風土病

デンガハクがユーグリッドの農園の略奪に成功してたから3日後、2月22日夕方6時、ついに覇王軍はアルポート王国攻略の大詰めに入っていた。


北、南、そして東の陣に1万3000、1万3000、1万4000の陣をそれぞれ敷き、合計4万の軍でアルポート王国1万2000の城を攻めていた。


アルポート王国はもはや最低防衛必要数である5000の軍を、どの方角の城壁でも防備に当てることができず、いつ城門を突破されるかわからない。


覇王自身も東陣の前陣に布陣しており、アルポート城の跳ね橋が降ろされる瞬間を今か今かと待ち構えていた。


「ご注進ッ!! ご注進ッ!! 南の城守の敵将ダイラスが肩に矢傷を負い撤退しました!! 南の城壁の守りは一気に手薄になっております!」


覇王が構える陣に伝令兵が駆けつける。その報告はまたしても覇王軍の優勢を報せるものであった。


「フフ、とうとう南の敵軍も落ちる時が来たか。北のソキン軍は水爆弾を失い、東のリョーガイ・タイイガン軍は半分跳ね橋が降ろされている。もはやどの敵陣も崩壊寸前というわけだ。我々覇王軍の勝利も目前に迫っている」


覇王はアルポート王国攻略戦の勝利を完全に確信し、大胆不敵にほくそ笑んでいる。その瞳の向こうには、今も玉座の上で震え上がっているであろう宿敵・ユーグリッド・レグラスの姿が映し出されている。


もはやアルポート王国は覇王のものとなったも同然。覇王の脳内では既に目下の攻略戦のことではなく、アルポート王国支配後の処遇について考えている。覇王が絶対に殺してやりたい相手はユーグリッドのみ。それ以外の者の命については寛大な処置を取ってやろうと考えていたのだ。


覇王はこのアルポート王国の新たな王として、再び天下統一の覇業に向けて邁進しようと画策する。


そう覇王が野望を再び蘇らせている所に、バウワー家の次弟であるデンガハクが馬に乗ってやって来た。


「兄上ッ!! そろそろ夜も更けてきました! 今は我が軍が優勢ですが、暗くなれば敵の城も攻めづらくなります。同士討ちや敵の夜襲についても慮らねばなりません。ここは一度引き上げ、明日改めて万全な状態で城の攻略をなさってはいかがでしょうか?」


デンガハクの進言に覇王はしばらく顎に手を添えて考えたが、やがて冷静に頷くと弟の提案を受け入れる。


「ふむ、そうだな。無理な攻めをしてこれ以上我が軍に犠牲を出す必要もあるまい。どの道敵にはもう城を守る力など残っておらんのだ。今後のアルポート王国の処遇についても諸侯たちと話をしておきたい。よし、このまま全軍撤退するとしよう」


覇王が安全策の決断をして、大きく右手を振り上げる。


その合図とともに覇王軍の陣鐘じんがね部隊が一斉に銅鑼を鳴らし、北南東の覇王軍に撤退の号令を出す。それぞれの攻城軍はその信号に従い、まるで津波が引き下がるが如く陣を後陣へと転身する。そしてアルポート王国は再び2月の闇夜にふさわしい静寂を取り戻したのだった。


だが彼の国の滅亡は間近に迫っている。もはやアルポート王国には万全な覇王軍に抗う力など残されていなかった。




そしてその日22日の夜9時頃、覇王の陣営では各部隊が食事を取っていた。今日の献立も例のユーグリッドの農園から奪った四季咲米しきさかまいであり、兵士たちの誰もがその美味に夢中になっている。今の覇王軍にとっては食事の時間が毎日の楽しみとなっていた。


「へえ~、ようやく南のダイラスも戦闘不能になったのか。あのスカした野郎も散々暴れてくれたが、ついにあの綺麗な顔を串刺しにできる時がきたってわけだ」


「ああ、どこの敵陣も似たようなもんだ。アルポートの将は皆尽く戦死して、俺たち覇王軍の勝利は目前ってわけよ。はあ~、やっと戦も終わりだぁ。モンテニ王国の遠征からボヘミティリア王国の帰還、それからアルポート王国の遠征にかけてもう俺たち1ヶ月以上も戦ってるんだぜ。そろそろ俺も腰を落ち着かせたいよ」


「ああ、俺も女房をアルポートの奴らに殺されちまった。井戸の中で真っ白けになって死んじまってるのを見ちまってよぉ。あいつら絶対に許さねぇ! もし俺がアルポート王国に乗り込んでやったら、真っ先に俺がアルポートの女どもを陵辱してやる!」


「おいおいやめとけ。お前の悔しい気持ちはわかるが、覇王様は領民への略奪や陵辱を禁止なさっている。もしそんなことをしたらお前の首が飛んじまうぞ。覇王様はこれからアルポート王国の王になるんだから、領民の信頼も掴まないといけないんだ」


「ああ~クソッタレっ! アルポートの奴らにボヘミティリア王国をあんな目に合わされたってのに、結局何も手出しできねぇってのかよ! 俺はアルポートの奴ら全員を殺したくて堪らねえよ!」


「仕方ねえさ。俺たちだってこれから自分の母国になる国を滅ぼすわけにはいかねぇ。俺もアルポート王国で新しい女房を見つけないとな。敵への恨みは忘れて、今後の自分たちの生き方を考えないと」


兵士たちは既に戦勝気分に浸って会話を続ける。覇王同様既にアルポート王国を支配した後のことを考えていたのだ。


だが、その団欒が続く陣の中に一人、不穏な気配を漂わせている兵がいた。その者はずっと無言であり、全くこの談話にも参加していなかった。


「ん? お前大丈夫かよ。随分と顔色が悪いぞ? どこか具合でも悪いのか?」


「・・・・・・・・・・・・」


その兵は四季咲米の入った茶碗を持ったまま固まっている。見るとその茶碗の中身は満杯で全く口が付けられていない。それに隣に座っていた兵が気づいた瞬間、全く動かなかった兵が突然ドサリと倒れ伏した。茶碗の中に盛られた四季咲米をぶち撒けて、ハアハアと荒い息をして胸を押さえている。


「お、おいっ! どうしちまったんだよっ!! 大丈夫かっ!?」


仲間の兵が慌てて駆け寄り体を揺する。だが全く反応がない。それからその倒れた兵の額に手を当てると、火傷しそうなほどその者が高熱を帯びていることがわかった。


「た、大変だ!! この者はとんでもない病気にかかっている!! すぐに軍医の元に連れて行くぞっ!!」


そして兵たちは全員でその病気に伏せる仲間の兵を運び出した。




しばらくして後、覇王にも兵が病気になったという報が届いた。その報告はただ一人分だけではなく、各軍のあちこちで兵が倒れたのだと伝達される。その数は優に5000人を超え、明らかに覇王軍で異常事態が発生しているのだと判明した。


(おかしい・・・・・・これほど突然病気にかかる兵が出てくるとは。一体何が原因なのだ?)


そう疑問を抱くと、覇王は自ら野戦病院と化している衛生部隊の宿営地の元に駆けつけたのだった。


その暗がりの野営地の天幕の中を覇王が覗くと、所狭しと病気となった兵たちが寝床に並んでいた。皆一様に胸を押さえ、苦しそうに呼吸をしている。中にはゲホゲホと荒い咳をし、血を吐く者さえいた。


衛生兵たちはその真っ赤になり汗ばんだ顔を濡れた手拭いで拭き、懸命にその熱を冷まそうとしている。


「軍医よ。これは一体何の病気だ? 何故我が軍に突然これほどの病床の者が現れたのだ? これはいつになったら治まりがつく?」


覇王が触診して病気を確かめていた軍医に口早に問う。


だが軍医は立ち上がると静かに首を振って頭を俯ける。


「申し訳ありません、覇王様。私どもも懸命に診査したのですが、このような症状は初めてでございます。どうやら皆肺を患っているようですが、原因は全くわかりません。これほど多くの兵が突然同じ症状に苦しんでいるとなれば、恐らく風土病が発生していると考えられます」


「・・・・・・風土病?」


覇王がその言葉にひやりと汗を流す。


オウム返しに尋ねられた医者は続けて答える。


「ええ、何か未知の伝染病が流行している可能性があります。その流行り病はもしかしたらすぐに収まるかもしれないし、あるいは長引いてしまい最悪皆死に至るかもしれない。我々にもこの病がどれだけ深刻か判断がつきかねる状況でございます。


ですが、伝染の速度がこれだけ早いとなると我が軍が予断を許さない状況であることは確かです。大事を取ってすぐに何か対策を打ったほうがよろしいかと」


「・・・・・・・・・・・・」


覇王は閉口してしまった。まさかここまで敵軍を追い詰めた頃合いで流行り病が流行するなどとは思わなかった。流石の覇王とて病に抗うことはできない。覇王は止むを得ぬ決断を下した。


「・・・・・・すぐに東陣の外れに拠点を新たに作り、病床の兵たちを今夜中にそこへ移せ。我が軍に病気を蔓延させるわけにはいかぬ。うぬらは引き続き病気の解明を急ぐのだ」


「・・・・・・わかりました。すぐに手配します」


軍医は断腸の思いで覇王の指令を受け入れる。その現実的で正しく、冷酷な判断に逆らうことなどできなかった。


覇王もすぐさま野戦病院を出て本陣に戻り、緊急に軍会議を開く。


諸侯たちも腕を組んだまま重苦しい苦悶の表情を見せていた。


「・・・・・・やはり、このまま病気の兵たちを抱えたまま戦うのは危険でしょう。戦の途中で兵が倒れられでもしたら、我が軍の統率も乱れてしまう。ここは大事を取って病が治まるのを待ちましょう」


「ええ、その通りです。我が軍は一時休戦をすべきです。幸い我々はユーグリッドの農園から奪った兵糧があり、長期戦にも十分耐えうることができます。軍が再び万全な状態になってからアルポート城を攻め落とすべきです」


「はい、私もその意見に賛成です。それにこのアルポート地方で伝染病が流行しているということは、敵の王国でもそれが流行っているということです。敵軍と戦の条件は同じであります。我々がこのまま休戦を続けたからといって、決して不利になるわけではありません」


諸侯たちが次々と一時休戦の案を覇王に献策する。


だが、その流行り病だという前提で意見を述べる諸侯たちに、疑問を呈する将がいた。それは覇王軍副総大将のデンガハクである。


「・・・・・・兄上、俺は少し思うのですが、やはりあのユーグリッドの米に何か仕込まれていたのではございませぬか? 略奪の時期と病気の時期があまりにも一致しすぎている。俺はもはやあの米を食べることに賛同できかねます」


おずおずとデンガハクは兄に自分の考えを口にする。


だが、その進言に覇王も諸侯たちも難色を示した。


「・・・・・・ハク、いい加減にせぬか。お前は少々あの米について疑いすぎだ。お前自身も毒味をしてあの米に毒が入ってないことを証明したであろう。お前はユーグリッドの虚像に怯えすぎて奴を必要以上に警戒している。それは賢明ではなくただの臆病だ。お前も覇王軍の将であるならば、もっと堂々と決断を下せといつも言っておるだろう」


覇王はその怖がりなほど慎重すぎる弟を再び叱りつける。


諸侯たちも沈黙していたが同意見であり、デンガハクを非難の目で見つめていた。


「・・・・・・それに、仮にユーグリッドが米に何か仕込んでいたとしても、もはや我々はその食料に縋るしかない。もしユーグリッドの米を必要以上に疑って焼き捨てなどしては、それこそ我が軍は崩壊して内乱が起こってしまう。


ただでさえ病が流行して兵の心が不安定である時期に、米に毒が入っているなどという噂が流れてみよ。忽ち兵たちは混乱に陥り、アルポート王国と戦う所ではなくなってしまうだろう。


ハクよ、もうこれ以上何も言うな。お前が発言をしても、諸侯たちを無闇に不安に陥れるだけだ」


覇王は素気すげなく弟の弁論を封じた。不安を煽られたくないという気持ちは、覇王自身とて同じだった。今は謎の伝染病が流行しており、その対応に苦慮している所だ。余計な心配事など増やしたくなかったのだ。


デンガハクも兄の心労を気遣い、結局発言を控えてしまう。


「・・・・・・では、諸侯たちよ。我が軍はしばらくアルポート王国と休戦するということで良いな? 何か他に意見がある者は我に申してみよ」


その覇王の呼びかけに誰も答えを返さなかった。もはやこの休戦の議決は会議が始まる前から決まっていたことだったのだ。


その全会一致の暗黙の了承を見届けると、覇王は将たちに勅命を下す。


「全将に告ぐ。しばらく我が軍はアルポート王国との戦を控え、伝染病の治療に専念する。もし各陣に病の兆候がある者が現れた場合、直ちに東陣外れにある野戦病院まで運び出せ。無用な病気の拡大は防ぐのだ」


「「「「「「「「・・・・・・御意」」」」」」」」


そして覇王軍の軍会議が終わり、諸侯たちは一斉に本陣の天幕を出ていった。あと一歩という所でアルポート王国への勝利を逃し、皆歯痒い思いをしている。そして全員がこの先流行り病にどう対処すべきか頭を痛めている。


だがそんな諸侯たちの悩みを他所に、デンガハク一人だけは別の悩みを抱えていた。それはやはりユーグリッドの農園から奪った米の件だった。


(やはり、これはユーグリッドが何か仕組んできたのではないか? 俺はあやつの米などとても信じることができない。だから俺は今まで食事も一切取らず戦ってきたのだ。


だが、それももう限界だ。俺とて飯を食わねば戦うことはできぬ。何か別の手段で、食料を手に入れる方法を探らねば)


デンガハクもまた今後の決断をし、ただ一人となった本陣の天幕から出ていく。


こうして、覇王軍には謎の病が流行し、アルポート王国と一時休戦を取らざるを得なくなったのである。

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