第271話 需要と供給論

「その反応、理解できていないようですねぇ。もっとかみ砕いて説明しましょうか」


 イツモフさんが顎をさすりはじめる。


「そうですね……。誠道くんの趣味的に言えば、私が誠道くんのご主人様で、誠道くんは私の奴隷というわけです。どうですか、これは誠道くんにとって確実にご褒美ですよね?」


「俺がドM前提で話を進めてんじゃねえしかみ砕いて説明もしてねぇだろ! ってかちゃんとよく見せろ!」


 俺はイツモフさんの手から契約書をぶんどる。


 何度読み返しても、そこには『甲は乙の指示に従い、クラーケンと戦わなければいけない』と書かれてある。


「いや、でもそんなちゃんと確認して……」


 なかった。


 昨日の俺は、クラーケンの部位を折半するという部分だけを確認して、あとは面倒だからと読み飛ばしていた。


 まさかこんな罠にはめられることになろうとは。


 適当でおなじみのイツモフさんがきっちりと契約書なんか用意していた時点で、金の亡者が金になるクラーケンを独り占めしない時点で怪しむべきだった。


 イツモフさんは自分でクラーケンと戦わず――つまり自分のお金を使わずに、こうしてお金を稼ぐことに成功したのだ。


「自分でクラーケンと戦うと、【金の亡者】の性質上かなりのお金を消費しますから、本当に助かりました。誠道くんが契約書の文章を面倒くさがって読まないことは手に取るようにわかっていましたよ。だから私が全額総取りしてもよかったのですが、さすがにそれは良心が痛んで」


「もっと前段階で良心が痛むところあっただろ! 契約書を作って俺をはめようとした時点で良心を痛めろ!」


「だから誠道くんは感謝してくださいね。私の優しさがあなたをただ働きから救ったのです」


「優しさが俺を救ったじゃなくて、ずる賢さがイツモフさんに巣食ってたの間違いだろ! 感謝なんかするか!」


 神様みたいに大仰に両手を広げているイツモフさんを見て、ぐぬぬと歯ぎしりするしかない。


 まあ、うまいこと言えた満足感もあるけどね。


 救うと巣食うってね。


「これは……諦めるしかありませんね。署名もきちんとありますから。契約書は絶対です」


 うしろから契約書をのぞき込んできたミライも白旗を上げている。


 うん。


 借金女王のミライから言われると説得力が違うね。


「そういうことなので、早くクラーケンを退治してくださいね。誠道くん」


 イツモフさんはサングラスをかけ直しながら念押しし、またビーチチェアでくつろぎはじめた。


 はぁ。


 なんだろう、この釈然としない気持ちは。


 これ、頑張って裁判したら勝てるんじゃないの。


 どさくさに紛れて契約書を破ればあるいは。


「誠道さん。任せてください。実は私には奥の手があります」


 ミライが自慢げに腰に手を当てて、高らかに宣言した。


 こういうときのミライが役に立った覚えはないけど、一応その奥の手とやらを聞いておこう。


 奥の手を使ったことでなにかが好転するシーンって、実際あんまり見たことないけどね。


 むしろピンチが広がることの方が多い気がするけどね。


「こうなった以上、やはりクラーケンを釣っておびき寄せるしかないです。誠道さん。クラーケンを釣るための餌として、私に縛られてください!」


「いやに決まってるだろうが!」


「どうしてですか? 私は誠道さんを縛ることができる、クラーケンもおびき寄せることができる、誠道さんも私に縛られることができる、さらにクラーケンの触手にも縛られることができる、誰もが得しかしていません。一石五鳥です」


「俺だけ損してるんだよ! あと男が触手に縛られてても需要なんかないから!」

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