地上 その八
二〇三二年一月十九日、午後十一時過ぎ、その名にふさわしい薄暗い照明と、ゆったりとしたソファという本来の設定に戻されたアストロラウンジには、いつものメンバーがほぼ顔をそろえていた。
「この先、日本の宇宙開発はどうなるんだろうね」
「一歩も二歩も後れをとるだろうな。自前の宇宙ステーションが無いのは痛いよ」
ここ数日、宇宙関連のコミュニティの空気はどこも湿りがちであったが、中でもアストロラウンジは、〈もちづき〉が大火球となって南太平洋へ落下した日からサトルが顔を見せず、さっぱり意気の上がらない状態が続いている。ロビンソンまでもが無口となり、そのくせ毎日顔を出しては、重苦しい雰囲気をより一層悪化させていた。
――ミウラさんがいらっしゃいました。
パスカルに変わってホストを務めるようになったロビンソン所有のAIが、新たな入室者を告げると、細々と続いていた会話がぴたりと止まった。
黒く厚みのない人型アバターが、ソファの間をひらひらと縫って中央のプレゼンステージに歩み寄り、壇上に立った。
「みなさん、お久しぶりです」
「呼んでもいないのに自分から出てくるなんて珍しいな」
覇気は失っていても、やはりロビンソンである。他のメンバーは暗黙のうちに聞き役に回った。
「一度参加させてもらえば、もうそこは私の庭みたいなものですからね。みなさん元気がなさそうなので話題提供でもと思ってやって参りました」
「ふん、相変わらず盗み聞きしてやがるんだな。で、話題って何だ」
「興味があるなら、もっと素直に関心を示しなさい。まあいいでしょう。実はこんな発言ログを見つけたのです」
ミウラの言葉から少し間をおいて、メイン掲示板に一つの発言が表示された。ロビンソンが「反応遅いぞ」とAIを叱る。
《もちづきの搭乗員の方々のために、私たちにできることを何か考えませんか》
「なんだこれは」
「一般の方が参加されるテキストベースのコミュニティに残されていた発言ログです。〈もちづき〉へモールス信号によるメッセージを送るという取り組みが、いったい誰の発案だったのかに興味を持ち、世界中のありとあらゆる場所での発言ログを調べていて、最終的にこのコメントに到達したのです。このコメントをきっかけに取り組みが広がっていったことは間違いありません」
「世界中? 暇だなあ。で、言い出しっぺを突き止めてどうだっていうんだ。自慢しに来たのか?」
「いちいちうるさいですね。人の話は最後まで聞きなさい。匿名性の高いコミュニティでしたが、私が調べたところ、このコメントを残した人物が判明しました。それは――パスカルさんです」
ラウンジの薄暗がりにざわめきが走る。
「それって、どういうことだ」
「どうもこうもありません、そのままです。パスカルさんが〈もちづき〉への応援メッセージのきっかけを作ったのです。驚かれましたか」
「驚いた」
「素直ですね」
「素直ついでに聞くが、あんたパスカルのことどう思っている?」
「優秀なAIが搭載されたロボットですね」
「そんなこと聞いてねえよ。思うんだが、あいつ、もしかして人間になりたかったんじゃないか」
「ピノキオのように?」
「ああ、そんな感じだ」
「それはないですね。パスカルさんはロボットであることに誇りを持ち、徹しようとされていました」
「なぜ断言できる」
「少し前、二人きりで話す機会がありましたから」
「ふーん、ところでミウラさんよ、あんた一体何者なんだ? 妙にパスカルと気が合うようだが」
「あなたが今想像されているような存在ではありません。今のように本体として話をさせていただいているときの私は、れっきとした人間ですよ。少々歳はとっていますがね」
「じゃあ、分身みたいなやつは何だ」
「まさしく分身です」
「答になってないぜ」
「さて今夜あたり、そろそろサトルさんが顔を出されないでしょうか。メッセージの件、できれば直接お伝えしたいのですが」
あからさまな拒絶であったが、ロビンソンはあえて追求しようとはしなかった。
「あんたなら、サトルの端末に直接潜り込めるだろうよ」
「あなたは私を誤解してますね」
「そうかね」
「喧嘩はやめなさい」
ルナが二人をたしなめた直後、ホストが新たな入室者を告げた。
――サトルさんがいらっしゃいました。
ラウンジに緊張が走る。
「こんばんは。みなさんには心配かけたと思いますが、僕はもう大丈夫です。どうかお気遣い無く。さあ、これまで通り賑やかにやっていきましょう」
間髪入れずの畳みかけるような台詞は明らかに不自然で、当然のように気まずい沈黙が生まれた。
「ねえサトルさん、あなたが気を使うことないよ。ここではもっと肩の力抜いていいのよ」
「そうだぜ、もっとしょぼくれた顔で来てもらわなけりゃ、やりにくいじゃねえか」
「ありがとう。でも、本当にもう大丈夫です。みなさんだから正直に言いますが、昨日までの丸三日間、起きている間中ずっと、寝ているときも夢の中で泣いていました。でも人間って、それ以上は泣けないみたいなんです。今朝目が覚めてからは、パスカルのことを考えても、まったく涙が出なくなりました。たぶん、この三日間で一生分泣いてしまったんだと思います。だから、もう泣きません」
そう言って、サトルはステージの上に実体映像を映しだした。
ロボットチェアに腰掛けたサトルは、本当に笑っていた。
「それに今朝、日本宇宙機構の富永さんから新しい仕事も依頼されまして、張り切っているんです」
「なんだ、あいつ。まだこき使うつもりか」
「どんな仕事なの?」
全員が聞き耳を立てる。
「宇宙船や宇宙ステーションでの作業に従事するヒューマノイド型ロボット開発のアドバイザーです。これはまだ当分先の話ですが、火星への探査機に複数のロボットを搭乗させたいとおっしゃっていました。今回のパスカルの活躍を見て、ヒューマノイド型汎用タイプのロボットが持つ潜在能力を見直したそうです。この分野は昔から日本が最先端の技術を保持していますが、今のうちにできるだけ他国との差を付けておかなければならない、ということでした」
「あいつ、〈もちづき〉墜落からたったの三日で、よくそんなことをサトルにやらせるよなあ」
「僕は嬉しかったですよ。パスカルが認められたってことですから」
「富永君は相変わらずのようですね」
「あ、ミウラさんもおられたのですか」
「呼んでないんだがな」
「そういえば、今日のホストはどなたが?」
サトルの問いに、あちこちで忍び笑いが漏れる。
「ああ、俺の使っているAIにやらせているよ。パスカルの後釜としちゃ頼りないがな」
「ああ、ロビンソンさんの。そういえば、まだお名前を聞いてないですよね?」
「ん、名前か――」
「あら、名前つけてたの。だったら教えてよ。名前がないとやりにくいなあって思ってたのよ」
「そうなのか」
「教えてください」
「――フライデーだ」
ぷっ、とミウラが吹き出した。
「くそっ、だから言いたくなかったんだ」
ロビンソンが顔を真っ赤にしてミウラのアバターを睨みつけた。
サトルとルナは黙って顔を見合わせた。
他のメンバー達は一斉に、ロビンソンの怒りの理由を探るため、〈フライデー〉のキーワードを携えてネットへと飛び出していった。
◇ ◇ ◇
二ヶ月が過ぎた。
一時は地球の大惨事を救った英雄として称えられたパスカルの名も、最近ではどこのコミュニティでも語られることはなくなった。今は中国のデブリ回収衛星の成果がみなの関心を集めている。アストロラウンジも平穏を取り戻し、フライデーのホストも板に付いてきた。
あるとき、ふらりと立ち寄ったショウジョウが、現在も安価なメモリーチップを専門に設計・製造しているヨーロッパの某国企業の古い社員名簿に、ミウラという名前があることを見つけたと報告した。そして、なぜこの社員に目をつけたのかという理由を鼻息荒く語った。
約十年前、その企業が開発・製造した汎用型のメモリーチップが爆発的に売れたことがあった。大容量かつ高性能な製品が、どう考えても儲けが出るとは思えない価格で市場へ大量に投入されたのである。その結果、一時的ではあるが、全世界の同規格メモリーのシェアの八割近くを同社の製品が占めたのだ。
このときのメモリーチップの開発リーダーとして、ミウラの名前が登録されているという。
だからどうしたっていうんだ?
ロビンソンの疑問は、アストロラウンジのメンバー全員の疑問でもあった。
ショウジョウは、ここから先は根拠のない推測でしかないのですが、と断りを入れた上で話を続けた。
これまでミウラのネット上での自由自在な振る舞いを、あくまでもソフト面から考えていたが、仮に各地に設置されているサーバー群をハードウエアレベルで考えた場合、ミウラの開発したメモリーを使用しているサーバーが世界中に遍在している可能性が高いのである。
具体的な手法はまったくわからないが、そのことが、ネット上でミウラの存在形態と何らかの関わりがあるのではないだろうか。荒唐無稽と言われればそれまでだが、推測の先にあることを深く考えれば、とんでもなく重大かつ深刻な事実かもしれない。
ショウジョウが遠慮がちに語ったのは、そんな話であった。
ちなみにそのミウラという人物が今も存命しているなら、今年で八十三歳になるらしい。
今の私にできる話はここまでです。
そういい残して、ショウジョウはラウンジを出ていった。
じゃあ今度、俺が直接ミウラに聞いてやるとロビンソンは息巻いたが、その後、ミウラがアストロラウンジを訪れることはなかった。
そういえばあの流星雨出現の前の週に、パスカルに追加した中古のメモリーチップ、あれってどこのメーカー製だったっけ。
この話を聞いたサトルは、ふとそんなことを思い出したのだけれど、今となっては、確かめる術はすでになかった。
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