第201話 あなたを信じる人は私じゃない

「みなさん、ありがとうございました……あっ」


 深々とお辞儀をしたコハクちゃんは、しかしすぐによろめいて倒れそうになった。


 ミライとマーズが駆け寄って、両側からコハクちゃんの体を支える。


「ありがとうございます。…………あの」


 マーズとミライを交互に見てから、コハクちゃんは表情を引き締める。


 眉間にしわを寄せ、口をきゅっと結んでからある場所へ視線を動かす。


 コハクちゃんの視線の先には、ハクナさんがいた。


 座りこんで、俯いていて、その表情はうかがい知れない。


 ハクナさんは、なぜ俺たちが戦っている間に逃げなかったのだろうか。


 逃げる気力もなかったのだろうか。


 そんなことを思っていると、コハクちゃんが支えてくれていた二人に頭を下げてから、


「もう大丈夫です」


 と言って、自分の足でハクナさんの前まで歩いていく。


 俺たち三人はコハクちゃんを追いかけず、彼女の選択を見つめることにする。


 偽物の親子の結末を見届ける証人になることにする。


 コハクちゃんの唇が動いた。


「おかあさ――ハクナさん」


「どうしてあなただけ」


 ゆっくりと顔を上げ、憎々しげにつぶやくハクナさん。


 その顔は重病人のようにやつれており、荒廃した街の中に取り残されているように見えた。


「ずるいのよ。私は……同じ独りだったはずなのに」


 舌打ちをしたハクナさんの目じりから涙がこぼれ落ちる。


「私だって、今度こそは、信じたかったのに……」


 そうか、ハクナさんもワルシュミーに裏切られた側だったな。


 コハクちゃんは、そんなハクナさんから目を離さない。


「……なによ、その目は……。あんたなんかに、あんたなんかにっ!」


 いきなり立ち上がったハクナさんが、コハクちゃんの胸ぐらをつかんだ。


 あっ! と俺たちは駆け寄ろうとしたが、コハクちゃんの背中が醸し出す無言の迫力に、静謐で凛とした立ち居振る舞いに圧倒されて、動くことができなかった。


 コハクちゃんはまったく動揺していない。


 反撃もしない。


 至近距離で怒りや恨みをぶつけてくるハクナさんを粛々と受け入れ、ただただじっと見返していた。


 その態度こそが、コハクちゃんの覚悟であり、過去との決別の証明になるのだと思う。


 だから俺たちが邪魔してはいけない。


 ただ黙って、見届けるだけだ。


「……ハクナさん」


 コハクちゃんの声は平坦だ。


「私は、それが仮初でも、あなたに出会えて嬉しかった。騙されていた、偽りの関係だったとしても、あなたの優しさが嬉しかった。私にとってあなたとの時間はかけがえのないもので、そのとき感じていた私の幸せを、否定したくはないんです」


「だからなに? あんたなんか、一度たりとも大事に思ったことなんてないわ」


「それも理解しています。でも私は間違いなく、ハクナさんに騙されていなければ、独りぼっちに耐えられなくて、自ら命を絶っていた」


「だったらさっさとそうしてくれたらよかったのよ」


「そうですね。でも私は、こうしてここにいる」


 コハクちゃんがハクナさんの肩に優しく手を乗せる。


「だから…………もう二度と、私の前に現れないでください」


 そして、コハクちゃんはその手でハクナさんの体を突き飛ばした。


 ハクナさんが後方によろめいて、尻もちをつく。


 え……、とつぶやき、愕然とした表情で無表情のコハクちゃんを見上げている。


「ハクナさん。いままで優しくしてくれてありがとうございました」


 そう言って、コハクちゃんはようやく笑った。


「ハクナさんを信じてくれる人は、私じゃないです。私とあなたはもう交われないんです。もしあなたがこれからの私を邪魔するというのなら、そのときに私はあなたを恨むことにします。敵とみなします。容赦はしません」


「なによそれ……、そんなの! こっちから願い下げ! ……で」


 ハクナさんは急に黙り込んで、膝を抱えて小さくなっていく。


「私を、信じてくれる人なんて……もう」


「それはきっと、今後のあなた次第だと、私は思います」


「同情なんか……やめてよ。あんたみたいな穢れた血に出会わなければよかった!」


「そうですか……」


 コハクちゃんはハクナさんに背を向ける。


 もう言いたいことはすべて伝え終えたのだろう。


 過去を振り切る覚悟が完了したのだろう。


「それじゃあ、さようならです。……お母さん」


 そんな言葉を残して、コハクちゃんはハクナさんを置き去りにして、俺たちの元へと帰ってくる。


「いきましょう。過去はもう、終わりましたから」


 コハクちゃんにそう言われたら、俺たちはそれに従うしかない。


 彼女が終わったと言うのだから、それがすべてだ。


 彼女が彼女自身で、彼女の過去と訣別したのだ。


「そうだな」


 俺たちも、ハクナさんを置き去りにしてその場を立ち去る。


 コハクちゃんは一度も振り返らなかったが、俺は一度だけ、ハクナさんの方を振り返った。


 ……願わくば、あなたにも素敵な出会いが訪れますように。


 その運命の巡り合わせは決して俺たちではない。


 でも、地面の上で膝を抱えて小さくなっているハクナさんを見たら、そう思わずにはいられなかった。


 ……あと、なんか誰かを忘れている気がするが、まあ、気のせいだろう。

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