第123話 初めてのお酒

「えーと、ではですね」


 俺に冷たい目を向けている中居さんは、ごほんごほんと咳ばらいをしただけで、業務用の笑顔へと表情を変えた。


 おお、プロ根性すごいぃ。


「お二方にはこれから叩かれる強さを決めていただきたいと思います。優しめ、普通、強めの三つからお選びください」


「じゃあ俺は優しめでお願いします」


 即答する。


 むしろそれ以外考えれないよね


「えっ? 嘘ですよね誠道さん。あなたともあろうお方が強めじゃなくていいんですか?」


「優しめに決まってるだろ!」


「なるほど。たしかに縛られると叩かれるは違いますもんね。これで誠道さんの性癖の理解がさらに深まりました」


「同じだから! 縛られるのも叩かれるのも普通に嫌だから!」


 ……あ、だからミライは「俺は特に楽しめます」なんて発言をしていたのか。


 ようやく謎が解けたよ。


 ドMでもないけど。


 それから、俺たちは棍浴を体験した。


 棍棒で叩かれるということで最初はおっかなびっくりだったが、優しめを選択したおかげか、本当に心地よかった。


 ああぁっ、と思わず声が漏れるような心地よい痛さだった。


 隣で叩かれているミライも気持ちよさそうにしている。


 ときおり出す「あんっ……」という声がちょっとだけえっちかったし。


 棍浴を終え、旅館の廊下に出る。


「すごく気持ちよかったです。体がまだポカポカしています」


「意外とよかったな」


 次第に叩かれる力が物足りなくなって、もっと強くできないだろうかと思ってしまったのは、たぶん俺の気のせいだろう。


「では、次は……あっ」


 つづいてのコンヨクに案内しようとした中居が、口を手で押さえる。


「なんて素晴らしいタイミングでしょう。お二方は運がいいです」


「え?」


 運がいい、とはいったいどういうことだろう。


 この豪華な旅館に無料で宿泊できるだけでも、かなり運に恵まれていると思うのだが。


「ちょうどここに棍浴の神様がいらっしゃっております」


「棍浴の……神様?」


 なにそれ?


 そんなもんに神様なんているの?


「はい。あちらです。あのお方は強めのさらに上である隠しメニュー、鬼モードの選択を許されたお方で、しかも鬼コースに裸で入ることのできる伝説の棍浴マスターなのです!」


「鬼ってなんだよ。太〇の達人か」


 憧れのスポーツ選手でも見る子供かのように目をキラキラとさせている仲居さんが指さした方を見ると、そこには体を真っ赤にしたオムツおじさんがいた。


「またあいつかよっ!」


 なんとなく予想してたけどさ!


 あのダンディな笑顔が本当にムカつくなぁ。


「ちょっと仲居さん! どうして最初に鬼モードがあることを言ってくれなかったんですか! 誠道さんはそれを楽しみに」


「してないから! ミライはどこに文句言ってんだよ!」


 鬼モードなんて選ぶわけないだろうが!


 この後も、俺たちは様々なコンヨクを体験した。


 恨みをお湯に向かって叫ぶ恨浴。


 紺色の泥を体に塗りたくる紺浴。


 今度やろうと思っていたことを今すぐに行う方法を教えてくれる今浴などなど。


 ためになったのかためになっていないのかよくわからないコンヨクばかりだったが、すべてのコースを堪能した後、体も心もすっきりとした感覚があった。


 体の毒素がすべて抜け落ちたような気がする。


「それでは、宿泊していただくお部屋にご案内しますね」


 俺たちが案内されたのは、見るからに高価そうな家具ばかりある、二人ですごすにはあまりに大きな部屋だった。


 食事は山の幸のフルコースで、産まれてはじめてのお酒(この世界には飲酒に年齢制限はないので安心)も堪能した。


 ビールによく似たお酒で、名前はカーソイ。


 はじめて飲むビールは苦いって聞いていたが、カーソイはしゅわしゅわでちょっとだけ甘かった。


 喉を通りすぎる瞬間にはスカッとした刺激が突き抜け、大変素晴らしいお酒だった。


 本当に大満足の一日だ。


 ふかふかのベッドにダイブして、俺は枕に顔をうずめ――なんで黒い棒で叩かれたのに大満足なんて思ってるんだ?


 考えるのやめよ。


「ああやべぇ。このままぐっすり寝たい。幸せすぎるよ、ここ」


 これが酔うって感覚なのか。


 頭がくらくらしていてとても眠いのに、なんかすげぇ楽しい。


 大人がお酒にはまる理由がわかった気がする。


「このまま寝てしまわれるのですか? せっかくですし普通の温泉にもいきましょうよ。カニイドウっていう、温泉で飲むにはもってこいのお酒もあるらしいですよ」


「……わかったぁ、ひっくっ、いこう。そのお酒も、のみたいぃおう」


「かしこまりました」


「すまんミライ。ひっっく。うまく歩けないから、引っ張っていってくれぇ」


「まったく。誠道さんはしょうがない人ですね」


 俺はミライに手を引かれて部屋を出て、廊下を歩き、一緒の暖簾をくぐった。

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