寒月に君を想う

藤木なみえ

寒月に君を想う

 真っ暗な夜空に寒々しく光る月を眺めるのはこの人生で何度めであろう。

 この世に生を受け、物心がつき、季節を知り。永遠とも思える季節の巡りの中で翻弄され、惑ってきた。物思いに埋もれ、何を考えることもできなくなってすっかり空っぽになった私が茫然と夜空を見上げればそこには大抵、憂いなど無いような澄んだ月が居たのであった。

 私は特段、月が好きというわけではない。ただ、空気の澄み切った冬の夜にくっきりと浮かび上がる月は満月であれば白金のように煌めく光を、欠けていれば刃のような鋭さをその美しさと共にはっきりと刻み付けてくるものだから記憶に残っているのだ。物思いや憂いに埋もれているときにふと夜空を見上げるものだから、何かの思い出の節々で月が光を放っているというだけの話だ。

 ただ、それを反対から見て言うのであれば。月を見るたびに幾年前のことでも昨日のようにくっきりと思い起こさせるものだから時に気恥ずかしくなるし、寂しく思うこともある。


 思い出してしまったついでにひとつ、昔話を連ねておこう。

 青春を駆け抜けた日々はいつ思い出しても鮮やかなものである。例えるとすれば春の芽吹きのように若々しく、夏の草木が茂るような勢いを持っている。私―当時に合わせて僕としておこう。

 僕は10代後半の、とある学校の生徒であった。将来のことなど何も考えず勉学にも身が入らない、何処にでもいる平凡な少年であった。

 先のことなど全くと想像がつかず、僕は夏休みが開けた後に先生や親に急かされる進路の話に耳を痛くしていた。面談に部活の時間を潰されて苛立ちながらのらりくらりと話をかわして、逃げるように校門へ向かえば約束もしていないのにいつも君は待っていた。

「だいたい、この先も学校に通い続けるんなら10年先でも20年先でも想像がつくだろうにさ。社会を知らん僕たちに具体的な想像をしろというのは無理な話じゃないか。」

「そうは言っても、多少は考えなくてはいけないだろう。」

「そんなのは分かっているさ、だけどな。」

 僕はいつも帰路を共にする友人と顔を合わせてすぐに愚痴をこぼした。不真面目な僕と違って、学年でも1位を争うほどに頭のいい君がなぜ僕の友人であったのかは今となっては分からない。君は僕の話を笑うことはしなかったし僕も君の話が面白いものだから、自然と一緒にいるようになったのだろうか。

 ぐちぐちと気持ちを吐き出す僕の言葉を受け取りながら、君は笑って空を見上げた。僕もつられるようにして空を見上げる。

「あ、日も暮れないのにもう月が出ているね。」

「日が傾くのも早くなってきたなぁ。」

 少し前までの暑さは昼に残るばかりとなり、夕方はほのかに涼しくなっている。季節の移ろいが僕たちを未来に追い立てている気がして僕は地面に視線を映した。

「君は、頭がいいから、行きたいところも決まっているんだろう。」

「行きたいところは、な。」

 君は少しぶっきらぼうに言って草むらに鞄を落として座り込んだ。僕もそれに倣って隣に座る。

「行きたいところと、周りが行かせたいところは違うからな。」

「……そういう、ことか。」

「重たいよなぁ。」

 君の言いたいことは何となく分かる気がした。僕は、君が僕にだけ囁いてくれた夢を知っていたからだ。そして、君も僕の夢を知っていた。

「大人って勝手だよな、将来の夢を持てと言うだけ言うのに、いざ実現しようとしたら止めるんだ。」

 無責任な話だと君は不機嫌そうに言う。あまりに止められるものだから最近はもう誰にも言えなくなってしまったとつぶやいていた君の顔をはっきりと覚えている。

「将来の、夢がないというわけではないんだ。僕だって。」

「なぁ、一緒に東京に出ないか。」

 思い切ったように君は言ってきた。風が草を揺らす音が異様に響いた。無論、ここにいるよりも僕の夢や、君の夢に近づける可能性が高い。その意見は賛成であり、考えていなかったわけではない。ただ、漠然とした理由で地元を離れるのが可能なのかと思案していたためすぐに返答ができなかった。ただ、反対ではないのだと伝えたくて僕は言葉を選びながら口を開いた。

「……それは、とても面白い提案だ。でも。」

「なんだ、君は反対なのかい?」

「違う、違うんだ。ただ、どうやって地元を離れようかと。」

 うまく伝える言葉が結局浮かばず、うだうだと言う僕の心情を察した君はああ、と短くうなずいた。

「難しい話じゃないさ。進学にしてもなんにしても理由つけて、家を出てしまえばこっちのものだしその先の卒業した後のことなんて誰も関与できないだろ。」

 君の言いたいことを察した僕はにやりと笑った。真面目な君からすこし不真面目な意見を聞いてわくわくとしたのもあったし、君と一緒に自分たちの夢を追うのなら楽しそうだと思ったのだ。それから僕たちは日が暮れるまで“密談”を楽しんだ。楽しく笑う君の表情があまりに輝いていたから僕は鞄からカメラを出した。

「1枚、いいかい。」

「もちろんだ。未来のカメラマン。」

「やめろよ、未来の名優。」


 そんなことを言い合いながら写した君の後ろにくっきりと月が写っていたのに気が付いたのはだいぶたってからであった。こんなところでも私の人生の思い出に月がついてくるのかと少し感心してしまった。

 

 それじゃあ、と別れた僕たちはいつも通りに家に帰った。そしていつも通りの日々を過ごし、共に帰る時には互いの将来を語った。周りを欺くその計画は着々と進んでいき、冬が来て、年が明けるころには2人とも何も知らない人が納得できそうな理由を書いて進路を提出した。頭の追いつかない僕は君に勉強を教わり、来年の春から始まる生活に思いを馳せていた。他愛ないことを話し、現代文の教科書を朗読する君を僕が写してみたり、この頃が僕の青春でとても鮮やかな日々だ。

 その日々はある日突然色を失った。あの日のことは忘れようとしても忘れられない。2月の冷え込んだ日。僕たちは模試のあといつも通りに一緒に帰った。君のお陰かいつもよりも調子が良かった、と礼を述べた。共に頑張ろうと声をかけ合い、君と別れたのが永久の別れとなってしまった。

 夜。寝ようとして明かりを消したときに家の電話が鳴り響いた。母親が電話に出た気配がし、そのまま寝てしまおうとベッドに向かった時、カーテンの隙間から月が覗いているのに気が付いた。きちんとカーテンを引いていなかったことに気づいた僕は窓に近寄って空を見ながらカーテンを引いたときだった。母親が僕の部屋にきて君の訃報を告げた。

 あまりの驚きに僕はその時のことをうっすらとしか覚えていない。聞けば、君は普段ならば帰る時分になっても帰らなかったという。警察に届けるかと家族が話しているときに君と思わしき遺体が川辺で発見されたと連絡があったらしい。

 君は僕のことを少しばかり親に話していたようで、いつも共に帰っていた僕のことを知っていたようだ。最後に共にいたであろう僕が何か知らないかと思い連絡をしてきたらしい。僕は普段通りに別れたことを伝えることしかできなかった。後から聞いた話によれば、発見直後に君は自殺を疑われていたらしい。しかし、君の近くに子供用のボールが落ちていたこと、そのボールに書かれていた名前から持ち主にたどり着いたことでその疑いは晴れた。君は帰り道、その子供が無くしたボールを共に探した。その子供は親が迎えに来て先に帰ったそうだ。その後、君はそのボール見つけて川辺へ降りていきそのまま帰らぬ人となった、というのが君の死因らしい。川辺の枯草で足をとられたのか、川の深さを誤ったのか。君は泳ぎができなかったから冷たい水に落ちてはひとたまりもなかっただろう。

 翌日、僕は冷たくなった君と対面した。口も、眼も。昨日まで生き生きと輝いていたものが光を失い、固く閉ざされていた。整った顔立ちの君はまるで人形のように美しかった。

 最近の写真がないと困っていた君の親に、僕はあの“密約”の日の写真を渡した。僕たちの思い出の、楽しい計画の始まりの写真は君の遺影として使われた。他にも君を写したものはたくさんあったがあれが1番いい顔をしていたのだ。

 葬式が終わった後、茫然と見上げた空には鋭い月が輝いていて冬の寒さと共に僕の心を刺すようだった。変わらずに昇り、沈む月に苛立ったことを覚えている。


 あれから幾年とたったが冬の月を見るたびにあの日々を思い出す。特段好きでもない月はまるで青春の象徴のように私の心に君臨している。すっかり、髪に白いものが混ざるようになった私だが、変わらない月を見てはこの寂しさやなつかしさ、楽しかった日々を想う。君と語った夢は全てが叶ったわけではない。ただ、君を失った喪失感を月を見上げて誤魔化してひたすら走り続けて、それなりに満足のいく生活を送っている。

 僕の記憶の中の君は当然、あの日のままだ。そしてあの“密約”を交わした日や君の訃報を聞いた時に見ていた月も変わらずに輝いている。

 君は変わってしまった僕を笑うだろうか。それとも私の変化を見ていただろうか。

 私は久しぶりに月に向けてカメラを構えた。生々しく思い出した昔話と、変わらない月を映しカーテンを閉めて思い出を仕舞い込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

寒月に君を想う 藤木なみえ @hujinami

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ