2撃目
「ええと、ここで合ってるよね?」
しばらく歩いた後、キナコは古めかしいビルの前にたどり着いていた。スマホに表示された写真と、目の前の3階建てのビルを何度も見比べる。ビルの1階はコンビニ、2階には「テナント募集中」の張り紙、そして3階、そこに目当ての場所があるはずなのだが。
(たぶん、あってると思う。看板とか何もないから、わかんないけど)
「あ」
コンビニの横の階段から、一人の男が降りてきた。この暑さの中、スーツ姿である。青々と剃られた頭、口元にヒゲ。
男は道路に出るなり、地面につばを吐いた。
「見て祥子ちゃん。あの人、絶対そうだよ」
(ホントだ。いかにもって感じ)
「よーし、それじゃあ、やるぞ」
(がんばってキナコちゃん)
キナコは小走りで近づき、不審な表情を浮かべた男に話しかけた。
「こんにちは。オジさんって、ヤクザですか? ヤクザですよね? だったら持ってますよね、
「……あ?」
戸惑う男に構わず、キナコは話し続ける。
「ドラマなんかでもよくピストル撃ってるし、警察にたくさん取り上げられてるのもニュースで見たことあります」
「は? 何だお前、何言ってん」
「だからピストル、手に入れに来ました。でもごめんなさい、お金は払えません。持ってないんで。でも私、こう見えて殺し屋志望なんで、オジさんを殺してから奪うことにしますね」
言い終えた瞬間、後ろ手に隠していた金槌を振り抜いた。
小気味良い音が響いた。こめかみを強打された男は、白目をむいて崩れ落ちる。一撃だった。
「よーし」
死体のそばにしゃがみ込むと、キナコは男の懐を探り始めた。しばらくゴソゴソと弄っていたキナコだったが、やがて
(なかったんだね)
「なかった」
しおしおの顔のまま、キナコはビルを見上げる。視線の先には3階の窓。ネットの情報が正しければ、そこには広域指定暴力団『
「しかたないなあ」
右手に持った金槌をくるくると振り回しながら、キナコはコンビニ横の薄暗い階段に足を向けた。その足取りは、こころなしか楽しげであった。
『羽白田組』組長である
ここは『羽白田組』事務所。羽白田は、両足を頑丈そうな机の上に投げ出した姿勢で椅子に座り、目の前の物体に冷ややかな視線を投げかけていた。歳はまだ三十を少し過ぎたばかりの彼であったが、鍛え上げられた肉体と傷だらけの強面が、本当の年齢をわかりにくくしていた。
彼が見ているもの――安物のソファーの上に転がされたそれは、人であった。正確には、制服姿の女子高生である。ただし、その手足は結束バンドで拘束され、目と口は粘着テープでふさがれていた。少女は声にならない声を出しながら、苦しげに身をよじっている。その様子を、七人の組員が下種な表情を浮かべて眺めていた。
「お嬢ちゃん」
羽白田が陽菜に語りかける。決して大きくはないが、力強い――
「一つ、言っておきたいことがあるんだよ。聞いてくれるか?」
陽菜は、顔を激しく上下に動かした。粘着テープの隙間から、息と唾液が漏れていく。
「素直なのは助かるぜ。素直じゃないやつの相手するのは嫌いだ」
羽白田は煙草をくわえる。すかさず、一人の組員が煙草に火をつける。
ゆっくりと吸う。
ゆっくりと吐き出す。
「さてと」
たっぷりと間を取って、羽白田は話を続けた。
「お嬢ちゃんがこんなことになっちまったのはな、あんたの親父さんのせいなんだよ。親父さんがな、俺たちに恥かかせてくれちゃったから、あんたこんな目に合ってるってわけ。わかるよな?」
陽菜は、またもや頭を上下に振った。実際は全くわからなかったが、ここで首を横に振ることなどできるはずもなかった。
「俺たちヤクザにはな、お嬢ちゃん。ひどい目にあわされた相手には、
羽白田はうんうんとうなずくと立ち上がり、陽菜の口をふさぐ粘着テープに手をかけた。陽菜が、びくりと反応する。
「さて、今から俺は、このテープを外す。あんたに聞きたいことがあるからだ。けどなお嬢ちゃん、ここで一つ約束だ。あんたは俺の質問に答えるとき以外、絶対に声を出すんじゃねえ。いいか、
陽菜はわずかに戸惑うようすを見せていたが、やがてこくりとうなずいた。
「そうか、大人の言うことをよく聞くいい子だな」
羽白田はそう言うと、粘着テープをゆっくりとはがしていった。陽菜の口が自由になる。荒い息が、口からこぼれ出た。
「さて、それじゃ聞きたいんだが」
羽白田は陽菜の耳元に口を寄せると、ささやくように言った。
「
「え」
「ん? どうだ? どれがいいんだ、言ってみろよ」
「……ご、ごめんなさい。質問の意味が」
羽白田の拳が、陽菜の脇腹にめり込んだ。
陽菜の口が大きく開き、そこから声とも息ともつかない何かがこぼれ出た。全身をじたばたと動かし悶える陽菜を、羽白田は冷ややかな目で見つめていた。
「約束、だろ。質問に答える以外はしゃべらないって」
「で、でも」
再び拳。
「ったく。あんた斎賀女子の生徒なんだろ?
陽菜は答えず、荒い息を吐くだけだ。目を覆う粘着テープの隙間から、涙らしき液体がしみだしていた。
「仕方ねえ。物分かりの悪いお嬢さんに分かりやすく言ってやるから、よーく聞けよ。いいか、さっきの質問はな、『あんたの家の郵便受けに放り込んどくためにチョン切られるのは、
陽菜は、ひゅっと息を吸い込んだ。口の中が乾いていくのがわかった。
「おすすめは左の小指だ。無くなったってなんとかなるからな。もちろん、他の指が良いってんなら言ってみな。相談には乗るぜ。なんせホラ、俺らは
小刻みに震えだした陽菜の口から、かすかな、声と言えない声が漏れる。それを聞いた羽白田が、もう一度陽菜に拳を打ち込もうとした、そのとき。
ピン、ポーン。
羽白田と組員たちの視線が、一斉に事務所のドアへと集まる。
ピン、ポーン。
「おい、柴」
「はい」
羽白田に柴と呼ばれた男が、すっと羽白田のそばに近づく。羽白田組の若頭であり、羽白田組が力を伸ばした理由の半分は、この男の手腕だと言われていた。
「俺さあ、言ったよな。誰も事務所に近づけんな。きちんと見張り出しとけよ、って」
空腹の獣の唸り――そう錯覚させるような羽白田の声。柴は眉一つ動かさない。
「はい。ですんで、権堂と日垣を」
「じゃあ、今のは何なんだよ」
ピン、ポーン。三たびのチャイム。
「田代」
「ウス」
田代と呼ばれた組員が、事務所のドアに近づく。中から施錠されているのを確かめると、ドア横の来客用モニターのボタンを押した。
モニターに映し出されたのは、見知った肥満体の男。日垣だ。
「何だお前。見張りサボって遊んでんのか?」
『田代さん……開け、開けてくれよ』
ほんのわずか、上ずる声。羽白田がピクリと眉を動かす。
「あ? ああ、ちょっと待ってろ」
「おい、待て! 鍵開けるんじゃねえ!」
「え」
鍵を開け終えた田代が、呆けた顔で羽白田を見た。
ドアが開き、日垣の巨体がゆっくりと事務所に入ってきた。モニタ越しではわからなかったが、日垣の青ざめた顔には多量の汗が流れていた。
「日垣……?」
「田代さん……すんません、すんません、俺」
「おい、日垣。お前、それ、右手」
日垣の右手、五本の指が全てぐちゃぐちゃにひん曲がっていた。まるでなにか硬いもので勢いよく殴られたかのように。
「おお、さすが祥子ちゃん。作戦成功だよ」
日垣の後ろに、人影が現れた。制服姿の少女。少女はなぜか、右手に金槌を握りしめていた。
「ありがとうございます。おかげで助かりました。それじゃあ」
少女は金槌を高く振り上げ、日垣の後頭部に振り下ろした。
小気味良い音がした。
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