兵糧庫焼き討ち

一方その頃、19日の深夜0時過ぎ、東陣前陣ではデンガハクが寝床についていたが、なおも眠れずに天井を見上げていた。今後の戦についてまだ思い悩んでいたのである。


(本当にこれでこのまま勝てるのだろうか? 確かにアルポート王国は大砲の残弾が尽き、絶体絶命の危機を迎えている。だが、彼の国の王はあの狡猾なユーグリッド・レグラスだ。あの幾度も我々をたぶらかしてきた謀略の王が、何の策もなくこのまま無抵抗に我々に滅ぼされていくのだろうか?


いや、そうとは決して考えられない。俺も一時は奴らへの勝機の光明が見えて酔っていたが、今考えれば奴が何か我々に策を巡らせてくる可能性は十分ある。具体的な根拠はないが、そんな気がしてならない。最後まで十分に警戒はしておくべきだろう)


デンガハクはそこでガバリと起き上がる。目が冴え頭の中が思考で熱くなっている。


(気が散って眠れん。少し東陣の様子でも見てくるか。しばらく夜風に当たれば、眠気もまた芽生えてくるだろう)


寝間着のデンガハクがそう思い立ち、外出用の服に着替えようとする。その時だった。


「か、火事だッーー!!」


突然外から兵士の悲鳴のような叫び声が聞こえてきた。その騒ぎ声は見る見る内に大きくなり、一瞬で人々の喚き声が陣のあちこちで湧き上がった。


(何ッ!? 火事だと!? まさか敵が夜襲を仕掛けて来たとでも言うのかっ!?)


デンガハクは慌てて鎧を身に纏って三本の剣を腰に差す。急いで天幕の幕を開け、すぐ近くに繋げてあった馬に飛び乗る。


空をあちこち見渡すと、東の前陣の端側で7つの黒い煙が巻き起こっていることがわかった。その黒煙は朦々とうずたかく星空へと立ち上り、霧の魔物のような不気味で得体のしれない恐怖を兵士たちに与えていた。


(おのれ!! 我々の軍を火攻めにするつもりかっ!? ユーグリッドめ、そうはさせんぞッ!!)


デンガハクは煙が上がる一番近くの現場へと向かった。至急駆けつけると兵士たちが燃え盛る天幕を囲み見上げていた。


「デ、デンガハク様ッ!? こちらにおいででしたか! 我々は一体どうしたらいいのでしょう!?」


兵士は慌てた様子で振り返り、デンガハクに指示を仰ぐ。だがデンガハクが辺りを見渡すと、燃えているのはその兵たちが囲んでいる天幕たった1つしかなかった。周りの地面には草花も生えておらず砂利道であり、特に炎が燃え広がる心配もない。このままここの火事を放っておいても甚大な被害を被ることはないと判断できた。


「おいっ、お前たち。怪しい人影はなかったか?」


「いえ、この辺りは特に見回りの兵士も巡回しておらず、誰もこの区域には駐屯していなかったはずです。天幕の中の様子も調べましたが、地面に燃えた藁が敷き詰められているだけのようで中には誰もおりませんでした。現在天幕の内部は火の海に包まれております」


兵からその不可解な報告を受け、デンガハクは疑念に包まれ考え込む。


(妙だな・・・・・・もし本当に敵が我々を本気で火攻めにするつもりなら。人が密集している中央の陣を集中して放火するはずだ。だがこの天幕は主陣から外れた片隅にあるもぬけの空の地点だ。こんな所に火を放っても我々の軍の誰一人とて殺すことができないぞ。


・・・・・・だとしたら、これはもしや、敵の攪乱こうらん作戦ではないのか!?)


デンガハクはそこで思い至りハッとなって気づく。


(そうであったとしたら、敵は本当はどこを狙っている? 東の前陣を取り囲むようにして我が軍には火が放たれている。当然この騒ぎは既に東の後陣にも行き渡っているだろう。もしこの火事の混乱を確かめるべく、後陣の部隊が前陣まで出動したとしたらどうなる? そんなことになったら後陣が手薄になってしまう。


がら空きとなった後陣、我々が最も重要としている急所。もしそこを敵が狙ってきたのだとしたら・・・・・・まさか、兵糧庫が危ないっ!!)


デンガハクは敵の思惑を看破し、すぐに馬を翻す。


「その火事は放っておけっ!! その火は直に消え失せる! それよりもお前たちは俺とともに兵糧庫に来いっ!! 敵はそこにいるはずだ!!」


そして配下たちに命令を下すと、一斉に即席の騎馬隊が兵糧庫に向かう。物々しい爪音つまおとを立てて陣を駆け抜けていった。


ちょうど前陣から後陣に変わる境目の地点まで進むと、不審な部隊が大勢で荷物を運んでいるのを発見した。


「おいっ、お前たち!! どこの部隊の者だ!! その手に抱えている大きな箱は何だっ!?」


「こ、これはデンガハク様! 大変でございます! 敵が焼き討ちを始めてきました!」


「もう知っている! それよりその箱は何だ!! さっさと言えっ!! 言わねばこの場で切り捨てるぞっ!!」


デンガハクが長剣を抜き荷物運びの兵士たちに脅しつける。兵士たちは突然の副総大将の有無を言わさぬ恐喝におののき、恐る恐る答えを返した。


「わ、我々は兵糧庫を預かるドム将軍の部隊のものです。ドム将軍より東陣で火事が起こったという報せを受け、我々兵糧庫部隊全軍は貯水庫にある水箱を持って前陣で消火作業を行うようにと指令を下されたのです。ドム将軍は他の部隊にも火事の報告を伝えると言って別行動を取っております」


「何っ!? ドムの命令だと!? あいつがそんな指図をお前たちに下したのか!?」


デンガハクは驚いてオウム返しに尋ね返す。そしてデンガハクはますますこの部隊への、そしてドムへの不信感を募らせたのだった。


(おかしい。いくら火事だとは言え、兵糧庫の全部隊を出動させるなどと馬鹿げている。少なくとも半数は兵糧庫に残しておくはずだ。それに覇王軍にとって貴重な水を火事の消火のために運ばせただと!? 奴も兵糧長であれば、水の大切さぐらいは知っているはずだ。奴の行動はあまりに不自然過ぎる。


・・・・・・まさか、まさかこれは全てドムの仕業なのかっ!?)


デンガハクの疑いは確信に変わり、この馬鹿正直に兵糧長の指示に従った兵士たちに改めて指示を出す。


「すぐに全員兵糧庫に引き返せ!! 敵の狙いは我々の兵糧庫だっ!! そしてドム、あやつは敵に通じている裏切り者だッ!! あやつがこの放火騒ぎを手引した犯人だっ!!」


デンガハクはとうとうドムが兵糧庫を焼き討ちにしようとしていることを看破する。だがその時には既にもう遅かった。


「ああっ!! デンガハク様!! あれを御覧ください!!」


騎馬隊の兵士の一人が声を上げて天を指差す。


すると東前陣の火事とは比にならないぐらい轟々と燃え盛る炎の山が見えた。その方角はやはり後陣の中央にある覇王軍の兵糧庫であり、遠目から見てももはや鎮火できる見込みがないことがわかった。


その轟炎は兵糧庫の食料を全て焼き尽くして、一切食することができない灰の塊に変えてしまうだろう。もはや覇王軍はこの瞬間から、食物を何も口にできない餓鬼の集団に成り果ててしまったのだ。


その事実を知った上でも、なおもデンガハクは諦めきれなかった。


(くっ!! とにかく兵糧庫に向かわねばっ!)


デンガハクは馬を駆けらせ、その後から騎馬隊と兵糧部隊が追いかけてくる。だが兵糧庫についた時にはもう、食料倉庫の群れは夜空に向かって幾百もの炎の渦を巻き上げていた。


その灼熱の演舞はまるで昼のように明るく、まるで真夏の陽射しのように熱かった。


兵士たちはその炎に魂を吸い取られたかのように、茫然とその煌々とした惨劇の光景に目を奪われていた。


「ああ・・・・・・ああっ・・・・・・何ということだ・・・・・・我が軍の兵糧庫が燃えている・・・・・・何故こんなことになってしまったのだ・・・・・・」


デンガハクは右手に持っていた長剣を落とし、カラカラという金属音を聞きながら脱力する。もはやデンガハクですらこの巨大な炎の猛獣相手には成すすべがなかったのだ。


兵糧庫の北南に敷き詰められていた百合と油藁の草原は、今やただの灰燼となっており、二列に並んだ倉庫の大群を焼き尽くす。その緻密に準備された草花の火種の点火作業には、1分と時間がかからなかったであろう。


この爆炎の焼き討ちを巻き起こすために、全ては計画通りに、ドムは兵糧庫の長になることを自ら進言してきたのだ。


その裏切り者の正体を知った時、デンガハクは全身を怒りで打ち震わせた。天を仰ぎ、赤い巨大な蛇の群れとなった敗北の空を睨み上げる。そしてデンガハクは絶叫した。


「おのれドムゥゥッッ!!! よくも、よくも俺をたばかったなァァッッ!!」

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