第125話 高まる期待

「……え」


 人は、想像の範囲外のことを言われると、無言になってしまう生き物である。


 その間に、ミライは俺の後ろで膝をついて座り、俺の手から石鹸を奪い取った。


「それでは、いきますよ」


「……あ、はい」


 ミライの両手が背中に触れる。


 細く、柔らかく、そして少しひんやりとしていた。


 その手がゆっくりと、そしてなめらかに上下に動いていく。


 ああ、気持ちいい。


 ただそれだけだった。


 他人に体を洗ってもらうのなんていつぶりだ?


 しかも相手は美人の女の子。


 嬉しくないはずがない。


 興奮しないはずがない。


「ミライ、ありがとうな」


「え? お返しに私の体を洗ってくれるのですか?」


「そんなこと言ってないだろう!」


 ちょっと想像しちゃったじゃないか。


 ミライのその……まあ……その……いろいろ触るところを。


「ふふ。冗談ですよ。誠道さんには刺激が強すぎましたね」


「うるせぇ」


 ――あ、これだけははっきり言っておくけど、ミライに洗ってもらったのは背中だけだからね。


 他の場所は自分で洗ったからね。


 当然でしょ。


 ここはそういう店ではないのだから。


「それでは、誠道さんは先に温泉に浸かっていてください。私も体を洗ったらすぐにそちらに向かいますので」


「ああ、わかっ――ん?」


 そのとき、脱衣所の方からガサガサと音が聞こえた。


 おお、新しい人が入って来るのか。


 ミライと二人で、温泉に浸かりながらカニイドウをしっぽり飲めないのは非常に残念だ。


 いいところで邪魔しやがって。


 男なら絶対に追い出してやるぅ!


 女性なら全力で歓迎するぅ!


「これは……まずいことになりましたね」


 ミライがあからさまに表情を強張らせる。


「なにが、まずいんだよ」


「女の人が入ってきます」


「ままま、まだ女と決まったわけじゃないだろ。……ってか女でも別になんの問題もないだろ」


 だってここは混浴なんだから。


「問題大ありです! だってここは女湯なんですから!」


 そうだ。


 女湯だから、女が入って来るのは当然なんだ。


 …………ん?


「……は?」


 俺は耳を疑った。


 女湯?


 混浴じゃなくて?


「私が勝手に誠道さんを女湯に連れて来ただけなんですから!」


「なんだそりゃぁあああああ!」


 どういう状況に陥ってんの俺。


「なんでコンヨクテンゴクに一番オーソドックスな混浴だけないんだよっ! ってそうじゃなくてヤバいだろこれ!」


「普通の温泉にいきましょうって言いましたよね?」


「だったら普通に男湯に連れてけよ!」


「誠道さん。私の後ろに隠れてください!」


「隠れきれるかぁ! 俺の方が身長高いんだぞ!」


「そんな文句を言うくらいなら、なんで女湯に入ったんですか」


「お前が連れてきたんだろうが!」


 酔っぱらっていて確認を怠っていた俺も悪いが――いや、全然悪くねぇよ!


 だってミライが意図的に女湯に連れてきたんだもの。


 俺は頭を抱えて嘆く。


「こんなことになるなんて思いもしなかったよぉ。どうしてこんな目に遭わなきゃいけないんだよぉ」


「誠道さん。女湯に入っておいてよくそんな被害者面できますね」


「だからお前が連れてきたんだろうが!」


 そう言いつつも、ミライに押されるがまま、ミライの後ろに隠れる。


 これ、見つかったら犯罪者だよね。


「誠道さん……この展開、ドM的にはちょっと興奮するんじゃないですか?」


「するかばか! いくらドMの俺でも……ドMでもねぇわ!」


 がらがらっ、と脱衣所と露天風呂を仕切る扉が開けられる。


 ……って、ミライに隠れてたら女の子見れないじゃん!


 でも見つかったらそれはそれでやばいじゃん!


 俺の中で、今世紀最大の葛藤がはじまる。


 顔だけ出すくらいならばれないか?


 いや、そんなわけがない。


 でも、ちょっとだけ、ちょっとだけなら。


 そもそも隠れきれるわけがないんだよね。


 ってことは逆転の発想で、むしろ堂々と振る舞えばいいのでは?


 俺は男っぽく見えるだけの女ですけどなにか? 的な感じで何事もないかのように振る舞っていれば通用するのではないか?


 ……結論はすぐに出た。


 堂々と振る舞うしかないっ!


 そもそも隠れきれないのだ。


 どうせ犯罪者なら、見た方がましだ!


 俺はそうっと顔を出す。


 シャワースペースに立っていた数名の人間は……って、あれ?


「ここ、どこ?」


 俺たちは露天風呂にいたはずなのだが、気がつけば謎の空間にいた。


 両手両足を拘束するための器具がついた机が中央にあり、黒い壁にはいくつもの鞭が飾られてある。


「……なぁ、ミライ」


「ええ、誠道さん」


 俺たちは顔を見合わせてうなずきあう。


 この状況は……あれしかない。


 この世界には魔法も、固有ステータスもある。


 心出にもらったこの笛にだって、テレポート効果が付与されているのだ。


 あり得ない話ではない。


 裸にバスタオルを巻いたままの俺たちは、二人でいま俺たちが置かれている現状を口にする。



「俺たちは連れ去られた」


「どの鞭で叩かれたいですか?」



 はぁ。


 期待した俺がバカだった。

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