兵糧長の疑惑

2月15日の夜9時半、デンガハクは軍事会議を終えると東陣の前陣にある自分の野営地へと帰還していた。デンガハクはその返り道で今日の議題について思い返す。


(くっ、やはりタイイケンを討ち取ったと言えと、我々覇王軍が不利なことには変わりない。アルポートの敵軍に大砲がある限り、こちらが城に攻め入るのはかなり困難を極めている。アルポートの兵力に犠牲がほとんどないのに対して、我々の軍の被害は甚大だ。このままだと食料どころか兵力の喪失まで我々は危ぶまなければならなくなる)


デンガハクは拳を握りしめて今の戦況を口惜しがる。弱小国だと思っていたアルポート王国の抵抗は予想以上に激しいものだったのだ。完全に覇王軍は敵軍を舐めていたのである。


(だが、奴らの大砲の弾さえ尽きれば、我々に勝機が生まれる。そして我らが里ボヘミティリア王国と、弟のキンの仇を討つことができる。俺と兄上はその瞬間が来ることを信じてこの切羽詰まった戦に臨んでいるのだ。後は兄上が策を授けて放った西陣のカマンが、敵の武器庫の破壊工作に成功することを祈るしかない)


そしてデンガハクが仇討ちに思いを巡らせながら、己が寝泊まりする天幕に入った時だった。


(ん?)


ふと自分の机に視線を遣ると、その上に見覚えのない紙が置かれているのが目に入った。近づいて見てみると、それは兵糧長のシュウメイの名が記された置き手紙だった。


(シュウメイの奴め、一体俺に何の用だ? 勝手に俺の天幕に入ってきおって・・・・・・)


デンガハクは自分より低級の将の非礼に腹を立てながら手紙を読む。するとそこにはこう書かれていた。


『デンガハク様、兵糧庫のことで緊急事態が発生しました。今日の深夜12時、東後陣の第8陣北奥の天幕までいらしてください。誰も耳にも入らぬよう秘密裏にお話したいことがございます。今日私は別の用事があって兵糧庫にはおらず、話のための準備をして待っております。シュウメイより』


(緊急事態だとッ!? シュウメイの奴、また何かやらかしたのか!? 次こそはただでは置かんぞッ!!)


デンガハクは頭をカンカンにしながら約束の時間まで待ち、11時45分になると、馬に飛び乗り後陣第8陣へと向かう。その日15日が終わる深夜12時ちょうどの時間に、デンガハクは打ち合わせの天幕に入った。


「シュウメイ! 来てやったぞっ!! あんな無礼な置き手紙など渡しおって! 貴様は礼儀というものを知らんのか!!」


デンガハクは開口一番怒鳴り声を上げながら入り口の幕を捲くり上げる。だが、そこで目にしたのは自分が殴り飛ばしたシュウメイではなく、名も知らぬ8人の部隊だった。


「デンガハク様、お待ちしておりました。私はシュウメイの元で副将を務めているドムという者です」


手のひらに拳を当てた礼拝の姿勢を取り、一番前の将が名乗りを上げる。


「副将? シュウメイの元にそんな者がいたのか? もしやあの無礼な手紙を置いたのもお前だったのか? 一体俺に何のようだ!?」


デンガハクは訝しみながら声を荒げて問う。


「ええ、申し訳ございませんデンガハク様。確かにあなた様が留守の間にあの置き手紙を置いたのは私めでございます。ですが実を申しますと、手紙にもお書きしました通り、我々覇王軍の兵糧庫で緊急事態が起こっているのです。それは私の主のシュウメイが横領をしている疑惑があるということです」


「何ッ!? シュウメイが横領だとッ!?」


あまりの一大事の事態を聞き、デンガハクは目を皿にして驚く。


「はい、12日の夜にも食料の横領事件が我が軍の兵糧庫でも起こりましたが、実はそれはシュウメイが行っていた可能性が高いのです。実を申しますと私めはその日、シュウメイが食料袋を自分の天幕に運び入れるのを見てしまったのです。


そして私は驚いて主の簒奪を疑い、しばらく密偵を張り巡らせていたのですが、やはり今日もシュウメイが食料袋を運び入れているのを発見してしまいました。


もはやシュウメイが我々覇王軍の食料を奪っていることは間違いありません。ですからどうか事の真相を確かめるべく、デンガハク様にはシュウメイの天幕を調査していただきたく存じ上げます」


ドムの話を聞き終えると、デンガハクは顔を真っ赤にして拳を震わせていた。


(おのれシュウメイっ・・・・・・兄上の信望を預かっていながら覇王軍に仇なす真似をするとはッ! 絶対に許さんッ!!)


「・・・・・・わかった。直ちにシュウメイの天幕を調べるとしよう。お前たちの部隊もついてくるがいい」


「御意っ!」


デンガハクが怒りの声を殺しながら、ドムたちの部隊に命令する。その後デンガハクが天幕を飛び出て馬に乗り、脇目も振らず駆け出していく。


ドムたちの部隊も馬に乗って後をついていった。


そして東後陣の南東の野営地に騎馬隊が着き、デンガハクは断りも入れずシュウメイの天幕の中に入る。


「・・・・・・シュウメイ、起きよ」


デンガハクが声を押し殺しながらシュウメイの前に立つ。だがシュウメイは馬耳東風に爆睡しており、寝床に入ったままデンガハクに背を向けている。


「起きろと言ってるのがわからんのかッ! この盗人がッ!!」


そしてデンガハクは強烈な蹴りをシュウメイに炸裂させた。


思わずシュウメイは低い唸り声を上げて仰向けに寝返る。そしてその突然の奇襲に何事かと思いながら、シュウメイはまだ激痛の走る背中をさすりながらノロノロと起き上がる。


「な、なんでございましょうデンガハク様? こんな夜更けに一体何の御用でしょうか?」


「惚けるな!! この裏切り者めッ!! 貴様が我が軍の兵糧を盗んだことはわかっている! ここにいる者たちの密告により貴様の罪が判明したのだ! よもや言い逃れができるとは思っておらんだろうな!?」


「なっ!? 私が兵糧を盗んだですとッ!?」


その突然の濡れ衣にシュウメイは驚愕しながらガバリと起き上がる。


「ご、誤解でございます! 私は横領などしておりません! 私は誠心誠意を込めて覇王様の兵糧の管理をしているだけでございます!! その者たちの言ってることは全くの出鱈目でございます! どうか私の話を信じてくださいませ!」


シュウメイは頭を深々と下げてデンガハクに懇願する。


だがそのデンガハクの大柄な体からは全身から怒りの炎が湧き上がっており、全く信じていない目でシュウメイの縮こまった体を見下している。


「貴様、飽くまでシラを切るつもりか・・・・・・ならば今すぐここで貴様の天幕の中を調べてやるっ! 貴様が己の天幕に食料を隠したことはわかっているのだからな! おいお前たち、シュウメイの幕屋の中を調べろっ!!」


デンガハクは後ろで控えていたドムたちに人指し指をビシリと指し命令する。


すると忽ちドムの部隊が一斉にシュウメイの天幕を探り始める。机の抽斗や敷物の裏、更に地面に掘られた形跡がないか手慣れた手付きで確認する。


「デンガハク様、ありましたっ! 我が軍の食料袋ですっ! 袋の中には金銀財宝の宝物まで入っている! これは間違いなくシュウメイが我が軍から盗んだものです!!」


ドムが声を張り上げてデンガハクに調査結果を伝える。


デンガハクはどしどしと歩き、天幕の真ん中に置かれた袋の積荷の中身を確認する。その事件の証拠を見て取るとと、ますます額に張り裂けそうなほど青筋を立てて震えだす。そして再びシュウメイに近づくと、思い切りその胸ぐらを掴み上げた。


「・・・・・・おい貴様、これはなんだ? 何故貴様の天幕にこんな食料や財宝がある? 貴様は東陣の兵糧庫はおろか、南陣の宝物庫にまで手を出しておったのか? もはやこれだけ証拠が揃っていて、まだ言い逃れをするつもりか?」


デンガハクはドスの効いた声で問い、怯え切ったシュウメイの顔を鼻と鼻の先がくっつくほど己の顔に引き寄せる。もはやシュウメイのことなど虫けら以下にしか思っていない。


「ご、ご、ご、誤解ですッ!! これはあの者どもが私を嵌めるために巡らせた罠ですッ!! 私は覇王様の物資など一切盗んでおりません! どうか、もう一度お考え直しをーー」


そこまでシュウメイが言葉を言いかけた瞬間だった。


デンガハクは渾身の力でシュウメイを地面に叩きつけた。ダンっ!という甲高い物々しい音が響くとともにシュウメイの全身が麻痺をする。もはや彼の者は背骨の骨さえ折れて身動きが取れなくなっていたのだ。


「黙れぇッ!! 貴様が俺を恨んでいることは知っているっ!! 貴様は俺に殴られた仕返しのために、覇王軍の物資を盗んで脱走しようと図っていたのだなっ!? だが貴様ももうこれで終わりだ!! 死ねぃッ!!!」


デンガハクは長剣を抜き、そのまま動けなくなったシュウメイの心臓に剣を突き立てる。


「ギャアアアアァァァッ!!」


シュウメイは醜怪な悲鳴を上げてそのまま絶命した。憐れな最期の絶叫が夜の天幕の外まで鳴り響く。


罪深き窃盗犯を刺し殺したことにより、デンガハクは少し溜飲を下げて呼吸を整えた。


「はあはあ・・・・・・さて、我が軍の裏切り者はこれで始末した。だが、同時に兵糧庫を統括できる者がいなくなってしまった。今食料困難に陥っている覇王軍にとって、兵糧の管理は最重要項目だ。すぐに埋め合わせをせねばならんな・・・・・・」


デンガハクが収まらない怒りの衝動のままに独り言を呟く。


その副総大将の悩みの声を聞き届け、後ろで主の死を見届けていたドムが一歩前に出た。


「デンガハク様。不肖ながらその役目、私めに任命していただきたく存じ上げます!」


ハキハキとした声でドムが名乗りを上げる。


デンガハクは驚きと訝しみを同時に抱きながらさっと後ろに振り返る。


「何? お前が兵糧長にか? お前にそんな職が務められるのか?」


「はい、さようでございます。私は長年数多の国で兵糧係を務めて参りました。覇王様の軍に投降してからも、陰ながら兵糧管理の職務を全うしてきました。私めは誰よりも今の覇王軍の兵糧庫について熟知していると自負しております。是非私めに兵糧統括者としての任をご命じください!」


ドムが恭しくキビキビと頭を下げ頼み入る。


デンガハクは顎に指を添え悩んだが、考えた末にいくつか当たりを付けてみることに決める。


「なら、お前にいくつか質問させてもらおう。兵糧庫の長としてふさわしいか試験させてもらう」


それからデンガハクは口頭で覇王の兵糧状況についての問題をドムに投げかけてみた。


ドムはスラスラと覇王軍の兵糧事情について詳しく話して見せる。それはまるで兵糧帳簿を全て暗記していたかのような明晰な回答だった。


「・・・・・・ふむ、なるほど。それだけ詳しいのであればどうやらお前に任せられそうだ。長年兵糧係に務めていたという話も本当のようだな。ならばドムよ、お前に覇王軍の兵糧庫を任せる。明日から兵糧長として兵糧庫の管理の任務に当たれっ。後で兵糧庫の者たちにも報せておこう」


「はっ! 仰せのままに!!」


ドムの部隊が一斉に右手の拳を左胸に当てた敬礼の姿勢を取る。


その一糸乱れぬ統率感に、ますますデンガハクはドムに信頼を寄せた。


(これで兵糧庫の後任もばっちりと決まったことだろう。後衛の支援はこの者たちに新しく任せるとしよう。俺は陣の前線でアルポートの敵軍との戦いに専念せねば!)


「ではドムよっ、後のことはお前に任せるぞ! この裏切り者の後始末はお前たちがやっておけっ!」


「御意っ!」


ドムは再びデンガハクの命を受け敬礼する。


そのままデンガハクは天幕から出て、馬に乗って前陣へと戻っていった。


ドムはこっそりと入り口の幕を開けてその後ろ姿を見届ける。


「よし、上手くいった。これで覇王の兵糧庫は俺たちの思うままだ。後はシュウメイの死体を片付けて俺たちの拠点に戻るぞ」


「「「「「「「はっ」」」」」」」


そしてユウゾウたちシノビ衆はドムに化けたままシュウメイの死体を焼き払い、バラバラにして覇王軍の馬の餌にした。


こうして、2月16日の深夜2時過ぎ、シノビ衆の兵糧庫乗っ取りの任が完了したのだった。

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