第130話 ドMの悲鳴

「どうしてあなたがこっちの部屋に」


 俺との戦いの最中には余裕な態度を崩さなかったマーズが、突然現れたオムツおじさんを見て、頬をひきつらせている。


 それだけオムツおじさんがつよ――オムツ姿のおじさんを見たら誰だって嫌悪するか。


「それは先ほど説明したはずだが、俺は伝わるまで何度でも教える。若い頃に上司にそうしてほしかったからな」


 オムツおじさんは、渋いキメ顔を作ると。


「こちらから、ドMの悲鳴が聞こえていたのでな」


 不覚にも、俺はオムツおじさんのことを格好いいと思ってしまった。


「だから、この壁を破って、泣いているものを救いに来た」


「へぇ、全然意味がわからないけど、そういうこと。でもまさか、この部屋の間仕切り壁をびりびりに破られるとは思わなかったわね」


「絵本を破ったことのない赤ちゃんなどいないのだよ」


「やっぱり意味がわからないわ。まあ、あとであなたも私のペットにする予定だったから、それが少し早まっただけね」


 なるほど。


 この空間の隣にオムツおじさんも連れ去られていたのか。


 マーズのMレーダーに反応するような、棍浴の鬼モードに耐えられるようなドMだから。


「早まった? 悪いな、お嬢さん」


 オムツおじさんはオムツから葉巻とライターのような器具を取り出すと、やはりその器具で葉巻に火をつけて口に咥える。


 優雅にふうっと煙をはきだしてから、マーズに一歩だけ近づいた。


「私はお嬢さんのペットにはなれないのだ。私にはすでに私を使役してくれているマドモアゼルがいる」


 オムツおじさんはまた煙を吸い込んで、ゆっくりと吐きだす。


「だが、ドMの悲鳴を断ち切ることはできる」


「それ以上わけのわからないことを言わないでくれる? 【氷の弓矢アイスアロー】」


 眉間に皺を寄せたマーズが叫ぶと、オムツおじさんめがけて無数の矢が飛んでいく。


 しかしオムツおじさんは、葉巻を携帯灰皿のなかにしまうだけで、そこからまったく動かない。


 避けるつもりがないのだろうか。


「そのまま串刺しになりなさい」


「ふっ。無駄なことを。【質誤算しちごさん】」


 唐突に、オムツおじさんの体から黄色の光が広がっていく。


 その光を浴びた氷の矢が、おもちゃの矢に代わって床の上にぼとぼとと落ちていく。


「な、に……」


 マーズが消えゆくおもちゃの矢を見ながら歯ぎしりする。


「私の氷魔法を……よくも」


「お嬢さん。わかろうとしていないのはあなた自身ではないかな」


 オムツおじさんは穏やかに笑いながら、両手を天高くかざす。


 すると、オムツおじさんの両手の先に、赤ちゃんをあやすときに使うおもちゃの超巨大バージョンが顕現する。


 名前は……なんだっけか。


 あの、降ると音が鳴るやつ――ああ、喉元まで出かかっているのに思い出せない。


 けど、そんな気持ち悪さがどうでもいいと思えるくらい、その巨大なおもちゃから鳴り響く音は、とても安らかな音色をしていた。


「……くっ、動けな、い?」


 マーズの表情に焦りが浮かぶ。


 どうやらこの音色には、相手を動けなくする効果もあるらしい。


「動けないのではない。この音を聞いて、言いたいことも言えない大人になってしまった体が、悲しみに打ちひしがれているだけだ」


「さっきから意味のわからないことばかり言わな――」


「悲しみよ」


 オムツおじさんがマーズの言葉を遮る。


「泣き止んで静かに眠れ。【我裸我全愛ガラガラァア】!!」


 そうだ!


 あれはがらがらだぁ!


 オムツおじさんが手を振りかざすと、マーズに向けてその巨大ながらがらも一緒に落下していく。


「私が、こんなやつに、負け――」


 マーズの体がその巨大ながらがらに一瞬にして押しつぶされる。


 巨大ながらがらは安らかな音を発しながら床にぶつかり、周囲に爆風と衝撃をまき散らした。

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