第141話 Mの悲鳴の女

 翌朝。


 昨日は家に帰らずに街の宿屋に泊まった。


 よく眠れなかったのは布団や枕がいつもと違ったからではない。


 必殺技のこと、誠道さんから感謝されることを考えたら楽しみで楽しみで眠れなかったのだ。


 おばあさんに指定された井戸の中に飛び込む。


 するとすぐに、黒い壁で覆われた大きなドーム状の空間に立っていた。


 ……あれ、この感じ、どこかで見覚えが。


「ようこそ。こんなにも簡単に罠にかかるとは思わなかったわ」


 声のする方を向くと、マーズが立っていた。


 興奮気味に下唇をペロと舐めている。


「どうして、あなたがここに」


「そんなの簡単。あなたを連れ去」


「もしかしてあなたが魔本のありかを教えてくれるんですか?」


「どうしてそうなるのよ。人の話を最後までききな」


「ってことはあなた自身が魔本? 人型の魔本なんてものがあるなんて」


「人の話を最後まで聞きなさいって話くらいは最後まで聞きなさいよ!」


 なぜか異様に怒っているマーズはにやりと不敵な笑みを浮かべ。


「あなたを連れ去るために、魔本の話をしただけよ。まんまと引っかかるなんて、本当にバカな女ね」


「私はバカではなく、非常に優秀な美人メイドですが?」


「自覚のなさって幸せよね。自分がすでに人質だとも知らずに」


 嘲笑を浮かべるマーズ。


 そういうことか。


 ようやくそこで私は騙されたのだと理解した。


 マーズは私を人質に誠道さんを連れ出そうとしているのだ。


 私のためなら誠道さんがどんな要求でも受け入れてしまうことは先日学習済み……でも、あれ?


 どうして昨日の夜に私を攫わなかったんだ?


 人気のない路地裏なんて誘拐にぴったりだ。


 なのにどうして翌日に引き延ばすような面倒なことをしたのだろう。


 私が心変わりして来なくなる可能性だってあるのに。


「気分はどう、ミライさん。最強の魔本が手に入ると思ってきたら騙されていただけ。無駄に一晩時間を置いたことで楽しみも増したことでしょうから、怒りも倍増したわよね」


 マーズの目が興奮で輝きだし、表情が恍惚にとろけていく。


 どんだけドSなんだこの人は。


 わざわざ私の怒りを増幅させるために昨夜はあえて見逃して、私から来るように仕向けたの……


「さぁ、ミライさん。体の中にたぎりまくった怒りを鞭に乗せて早く私をぶってちょうだ――じゃなかったわ」


 ……あれ。今の発言は?


 私が心の中に浮かんだ疑問に向き合っている間に、マーズはゴホゴホ咳払いをしてなにかを誤魔化そうとしている。


「あの、もしかしてマーズさんってドSじゃなくてド」


「変なこと言いださないでくれるかしら。私はあなたを人質にして、ドMの誠道くんを呼び出そうとしているだけよ。別に、私の押さえ込んでいたドM心が爆発しかけて、ドSのあなただけを呼んでいじめられたかったわけじゃないのよ。私のドM心はもう捨て去っ――最初からドM心なんて持ってないって言っているでしょう!」


 うわぁ、なんか勝手に全部白状して、勝手にぶち切れだした。


 やっぱりマーズさんはドMで、そのドM心を抑えることが難しくなっているんだ!


 と思った瞬間、猛烈な眠気に襲われた。


「ごめんなさいね。ミライさん。ちょっとだけ眠っていてちょうだい」


 マーズに睡眠魔法でもかけられたのだろう。


 ごめんなさい、誠道さん。


 私、また騙されて、あなたに……迷惑を……。


 立っていられなくなって地面に倒れる。


 意識を失う間際、最後に見たマーズさんは泣いているように見えた。

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