覇王の献立要請

2月18日の朝7時、覇王軍の兵糧庫では一斉にごま油の藁を地面に敷き詰める作業が行われていた。倉庫の下や側面に既に植えられていた百合の花畑の間に、隙間なく藁の束が添えられていく。


「よし、このままネズミ退治の毒藁をありったけ置け。急げよお前たち、遅れる奴はその場で鞭打ちだぁッ!!」


ドムに化けたユウゾウはがなり声を立てて覇王軍の兵站へいたん兵たちに命令する。


相変わらずの兵糧長の横柄な態度にも、もはや部下たちは慣れっこだ。ドム将軍が何を怒鳴り喚いていてもいつものことと無視を決め込むようにしていた。


「よし、作業が終わったな。どれどれ? ちゃんと藁を置けたか確認しよう」


ユウゾウは兵糧庫の西北の一番奥の高床式倉庫から順々に、東に向かって調査を開始する。


百合の花畑の間の藁は確かにどれも隙間なく敷き詰められている。それはちょうど北と南の食料倉庫が横二列に並んだ棟の下に、二本の藁と百合の草道となって繋がっている。兵糧庫全体ではちょうど漢字の”二”の巨大な文字が油藁と百合の群れによって書き表されているのだ。


(これで兵糧庫焼き討ちの準備が完了した。油藁も百合の花の下に隠れて、外側から火計の火種が見えないように偽装した。後はその機が来るのを待つだけだ。そしてその時は今夜12時に俺たちによって決行される。この火計工作に俺たちの全てを賭け、ユーグリッド様への忠義を尽くす!)


そしてユウゾウはそのまま夜になるまで粛々と兵糧長の任務をこなしていった。




そして夜10時になると、デンガハクの定期面会の時間となった。陣門を門番に開かせ、デンガハクが馬に乗ってやって来る。それは毎日見受けられる光景だった。


だがその隣には意外な人物がいた。その者は大きな黒馬に乗っており、人中を超えた巨体を持つ全身を黒鎧で纏った将。まさしくそれは覇王軍総大将デンガダイ・バウワーだった。


(覇王っ!?)


思わずユウゾウはその黒馬に乗った圧倒的な存在に息を飲む。その絶大的な威圧感の前では誰もが道を開けたじろいでしまうのだった。ユウゾウもまた反射的に一歩身を引いてしまう。


「ほう、この者が新しい兵糧統括者か。中々良い面構えをしておるな。シュウメイをなくしてしまったのは惜しかったが、うぬは頼りになる男だとハクから聞いておるぞ」


覇王は黒馬の上からユウゾウを見下しながら賞賛を送る。


ユウゾウはその恐怖すら覚える逞しい風格に、思わず己の主に行っているように跪いて頭を下げてしまう。


「フハハ、そこまでかしこまらずとも良い。面をあげよ、ドムとやら。今日はうぬと少々今後の食料のことで打ち合わせをしにきたのだ」


覇王は寛大な言葉をユウゾウに投げかける。


ユウゾウもその言葉に呼応してゆっくりと頭を上げ、その覇王の岩石の塊のような顔を眺める。


(覇王・・・・・・これほど間近で見たのは始めてだ。やはり人間離れした化け物の益荒男ますらおだ。少しでも気を緩めれば、俺の正体が一瞬で発覚して瞬く間に殺されてしまう。そんな悪寒すら覚えさせられるほど恐ろしい出で立ちだ)


ユウゾウは膝をついた姿勢のまま体を強張らせる。それは半ば恐怖によって体の芯まで肉体が凍っているのだ。


「ドムよ、立つがよい。我もうぬがそのように体を縮こまらせていては話がしにくい。何、別にうぬに何か叱りつけようとしているわけではない。今後の食事の献立について要望を出しに来たのだ」


「・・・・・・かしこまりました」


ユウゾウは緩慢な動作で立ち上がる。全身の筋肉の緊張をまずほぐす必要があった。体から湧き上がってくる本能的な震えを抑えるのに必死になる。


覇王はそんなユウゾウの恐れの心持ちなど露とも知らず、無邪気な子供のように話を続けたのだった。


「うぬが今行っている朝、夜だけの食事制限。あれを今すぐ止めて3食に戻せ。流石にアレでは我も腹が減ってな。雑炊や水増しした汁物も元の白米と出し汁に戻すのだ。あんな味気のない飯では兵たちの士気も下がってしまう」


覇王が食事の増量を悠々とした態度で要求する。覇王とて人、やはり己の食欲には抗うことができないようだ。


だが隣にいたデンガハクは、その兄の提案に難色を示す。


「・・・・・・兄上、やはり俺は食事の量を元に戻すことには反対です。兵糧の余裕がない我々にとって今食料は我々の生命線。それを無闇に消耗するのは得策とは思えません」


弟の慎重が過ぎたる提言に、覇王は煩わしそうな顔を向ける。


「・・・・・・ハク、お前もしつこいやつだな。先程の軍事会議でも決まったことだろう。今後は食事を3食に戻すと。将たちも皆幼い子供のように喜んでおったわ。食事をたらふく食べられるということは兵たちの士気を上げることにも繋がる。やはり腹が減っては戦はできぬということだ」


「で、ですがっーー」


言いかけたデンガハクに、覇王は手のひらを伸ばして言葉を制する。


「それにもうアルポート王国は風前の灯火だ。夜の7時ぐらいになってから奴らは大砲を撃ってこなくなった。その上ついに城壁に攻城できた我が軍の兵たちもいる。つまり奴らにはもはや防衛戦の切り札である大砲の残弾が残っていないということだ。明日からは本格的な城攻めを決行する。そのためには兵士たちの英気を万全に養っておく必要があるのだ」


覇王は弟の反対意見を先んじて封殺すると、そのままぐるりとユウゾウの方へ向く。


「して、ドムよ。もし元の通り3食分満足な食事を出すとしたら、後我が軍の兵糧はどれくらい持つ?」


「・・・・・・凡そ5万の兵を養うのに8日分かと存じ上げます」


ユウゾウは何とか冷静さを取り戻しながら瞬時に計算をする。


「8日か・・・・・・我の読みよりも1日分少ないな。だが、それだけあれば十分だろう。兵士たちの士気を腹いっぱいの食事によって有りっ丈高め、一気にアルポート王国を攻略してくれる。今の大砲が使えなくなった弱小のアルポート王国であれば、3日もあれば落とせるはずだ。


もはや奴らの終焉の時は近い。あの憎きユーグリッドを我の大斧で叩きのめせる日も、すぐ目前にまで迫っているということだ。そして我が新たなアルポート王国の王となってやろう」


覇王は戦の行く末を推し量りながら、ユーグリッドへの殺意を剥き出しにする。その静かな憎悪の念は確かに今でも瞳の奥に宿っており、その網膜の裏にはいつも弟のデンガキンの凄惨な死の光景が映りだされている。


ユウゾウはその覇王の獰猛な復讐心に焦りを感じた。


(やはり、アルポート王国には時間がないようだ。戦局は今アルポート王国側が絶望的なほどに劣勢だ。もはや今夜中に俺たちで敵の兵糧庫を焼き討ちするしか道はない。覇王め、絶対にユーグリッド様を殺させはせんぞ!)


瞳の奥で、ユウゾウもまた憎悪と決意の炎を宿す。その鉄の意志は静かに覇王の心臓に目掛けて注がれていた。


だが己の任務は飽くまで覇王を暗殺することではなく兵糧を破壊すること。目の前の巨漢の王を殺したい気持ちを押さえながら、ユウゾウは従順な覇王の家臣を演じ続けた。


慇懃無礼なほど礼拝の姿勢を崩さぬユウゾウに、覇王は期待の眼差しで声をかける。


「さて、ドムよ。うぬももう我の話は飲み込めただろう。良いか、もう一度言うぞ? 明日から3食分全て満杯の飯だ。我も毎日の食事は楽しみにしておる。うぬらの作る飯は中々に美味であるからな。では明日からもよろしく頼むぞ」


そのまま覇王は胸を弾ませながら、黒馬を翻すと陣を去っていった。


デンガハクも慌てて兄の後を追う。


ユウゾウはその大柄な二人の兄弟の背中をギラギラとした目つきで睨み続けていた。


(待っていろ、覇王。そのお前が楽しみにしてるという3食の食事、明日から何も残さず灰に変えてやるっ!)


ユウゾウは心の中で痛い目に遭わせてやろうと誓いを立てる。


その後シノビ衆たちとともに自分たちの拠点に戻っていった。


そしてシノビ衆たちは天幕の中で、ユウゾウから今夜の作戦について仔細を聞き届けると、全員黒装束の潜入衣装に着替え終えた。


「いいか、お前たち。我々の任務もこれで最後だ。俺が話した作戦の通りに動き、敵の兵糧庫を全滅させるぞ」


「「「「「「「はっ」」」」」」」


そして18日が終わり、19日の深夜0時過ぎとなると、シノビ衆は暗躍を始めた。

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