5撃目
羽白田の傷だらけの顔が、真紅に染まっていく。それに呼応するかのように、上半身が小刻みに震えながら膨れ上がっていく。
「へ、変身してる!?」
(さすがに違うと思うよ……でも、気をつけたほうが良さそう)
ぱん、という音とともに、羽白田の上半身が弾け飛んだ。
「ぎゃあっ! 爆発した!」
(キナコちゃん、悲鳴が汚い! 落ち着いてよく見て!)
祥子にうながされて、キナコは落ち着きを取り戻す。よくよく見れば、弾け飛んだのは羽白田が着ていたスーツのみ。さらけ出されたのは古傷と彫り物だらけの上半身。両の腕には天使が舞い、キナコからは見えない背中には、涙を流す聖母マリアと両の中指を立てて挑発するイエス・キリスト。その全てが、赤く赤く染まっていた。
(まさか、筋肉で弾き飛ばした……ってこと?)
「ええー! そんなこと、ほんとにできる人いるんだ」
「さてと……」
羽白田がキナコに向けて一歩踏み出す。たったそれだけで、床が、部屋全体が、そしてその場の空気が一斉に震えた。
隣で見ている柴の顔が、人知れず紅潮する。彼が羽白田組に入るきっかけとなったときのことを思い出していたからだ。あの日、小さなグループを率いてイキり散らすチンピラに過ぎなかった彼に降りかかった、羽白田の
「うちの
羽白田は手近にあった事務机を左手で掴む。
「潰したらあ!」
そのままキナコに向けて投げた。大の大人が二人がかりで持ち上げるようなデスクが、弾丸にも劣らぬ速度でキナコ目がけてすっ飛んでいく。
(キナコちゃん!)
「大丈夫!」
キナコは、すんでのところでデスクをかわす。デスクはそのまま事務所の壁にぶち当たり、派手な音と共にバラバラに弾け飛ぶ。背中に飛んでくる破片を感じながら、しかしキナコは鋭い踏み込みで眼前に迫る羽白田に全感覚を集中する。その圧倒的威圧感は、それだけで人ひとりぐらいは殺せそうなものだった。
「潰す!」
「ピストルください!」
振り下ろされる羽白田の拳と、振り上げられるキナコの金槌がぶつかり合う。一度、二度、三度。羽白田の拳は止まらない。ありとあらゆる角度から、変幻自在にキナコに迫る。キナコの金槌も止まらない。羽白田の拳を一つ残らず叩き落とし、叩き返す。硬いもの同士がぶつかり合う硬質の音が、事務所内に響き渡る。火花散る。
不意に、羽白田が右脚を蹴り上げた。キナコの体を両断しかねない一撃を、だがキナコは足で踏み、反動で空中へ。そのまま後方宙返り、勢いを殺す算段だ。
羽白田の腕が伸びる。宙に浮くキナコの足をつかむ。
「わ!」
(キナコちゃん!)
「死ねオラァ!」
羽白田は振り向く勢いでキナコを後方へ投げる。先ほどの事務机と同じ勢いでキナコはすっ飛んだ。その先には、事務所にただ一つの窓。防弾仕様だ。だが止まらない。派手な音とともに窓が割れ、キナコはそのまま外へと飛んでいく。
「逃がすかあ!」
羽白田が走る。前方は事務所の壁。
「邪魔だオラア!」
羽白田は壁を吹き飛ばし、空へと躍り出た。寂れた商店街の路上、その空中で、羽白田はキナコを――向かいのビルの壁に
「なに、ガンつけてんだコラア!」
「ピストル、くださいってば!」
キナコが壁を蹴る。羽白田が拳を振りかざす。
「クソ、急いで追わないと!」
柴は口元を手で抑えながら、羽白田が壁に開けた大穴から飛び出そうとし、慌てて思い直した。ここは三階だ。当たり前の話だが、人は三階から飛び降りればタダでは済まない。
「ちっ……組長はともかく、なんだってんだあのガキは」
柴はそう言いながら身をひるがえし、事務所入り口に駆け出す。はやく、はやく追わなくては。
そうあせる柴の視界の隅に、彼の見知らぬ男が一人立っていた。
「え」
黒づくめの男だった。スーツも、シャツも、ネクタイも、帽子も、靴も、全てが影の色をしていた。シワの多い顔立ちには、なんの表情も浮かんでいなかった。そのことに気づき、柴の背中を冷や汗が流れる。
この場、この状況で、
男は、ぐったりと横たわる陽菜の顔に手を伸ばしていた。彼女の視界をふさいでいる粘着テープを外そうとしているらしかった。
「静かニ、落ち着いテ」
外国人らしき訛りの日本語で、男は陽菜に話しかけた。感情のこもらぬ、だが聞いた者を落ち着かせる、不思議な声音。実際、話しかけられた陽菜は、男になんの抵抗もなく身を委ねていた。
「アナタを助けにきましタ。もう、安心ですヨ」
「……ちょっと待てオイ!」
柴は手に持っていた銃を男に向けた。羽白田に手渡されたものだ。
「なに勝手なことしてんだお前。どこの
男は、柴のほうを見もせずに答える。
「おやシバサン。アナタはワタシのコト、知っているモノだと思ってましたヨ」
「……なんだと?」
「ハジメマシテ。ワタシ、『組織』の殺し屋デス」
陽菜の拘束を手際よく外すと、黒い男は立ち上がる。
「この子の
男が、初めて柴を見た。柴は男の瞳を、そこにある虚無を見た。
柴の手が、彼の意思と関係なく細かく振るえだす。マジか。マジでそんなものが存在するっていうのか。信じられない。信じたくない――。
「そんなおかしな依頼デスんで、引退寸前のワタシに回ってきたと、マアそういうワケなのデス」
男が柴に向け、一歩踏み出す。柴は気圧されるように、一歩下がった。銃口は男に向けたままだ。
「シバサン。ワタシは依頼を果たしにきたダケなのデス。アナタやハシロダ組になにかしようなんて、今は全く考えてイマセン。だから、その銃をおろしてもらえませんカ?」
「……嫌だ、と言ったら?」
「そのときは、殺し屋に銃を向けるということが
そう言った男は、いつの間にか柴の目の前に立っていた。まるで手品のように、柴の手から銃を奪い取る。
柴が驚愕の声を上げるより先に、男は元の立ち位置まで戻っていた。両手をゴソゴソと動かしている。
あっけにとられる柴に向けて、男は両手を振ってみせた。男の手から、完全に分解された銃の残骸がこぼれ落ちた。
『組織』の、殺し屋。
柴はもはや、目の前の男がそうだということに何の疑問も持っていなかった。
「シバサン。アナタは賢いヒトだ。自分が今なにをすべきカ、これでもうわかったはずデス」
顔中から汗を垂れ流しながらうなずくと、柴はゆっくりとした動きで事務所の入口へと移動し始めた。そのあいだ、決して男から視線を外そうとはしなかった。男のほうは陽菜に何事か話しかけており、最早柴のほうには目もくれない。だがそのかわり、その場の
柴がその場から去った後、陽菜に少し待つように伝えると、男は羽白田の開けた壁の穴に向かって歩き出した。外からは激しい物音と、少なからぬ人々の立てるざわめきが聞こえてきていた。
男は歩きながら、先ほどまでのできごとを思い返す。
事務所の前で侵入方法を模索していた男を尻目に、真正面から乗り込んでいったあの少女。名はなんと言ったか。てっきり狂人の類いかとも思ったが、どうやらそうではないらしい。瞬く間にヤクザどもを葬ってのけたあの手並み、長くこの稼業を続けてきた自分から見ても惚れ惚れするものであった。
だが、殺し屋としては三流以下だ。やり方が派手、かつ
「……ひとつ、お節介を焼いテあげるとしようかネ」
男はそうひとりごちると、穴から8メートルほど下の地面へと飛び降りた。
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