃあ?! 痛い痛い痛い!」

「……フム、まあそうでしょうネ。アナタ、あの場で気絶してしまった・・・・・・ンデスよ。ガンバリスギて、ガス欠を起こしてしまった・・・・・・・・んでショウね。それで、ワタシがここまで運んできたというわけデス」

「あ……そうなんですか。その、ありがとうございます」

 男は椅子に腰掛けると、コーヒーを不味そうにすすった。そのままマグカップに視線を落とし、キナコには目もくれない。

「……」

「……」

 沈黙の時間が過ぎていく。

(キナコちゃん、この人知り合い?)

「いや、全然知らない人だよ」

(外国の人っぽいよね)

「うん……ますます心当たりがないよ……うー、よし!」

 キナコはわざとらしい咳払いをすると、男に体ごと向き直った。

「えーと、あの、初めまして……だと思うんですけど、あの、あなた、いったい誰なんでしょう?」

 男は答えない。答えずにコーヒーをすするだけだ。

「えーっと、その」

「アナタ、殺し屋になりたいそうデスね。それはどうしてデスか?」

「え?」

 男はいつのまにか顔を上げ、虚無そのものの目でキナコを見つめていた。

「どうしてデスか?」

 再びの問いかけ。静かな声色であったが、なぜか答えずにはいられない気持ちにさせられる、そんな声であった。

「えっと、その……たぶん、なんですけど……私、殺し屋の才能があると思うんです。だから、せっかくならその才能を活かしたいなー、なんて」

「殺し屋の才能、デスか。そんなものがあると、どうしてわかるんデス?」

「そ、それはですね」

 キナコは、今日起こった一連の出来事を男に話して聞かせた。祥子のこと、ピストルのこと、事務所に乗り込んだこと……。

「ああ、そこから先はもういいデス。全部見てましたカラ」

「へ?」

「アナタが事務所に乗り込んですぐ、ワタシもあの場にオジャマしていたんデスよ」

「えー、そうなんですか?! 全然気づかなかった……」

「ダカラわかりマス。アナタには確かに、間違いなく殺しの才能がある」


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