戦いか逃亡か

2月19日深夜2時、緊急で開かれた覇王軍の軍事会議は沈痛な雰囲気が漂う中で始められた。誰もがアルポート王国への勝機を見失い、誰もが深く項垂れている。大きな幕屋の中のロの字型に囲まれた机には、覇王軍の将たちが腕を組んで苦渋の表情を作っている。


その原因は、つい先程巻き起こった覇王軍の東陣兵糧庫が全焼したという大事件のためであった。その東陣の兵糧庫の中には、覇王軍の大軍を養うための全ての食料が備えられていた。その食料が全て焼失したとなれば、もはや覇王軍は餓鬼の集団も同然。いつ皆が飢え死にするかわからない全滅の危機に陥っていた。


「・・・・・・皆、面を上げよ。これより軍会議を始める」


覇王は重々しく諸侯たちに宣言した。だがその覇王自身の顔にも全く覇気が籠もっていない。自らもこの窮地の重大さに頭を痛めているのである。


「・・・・・・議題についてはうぬらももうわかっているであろう。食料を完全に失った我々覇王軍が今後どうするかだ。このまま食事を取らぬままアルポート王国を攻め続けるか、それともアルポート王国を諦め新天地を探し出すか。


いずれを取るにしても厳しい選択肢であることには変わりない。我らは今生死を分かつ絶対に間違えるわけにはいかぬ岐路に立たされているのだ。


戦いか逃亡か。うぬらの意見を聞くとしよう」


覇王がその淡々としたまなこで将たちを見渡す。


だが皆どれも意気消沈として思考がまとまっておらず、とてもまともな意見を述べることができない。


この危地を自信を持って乗り越えられると豪語できる起死回生の策を持つ者など、この天幕には誰もいなかったのである。


そんな中、重々しい口を開き一人の将が意見を出した。


「デンガダイ様、このまま戦い続けましょう。我々は兵糧を失ったとしても依然5万の大軍を持っています。アルポート王国の兵力は推測では恐らく1万8000兵ほど。敵の城を陥落させるには十分な兵力差があり、それに奴らは切り札である大砲の弾も使い尽くしています。即ち我が軍がまだ戦で有利だということです。


我々が空腹になって戦えなくなる前に決着をつけるべきです。今日中にでもアルポート王国を攻め落としましょう」


一人の将が戦争続行の意を表明する。


だが、それに対して異議を投げかける将がいた。


「いや、その意見には俺は賛成できない。


例え我が軍に5万の兵がいると言っても、アルポート王国の守りは鉄壁だ。例え奴らが大砲を使えなくなったとしても、早急に決着が付けられるとは限らない。もし奴らの抵抗が激しく城を守り切られてしまえば、今度は空腹で戦うことができなくなった我らが返り討ちにあってしまう。そうなれば我々覇王軍も一巻の終わりだ。


我々は今日中にでもアルポート王国から撤退し、新天地を求めるべきだ」


また一人の将が撤退の意を表明する。


だがそれに対してもまた別の一人の将が反論した。


「だが仮に逃げたとしても、我々はどこに向かえばいい?


テレパイジ地方にはアルポート王国とモンテニ王国を除けば、もはや5万の軍を養えるほどの国は残っていない。後は近くに小さな町や村が点在しているだけだ。例えその町村を略奪したとしても、雀の涙の食料しか賄えないだろう。


そんな先のない逃亡をするぐらいなら、我々はアルポート王国との超短期決戦を臨むべきだ。全力で我々が戦えば、一日でアルポート王国を陥落することも可能だろう」


また一人戦争続行への賛同者が現れる。


だがそれに対してかぶりを振り、またしても反対の意見を述べる将がいた。


「いや、それはあまりにも無謀すぎる。我々の物資とて、もはや少なくなってきているのだ。現に城攻めのための舟も不足し出している。本来我々はボヘミティリア王国からの支援により無尽蔵に軍船を作ることができていたが、そのための材料すら補給ができない状況なのだ。


それに先程そなたは5万の軍が全力を出せばアルポート王国を落とせると申していたが、その全ての軍隊が本気で戦えるのかどうかはわからない。この兵糧庫全焼の事件は既に全軍にも知れ渡っているだろう。


だとしたら、今夜の夜のうちにも脱走兵が出てしまうことは確実だ。食料がない我々の軍を見限り、アルポート王国へと裏切りを画策する者とて現れるやもしれない。


隠し持っていた食料の奪い合いや無許可での軍馬の殺害、果てには人食いなどの内乱がそう時を経たずして起こりうるだろう。食料のない我々の軍の統率は確実に乱れ、こんな状態ではまともにアルポート王国と戦うことができるとは思えん。


私としてはある程度使えなくなった軍隊は切り捨て、選りすぐりの少数の部隊だけでも今のうちに撤退すべきだと考えている。幸いまだ我々には貯水箱の水の資源が残っており、軍馬を殺して肉に変えればしばらくは食料を賄うことができるだろう」


その冷血な撤退の意見に少なからぬ将が同意を見せる。だがその沈黙の賛同にダンッ!と机を叩いて反駁する将がいた。


「馬鹿を言うなッ!! 我々は誇り高き覇王様の将だぞッ!! このまま兵を見捨てて覇王軍の将が逃げ出したとなれば、我々は永遠に恥晒しの臆病者として歴史に汚名が刻まれることになる!!


我々は偉大なる覇王様に仕えし名誉ある武将の一団だッ!! そんな汚辱に塗れて野垂れ死にを選ぶぐらいなら、例えアルポート王国に破れようとも、華々しく武士として散っていったほうがマシだ!! 我々は最期の時まで讐敵アルポート王国と戦い抜くべきだッ!!」


その玉砕覚悟の決意を見せる勇猛な将に、冷静沈着な将が冷水を浴びせる。


「いや、それは貴公の身勝手な武士の我儘に過ぎない。例えそのようにアルポート王国に特攻し貴公が犬死したとしても、何ら覇王様の名誉が守られるわけでもない。


覇王様は未来皇帝を目指す大義を掲げる偉大なる御方。そしてバウワー家の一族を代々に渡って繁栄させなければならない天命必須の御仁なのだ。並の武将と同じ死に様ではとても覇王様の威光とは釣り合いが取れておらん。


この田舎地方のテレパイジを南東に抜けて大陸の中央に行けば、いくらでも無名の小国ぐらいあるだろう。我々は最低限の軍を率いてその国を着実に落とし、そこで再起を図るべきだ。覇王軍は今はこの一時の恥を忍び、生きて偉大なる覇業への道を達成すべきなのだ」


一通りの覇王軍の諸侯たちの意見が出尽くす。ある者は現実的を見据えた意見を、ある者は名誉を重んじた意見を出し、侃々諤々かんかんがくがくの様相となり真っ二つに賛否が分かれていた。そんな中で、ある一人の諸侯が思い切って覇王に尋ねてみる。


「覇王様、これでは埒が明きません。戦いを続けるにしても、逃げるにしても、最終的な判断を下すのはあなた様です。それが例えどのようなご決断であっても、我々はあなた様に従います。どうか今一度覇王様のご意見をご表明してくださっては頂けませんか?」


覇王はその将の言葉に長く沈黙する。重い瞼を閉ざし、両手を顔の前に組み深く考え込む仕草を見せる。だがその威厳のある双眸はやがてはっきり開かれ、決然とした重みのある声で諸侯たちに宣言する。


「ユーグリッドの農園を略奪する。アルポート王国の南の外れにある大農園を襲撃するのだ」


そして覇王は王の決定を下した。


その覇王の言葉が放たれた瞬間、諸侯たちはどよめきを始めた。その敵の田園地帯の存在を皆知っていたが、あえて誰もこの会議で口にしなかったのだ。


ユーグリッドの農園、それは謀略家の王として既に覇王軍に知れ渡った今となっては明らかに怪しい気配が漂っていた。


その暗黙のうちに不可侵とされていた議題について、あえて覇王は鷲掴みにするかのように核心に迫ったのだった。


「兄上ッ!! それはあまりにも危険すぎます!!」


そしてその覇王の決定に対して真っ先に反対の意を示したのが、隣に座っていた弟のデンガハクであった。椅子を蹴り倒し、血相を変えて立ち上がる。


「ユーグリッドの農園、あれは兄上を油断させて、モンテニ王国に大軍を遠征に送らせるために作った敵の策略です! そんな敵の罠が待ち構えているやも知れぬ農園に近づくなど、明らかに火中の栗を拾うようなものです! あの農園には近づくべきではありません! 我々の最初の軍会議でも、そのように決定が下されたではありませぬか!!」


デンガハクは一所懸命に兄の決定を取り下げようとする。


だが覇王は目を瞑ったまま静かに首を振り、けれど明確に有無を言わさぬといった厳格な態度を弟に示した。


「わかっておる。敵が罠を張っていることなど百も承知の上だ。だが、我ら覇王軍の5万の兵を養うにはそれしか道はあるまい。虎穴に入らずんば虎児を得ず。もはや我々がアルポート軍に勝つためにはそれしか方法がないのだ。


そしてハクよ、その虎穴に入るのはお前自身だ」


「ッ!!!」


その覇王の冷厳なる勅命が下され、デンガハクは驚愕する。まさか兄が自分を明らかな窮地に陥れるなどとは思っていなかったのだ。


「ハクよ。はっきりと言おう。この兵糧庫全焼の事態を招いたのはお前の責任だ。お前がドムなどというよく素性も知りもせぬ将に、兵糧の全権を任せたことが全ての発端となっている。その将は今行方不明であり、明らかに敵が放った工作兵だったと言うことはもはや疑う余地がない。もしお前が我の弟でなければ、我はお前の首を斬り落としていた所だ。


だが、今はお前に慈悲を与えてやろう。見事敵の米を奪い、我が軍の兵糧を確保できたのならば、お前の犯した失態は永遠に不問としよう」


覇王の厳格なる弟への審判が下される。


その公明正大な軍事決定にもはやデンガハクは従わざるを得ない。


「・・・・・・わかりました、兄上。覇王軍の兵糧庫を失ったのは確かに全て俺の責任です。例えこの命に変えてでも、必ず覇王軍の元に兵糧の米を届けて見せます」


デンガハクは苦渋の表情を作りながら、兄に承諾の意志を示す。


覇王はその弟の悔恨と意思決定をまっすぐに受け止めながら立ち上がり、そして王の勅命を下した。


「デンガハク・バウワーよ。覇王デンガダイ・バウワーの名の下にお前に勅命を与える。直ちに5000の騎馬隊を連れてこの陣を発ち、アルポート王国南にあるユーグリッドの農園の略奪を行え。そして米を奪った暁にはお前自身が毒味をし、敵が毒を盛っておらぬか身を持って証明するのだ」


「・・・・・・御意にござります。兄上」


その拝命とともに軍事会議が終了する。


その後デンガハクはすぐさま諸侯会議の幕屋を出て、己の軍から騎馬兵を選りすぐり部隊を組む。


そして19日の夜も明けきらぬ3時の早朝、デンガハクの騎馬部隊はユーグリッドの農園へと出撃する。


こうして、デンガハクの命を賭けた農園の略奪が始まったのである。

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