第200話 あなたはもういらない

「ふざけんな!」


 声を荒らげたワルシュミーだったが、誰の目から見てもそれが強がりだとわかる。


 その証拠に、マーズに睨まれつづけている彼は、次第に血の気を失い、顔を恐怖に歪めていく。


「お前は操られた振りをして……俺の服従魔法が聞かないはずがない!」


「あのね、これが絶望するってことなのよ。裏切られるってことなのよ。どう? 操っていると思った私に裏切られた気分は。すごく興奮するでしょ――間違えたわね」


「いいとこだったのに間違えんなよ!」


 俺だってツッコみたくなかったんですよ、


 でも、ま、それでこそマーズだけどさ。


 マーズはごほんと咳払いをしてから、まるで言い間違いなどしていないかのように、平然とつづける。


「信じていたものに裏切られる。どう? ちょっとは人の痛みがわかったかしら」


「……くそが、舐めた真似しやがって」


「強がっても、もう遅いわ」


 マーズが一歩下がる。


「だってあなた、もう逃げられないもの」


 そして、俺たちの方を振り返り、申しわけなさそうな笑みを浮かべながらコハクちゃんの元まで歩み寄って、その大きな前足に優しく触れる。


「ごめんなさいね。この人たちがあなたを裏切っているとわかった段階で私が裁いてもよかったんだけど、それじゃあ、あなたのためにならないと思って。二人を妄信しているあなたに信じてもらえないと思って。あなたを一度傷つけることになってしまったけれど、そうしないと意味がないと思って」


「いえ」


 コハクちゃんはゆっくりと首を振る。


「そのおかげで、私は誠道さんたちを信じられましたから」


「コハクちゃん……あなた、強いのね」


「強い、かどうかはわかりませんが」


 コハクちゃんはそこで言葉を切って、氷漬けにされているワルシュミーを一瞥する。


「私も、私自身で決着をつけたいと思っています」


「そう、しっかりね」


「はい」


 マーズがぎゅっと前足を抱きしめてから離れる。


 コハクちゃんはワルシュミーに淡々と語りかける。


「私は、いままでなにも知らなかった」


 その声は怒りで揺れてもおらず、寂しさで震えてもおらず、恐怖でかすれてもいない。


 ただただ一直線にワルシュミーの元へと伸びていく。


「私はあなたたちを信じていた。あなたは私だけじゃなく、私のすべてを裏切った」


「へっ、だから、どうしたよ。利用される方が悪いんだ」


「結局はそうかもしれない。私が信じる相手を間違えただけ。――だから」


 一瞬だけコハクちゃんの声が震えた。


 しかしコハクちゃんはためらわない。


「これが私の、惨めに騙されていた私に対するけじめ」


 大きな口をめいっぱい開ける。


 可視化できるほどの光のエネルギーがそこへ集まり圧縮されていく。


「そしてこれが、私がこれから選ぶ道なんだ!」


 コハクちゃんがそう言い切ったとき、ワルシュミーの顔に焦りが浮かんだ。


 もう強がりすら言えなくなってしまったのだろう。


 その姿は情けなく、哀れだ。


 氷漬けにされているのに額から大量の汗を流している。


「おおおい、待て! さすがにそこまでしなくてもっ」


 この期に及んで命乞いをするワルシュミーは、これまで出会った誰よりも弱く悲しい存在だと思った。


「私は誰かに必要とされたかった。でも、これからは選ばれるんじゃなくて私が選んで生きていく」


 コハクちゃんの強さが、俺の心にも伝わってくる。


「私がこれから進む道に、あなたはもういらない」


「待て……やめろ」


「私はもうあなたを選ばない。さようならを選んだから…………」


「は、は、は早まるなって――」


「これが私の答えだぁぁあ!! 【離澄虎リストラ】ッッ!!」


 コハクちゃんの口から放たれた光のエネルギーが、ワルシュミーに直撃し、彼の金切り声すらも一瞬にして吹き飛ばした。


 裏切られたことによる絶望、悲壮な過去、これまでの寂しさ。


 それらすべてを込めた一撃でワルシュミーを葬り去ったコハクちゃんは、トラ化を解いてから振り返り、柔らかな笑みを俺たちに見せてくれた。


 そんな彼女の可愛らしく魅力的な笑顔を、柔らかなそよ風と優しい陽光が包み込んでいく。


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