4撃目

 羽白田は怒っていた。額の内側で毛細血管が数十本切れたのが感触でわかった。それはいきなり乗り込んで来て組員を皆殺しにしようとしている、訳のわからないクソガキに対しての怒りであった。同時に、そのクソガキに手も足も出ない組員たちの不甲斐なさに対してでもあった。

「柴、柴よお。何なんだありゃあ。カチコミってわけじゃあねえよなあ? ヤク中か? にしちゃあ、目がマトモだけどよお」

「わかりません、ただ」

 小気味良い音が事務所に響いた。組員がまた一人、痙攣しながら床に倒れ込んだ。

「ただ?」

 羽白田はちらと柴の顔を見る。わずかに強張っている。冷静沈着なこの男にしては珍しい。

「笠井のことを調べたとき、ヤツがある『組織』とつながっているって話が浮かんできたことがありました」

「はあ? 『組織』だあ?」

「ええ。殺し屋の『組織』です」

 柴は中指で眼鏡を持ち上げた。

「正直、与太話に近いと思ったんで、ほっときましたが」

「その『組織』だかなんだかが、あのガキを送り込んできたってのか」

「わかりませんが、その可能性はあるかと」

 それを聞いた羽白田が何かを言いかけたとき、彼の足元に一人の組員が倒れ込んできた。山下というその男は、口と鼻から血を流しながら羽白田に向かって手を伸ばしてきた。

 羽白田は山下の顔を蹴り上げてとどめを刺すと、懐から拳銃を取り出した。別の組員の頭に金槌を振り下ろそうとしているキナコの、後頭部に狙いを定める。

「『組織』ねえ。こんなガキを使ってるようじゃあ、たいした奴らじゃねえんじゃねえか。ま、どっちにしろぶっ殺すだけだし、どうでもいいか」

 引き金を引いた。一度、二度、三度。


(キナコちゃん!)

 祥子の叫びが響いた。キナコは後ろから迫る気配・・に向かって、そちらを見もせずに金槌を振るった。一度、二度、三度。

 甲高い音がした。

 誰かの写真を飾った額と、人を殴る用の灰皿が、派手な音と共に粉々に砕け散る。キナコが弾き飛ばした銃弾によってだ。

 最後の一発は、陽菜の顔のすぐ横に着弾した。陽菜は短い悲鳴とともに、軽く失禁した。

「……はあ?」

 羽白田の口から声が漏れる。

 訪れる静寂。

 羽白田は手に持つ拳銃とキナコを交互に何度も見て、最後に隣に立つ柴を見た。柴は、口を阿呆のように開けてキナコを見ていた。羽白田が初めて見る表情だった。

(すごい、すごいよキナコちゃん! ピストルの弾を防ぐなんて! いったいどうやったの?)

「え? えーと、なんかこう、後ろから何かが飛んできた気がしたから、こう、エイエイって」

(……ごめん。ぜんぜんわかんない)

「うー。正直、私も全然わかんない。やってみたらできちゃった、って感じなんだもん」

(な、なるほど……。でも、それってやっぱり、キナコちゃんの才能のなせる業なんだろうねー。すごいよキナコちゃん)

「そ、そうかな。えへへへ」


 そう。遠山キナコという少女は、ごく平凡な女子高生である。容姿も知能も運動神経も性格も何もかもが「ふつう」の、どこにでもいる女の子だ。

 だが、彼女にはあったのだ。たった一つの、世にもたぐいまれなる才能が。

 世界中の誰にも負けない、いや、それどころか人類の歴史を紐解いてみても彼女に匹敵する者は存在しえなかった、と断言できる天賦の才能が彼女には備わっていたのである。


 すなわち、金槌で人を殴り殺す才能・・・・・・・・・・・が。


 彼女の人生は、すべてが金槌で人を殺すためにあった。彼女が「ふつう」だったのは、今までの彼女を測る物差しが「金槌で人を殺すこと」ではなかったからだ。彼女の肉体、思考、感覚、機能、彼女のありとあらゆる全ては、金槌で人を殺すために最適化されていた。そこに理由など無かった。どう振るえば金槌で人が殺せるのか、どう動けば金槌で人が殺せるのか、どうかわせば金槌で人が殺せるのか、どう見れば、どう聞けば、どう言えば、どう考えれば、どう感じれば、どう触れれば、金槌で人を殺せるのか。彼女の人生は、ただひたすらそのため・・・・だけにあったのだ。

 遠山キナコという女の子は、つまるところ「何をどうすれば金槌で人を殺せるのか・・・・・・・・・・・・・・・・・」という問いへの、人の姿をした究極の解答なのであった。


「よーし、それじゃあ」

 キナコは締まりをなくしていた顔を彼女なりに引き締めると、羽白田のほうに向きなおった。

「組長さん、ですよね?」

 ちょっと道を尋ねるかのような、何の気負いもない声で話しかけられ、羽白田はほんの一瞬だけ困惑した。子供のころから鬼、ケダモノ、悪魔と恐れられ、またそう呼ばれるにふさわしい修羅の道を歩んできた羽白田に対して、そんな気安さで話しかけてきた者など無かったからだった。

「……だったらなんだ」

「えーっと、実は私、殺し屋になりたくて」

「ああ?」

 金槌をバトントワリングの要領でくるくる回転させながら、キナコは語り続ける。

「それで、殺し屋になるために、まずはピストルを手に入れようって思ったんです。ほら、殺し屋さんって大体持ってるもんじゃないですかピストル」

「おい、待てよ。ちょっと待て」

「というわけで、くださいピストル。さっき撃ってたやつでいいです。新品じゃなくても気にしませんから」

「待てっつってんだろうが!」

 至近距離に落雷があったかのような怒声に、柴の体がかすかに跳ねた。キナコはと言うと、目を白黒させながら両耳に指を突っ込んでいた。

(す、すごい声……)

 脳内の翔子も驚いている。

「ってことはなにか? 殺し屋でもなんでも無いお前が、ピストルほしさに事務所殴り込んできて、そのついでに組員皆殺しにしたってワケか? お前、ちょっと頭おかしいんじゃねえのか」

 ちょっとじゃないだろ。

 柴は思わずツッコミそうになったが、鋼の意志でなんとかこらえる。

「人の真剣な思いを、頭がおかしいなんて言わないでください! 私、本気なんです! 本気で殺し屋になりたいんです!」

 ムッとした顔でキナコも叫ぶ。

 いやいやいやいや、どう考えてもおかしいだろ、頭。柴はまたツッコミを飲み込む。そもそもお前、殺し屋になりたいからピストルを奪いにヤクザの事務所に乗り込むってお前。

「ピストルくれないっていうんでしたら、私、あなたを殺します。殺してでも奪い取ります」

「ああ? 誰が誰を殺すって? ずいぶんとなめたこと言うじゃあねえか」

 羽白田はピストルを柴に投げ渡した。その額に何本もの血管が浮かび上がっていく。

「いいこと教えてやるよクソガキィ。ヤクザをなめるってのはなあ、この世で一番やっちゃあいけないこと・・・・・・・・・・・なんだぜ」

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