遠山キナコの太く短い伝説

タイラダでん

1撃目

 S県立斎賀東さいがひがし高校2年A組に在籍する女子高生である遠山キナコは、それはもう、ごくごく普通の女子高生であった。

 学力も「ふつう」、運動能力も「ふつう」、容姿も「ふつう」、性格も「ふつう」。どの指標でもおよそ平均値(これが「完璧な平均値」であれば、それはそれで彼女の「特別な」個性と言えたかもしれないが)の、どこにでもいる女の子。それが遠山キナコである。 

 そんな彼女が生まれて始めて金槌を手にしたのは、高校1年生の夏、部室棟(キナコは陸上部に所属していた。記録はもちろん「ふつう」だ)の隅にある倉庫でのことであった。 

 彼女はもちろん、知識として金槌というものを知ってはいた。だから目にしたときも特段驚くようなことはなかったし、手にとってみたのも何か深い考えがあってのことではない。 

 ――なんか、妙にしっくりくるな、コレ。 

 キナコは金槌をまじまじと見つめ、何度か振り回してみた。羽のように軽い。腕力もいたって「ふつう」のキナコだったが、この金槌は自分の意のままに扱えているような気がした。「あぶないよー」 笑いながらそう声をかけてきたのは、キナコの友人の天城祥子あまぎしょうこである。 

 祥子とキナコは親友と言って良い間柄であったが、二人はまるで正反対の存在であった。祥子は、一言で言えば「完璧」であった。頭脳、運動神経、容姿、性格、全てがハイスペック。キナコは、祥子と自分は本当に同じ人類なのだろうか、と真剣に悩んだことさえあった。二人が親友になったのは高校入学直後の些細な偶然からであったが、それがなければ一生関わり合いのない相手だったのではないか……キナコはいつでもそう思っている。 

 キナコは祥子を見た。セミロングの輝く髪。傷一つない肌。長いまつげ。すらりと伸びた手足。可愛いな。


 キナコはなんとなく、本当になんとなく、祥子の頭に金槌を振り下ろした。


 小気味良い音が響く。小さな悲鳴を上げ、祥子は床に崩れ落ちた。びくびくと痙攣し、やがて動かなくなった。死んだのだ。


 キナコは驚いた。 

 ――うそ。人間って、こんなにかんたんに死ぬんだ。知らなかった。いや、いやいや。そんなはずない。いくらなんでもあっけなさすぎる。 

 目の前で起こったことに整合性をつけるために、キナコは必死になって頭を回転させた。そうして考えて考えて、ようやく一つの結論にたどり着いた。

 ――そうか。きっと私には殺しの才能があったに違いない。それも、とびっきりの才能が。そうじゃなければ、初めての人殺しがこんなに上手くいくはずがないもんね。

 遠山キナコは「ふつう」の女子高生である。だから彼女は祥子のような「特別」に、常に憧れていた。そんな彼女が自らの「特別な」才能を自覚すれば、どうなるか。


 ――これはもう、なるしかないな……殺し屋。


 十代女子の魂に一度火がついたら最後、何人たりともそれを止めることなどできないのである。


「よし、やるぞ! 目指せ殺し屋!」

 金槌を握りしめた手を高く掲げ、キナコは高らかに宣言した。その拍子に、足元の祥子につまづいてしまう。

「うわっと。あー、そうだ。死体はどこかに隠さないとだった」

 殺し屋ならそうするよね、そうつぶやきながらキナコは祥子の死体を片付けようとし……そもそもどうやって隠せばいいのか、全くわからないことに気がついた。

 ――ど、どうしよう。ゴミ箱には入らないだろうし。どこか人目につかないところに運ぶとか……うーん、たぶん運んでいる最中、思いっきり人目についちゃうなあ。

(あー、あー、あー。キナコちゃん、キナコちゃん、聞こえる?)

 キナコの頭の中に聞き覚えのある声が響いてきたのは、そのときである。

「え? ええ? うそ、祥子ちゃん?」

(うん、そうだよ)

「で、でも」

 キナコは足元の死体を見下ろした。うん、確かに死んでいる。でも、だったら。

(私も良くわからないんだけど……死んだ拍子に、キナコちゃんの頭の中に生まれ変わっちゃったみたいなの)

「そ、そうなんだ……」

(それでキナコちゃん、私の死体なんだけど)

「そ、そうなんだよ祥子ちゃん! これ、どうしたらいいと思う? あ、その前に……突然殺しちゃってごめん!」

 キナコは両手をあわせ、拝む動作をした。

(あー、いいよいいよ。キナコちゃん、わざとじゃなかったんでしょ)

「もちろんだよ。わざと友達を殺すなんてできないよ」

(じゃあ仕方ないよ。済んだことだし、何より……キナコちゃん、やっと自分の才能に気づけたんでしょ? ずっと欲しがってたもんね、『自分だけのなにか』。それを見つけるお手伝いができたわけだし、殺され甲斐があったってとこかな)

「祥子ちゃん……」

 ――やばい。嬉しい。泣いちゃいそう。

 キナコは必死に涙をこらえる。頭の中の祥子が苦笑していた。

(ほらほら、キナコちゃん急がなきゃ。誰か来ちゃうよ)

 ――そうだ。初めての殺しなんだから、最後まできちんとやりきらないとね。

 周りを見回すと、無造作に折りたたまれて放置されているブルーシートが目についた。

「あれでくるんで、隅の暗いところに隠しておこう」

(いいと思うよ。さあ急いで)


                 ◇


 1時間後。キナコは学校を出て、駅前の商店街を歩いていた。平日の昼間だというのに、通り沿いの店のほとんどはシャッターを閉じている。今や日本中のどこででも目にする、「ふつう」の光景だ。

 うだるような夏の日差しが、歩くキナコの肌を焼いていた。不愉快極まりない気候であったが、キナコは全く気にしている様子を見せなかった。

 なぜならば、今キナコの脳内では、キナコと祥子による『殺し屋会議』が大々的に開催されていたからだ。その記念すべき第1回目の議題は「そもそも殺し屋になるためには、どうすれば良いのか」である。


「やっぱり、ピストルだよ」

(そうかなあ)

 キナコが断言すると、祥子は半信半疑の表情を浮かべた。

「そうだよ! 殺し屋といえば、ピストル……映画でもドラマでも、大体そうじゃん。だからどこかでピストルをゲットできれば、殺し屋に一歩近づけると思うんだ」 

 熱弁するキナコ。

「ほら、こういうときのことわざあったじゃん。ええと、確か『何事も形から入るのがベスト』だっけ」

(それたぶん、ことわざじゃないよ)

 祥子に笑いながら否定され、キナコは下を向いてしまった。

「うううー」

(ふふ。まあ、でも……まずは、キナコちゃんのやりたいようにやってみていいんじゃないかなあ。正直、私も殺し屋のなりかたなんてよく知らないし)

「……うん、私やる。がんばってみるよ」

(応援するよ)

「ありがとう祥子ちゃん!」

 勢いよく顔を上げたキナコは、スマホを取り出すと何やら調べ始めた。

「へへ、実はピストル持ってそうな人たち、心当たりがあるんだ」

(えー、誰だろう。お巡りさん?)

「え? あ、そうか。お巡りさんか。お巡りさんも持ってるよね……いや、ダメダメ。お巡りさんから手に入れようとしたら、たぶん私捕まっちゃうよ。だから……」   

 キナコは検索画面をスクロールさせていく。


「……見つけた!」

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