アルポート王国の喪失

2月13日昼1時、デンガハクが血と内臓の雨を浴びながら空を見上げると、そこには騎馬をした覇王が立っていた。


今アルポート王国最強の武将タイイケンを斬り伏せたばかりであり、その己の巨躯と同じ大きさのある大斧には肉の破片が赤々とついている。逆光から見えるその人馬一体となった黒い怪物は、まるで魔界からやって来た魔物の将軍のようだ。


「・・・・・・ハク、無事か?」


だがその禍々しい姿とは裏腹に、魔物の将は優しい声を弟に掛ける。


「あ、兄上ッ!!」


不死身だと思っていた敵将の恐怖から解放されたデンガハクは、思わず立ち上がり幼子のように兄の下へと駆け寄ってしまう。


「も、申し訳ございません兄上! 兄上が懸命に作り上げた投石機を、これほど敵の手によって落とさせてしまうとは。俺自身も全て剣を失ってしまい、不甲斐なきこの身を呪うばかりです・・・・・・」


デンガハクは礼拝の姿勢を取って慌てて兄に謝罪する。この失態はこの戦の勝敗すら決めかねない重大な変局だった。


だが兄の態度はその恐ろしい見た目からは考えられないほど、どこまでも弟に寛大だった。


「構わん。我もタイイケンの武名は知っている。”三剣のデンガハク”と言われるお前といえど、タイイケンを討ち取ることは難しかったであろう。むしろアルポート王国の腹心であるタイイケンを倒すことができたのだ。この戦績は喜ぶべきことであろう」


覇王は弟の奮闘を労い、デンガハクにその岩のような巨大な手を差し伸べる。


「乗れ、ハクよッ! ここはもう危険だ!! 敵の大砲が今我らを狙っておる!! 急いで撤退せねばなるまい!!」


「っ!!!」


デンガハクはハッと我に返り、アルポート城の城壁の上を眺める。見ると黒々とした殺戮兵器たちが一斉にこの地点にめがけて標準を合わせていたのであった。


「急げハクッ! 投石機はもう捨て置け!! お前の命のほうが大事だ!! 全軍撤退せよォッ!!」


覇王はデンガハクの腕を引き上げながらあぶみの前に乗せる。その武器を全て失くし戦う力も失った弟を、その巨躯に包み込んで大切に保護する。


デンガハクは兄の優しさに触れ、涙と悔しさに溢れながら覇王の黒馬に揺られるままに体を委ねる。


そして覇王軍の前衛部隊たちも一斉に、投石機を捨てて干潮の如く撤退した。


「くそったれェッ!! タイイケンをぶっ殺しやがってッ!! こうなったら、てめぇらのたまを必ずここでブチ抜いてやるッ!!」


城壁のリョーガイは怒りと憎悪のままに大砲の発射命令を繰り出す。


一斉に逃げ去っていく覇王軍に黒い玉の群れが襲いかかる。


だが、素早く動く人の群れには中々命中させることが難しかった。いくつかの部隊は犠牲となったが、肝心のバウワー家の兄弟を殺すことができなかった。


それでもリョーガイは敵軍が大砲の射程範囲からいなくなるまで大砲を撃ち続けた。


「クソッ!! クソがッ!! まさか本当にタイイケンが死んじまうなんてッ!! クソッ!! クソッ!! せめて残りの投石機だけでもぶち壊してやる!!」


リョーガイは覇王軍が撤退した後、がら空きになった投石機に向かって一斉射撃する。


敵がいなくなり、逃げることすらできなくなった投石機の群れは難なく全て破壊される。


そのタイイケンの無念を晴らすかのような射撃攻撃が終わり、リョーガイは少しだけ溜飲が下がった。


「・・・・・・タイイケン、あんたは最期まで立派な男だったよ。商人の俺でも、あんたが本物の武人だってことがわかった。けどよぉ、あんたがいなくなったら誰がこの国を守るんだ? この覇王のイカれた10万の軍勢相手に誰が決着けりをつけてくれるんだ?」


リョーガイは額に手の平を当てて項垂れる。


アルポート王国の最も偉大なる武人の死に、誰もが肩を沈めていた。タイイケンの部下たちは主の死に、一目も憚らず女のように啜り泣いていた。


そしてアルポート王国中で慟哭が始まった。もはやその訃報は瞬く間に全土に知れ渡っていく。




そしてその日13日の激戦は終わり、夜8時覇王軍は全軍撤退した。アルポート平原は今、兵の足音1つ響かぬほど静寂に包まれる。


だが一方でアルポート王城の中の玉座の間では、王がとても荒んだ様子を見せていた。


「何てことだッ!! タイイケンが死んでしまうなんてッ!!」


その日の戦闘が終わってすぐ始められた諸侯会議で、ユーグリッドは嘆き悲しんでいた。大粒の涙が王の目元から止めどなく溢れ出てくる。己の命令がタイイケンを死に追いやったことを後悔し、何度も玉座の間の肘掛けを拳で叩きつけている。


諸侯たちも皆タイイケンの死に衝撃を受けており、タイイケンの一族や親交のあった者たちは、止まらない涙を床に洪水のように零れ落としていた。玉座の間はまるで諸侯たち全員が一人の家族を失くしたかのように胸が引き裂かれそうな思いになっていた。


だがそんな中でアルポート王国の重鎮ソキンだけは冷静であり、項垂れる王の真正面に厳として立ったのだった。


「陛下、どうかお気持ちを取り直してください。今は覇王の大軍が我が国に侵略をしている国家存亡の危急の時。今の諸侯会議もタイイケンの死を嘆くためにあるのではなく、今後の覇王との戦いについて戦略を議論するためにあるのです。いつまでもそんな風にめそめそ泣いていては、覇王との決戦になど勝つことができません」


ソキンは冷淡すぎるほど落ち着いた声で主君を諌める。まるでそれはタイイケンの死の事実があったことさえ蔑ろにされているように見えた。


そして王はソキンのあまりにも死者を慮らない態度に思わず激昂してしまう。


「お主は・・・・・・お主は悲しくはないのかッ!! タイイケンが、我が国の支柱となる大切な家臣が死んだのだぞッ!! 俺はまるで父親をまた亡くしたように心が痛いッ!! お主はタイイケンの死を何とも思っていないのかッ!!」


ユーグリッドは子供のように泣き喚きながら、ソキンに首を伸ばして当たり散らす。


だがソキンは飽くまで厳しい態度を保ったまま王を叱りつけたのだった。


「いい加減になさいませ陛下ッ!! 私とてタイイケンが戦死して悲しんでおります!! 誰かが死んで誰かが悲しまぬはずがないでしょう!!


ですが、ここは戦場です! 人が何人も死んで当然の場所なのでございます! いちいち人が死ぬ度に泣いていては誰も戦うことなどできませぬ! そして陛下、あなたがしっかりと気丈を保たねば、もっと人が死ぬことになるのですよ!!」


ソキンは細い目をきつく吊り上げて嘆き入る王を威圧する。それは王の誇りを守るアルポート王国の家臣として、そして義理の息子の頼りなさを支えるレグラス家の一族として、あえてユーグリッドに孟母断機もうぼだんきの思いで接していたのだった。


「いいですか、陛下? よくお聞きなさい。あなた様はこのアルポート王国の王です。この国の臣下たちの、この国の国民たちの模範となるべき偉大なる先導者なのです。


その道標たるあなた様がずっと泣いていては、臣下たちもずっと泣き続けます。それではこの国がただの無力な赤ん坊の集団と成り果ててしまう。あなた様は例えどれだけ大切な人がいなくなって辛かろうとも、泣くことは許されないのです。


そんなことをしても、あなた様に仇なす敵は誰もあなた様に攻撃を止めたりしません。むしろ王が弱りきった所を幸いとし、その隙を突いてあなた様を殺そうとします。そしてあなた様がまんまと敵に殺されれば、あなた様が治めるこの赫赫かっかくたるアルポート王国さえも忽ち滅びを迎えることになるでしょう。


いいですか、陛下? もう一度言います。アルポート王国の王であるあなた様は決して泣いてはなりません。そんなことをしては今この国に攻め入っている覇王の思う壺です。王が無能となり、アルポート王国自体がまた弱小となれば、確実に覇王はその隙を狙って、この偉大なる亡き海城王が治めし国を滅ぼすでしょう。


そうなればあなた様も諸侯たちも泣き喚くことすらできず、全員死ぬことになります。あなた様は偉大なる王家レグラス家の血筋を受け継ぐ王として、前を向いてこの王国を守り抜かねばならぬのです!」


ソキンが俯く王の頭に向かって叱咤激励の言葉を浴びせる。


その義理の父の厳しく、けれど正しき諫言が王の心の奥底まで響き渡って突き刺さる。もはや王は覇王と戦うことを決めた時から、慈悲のない鬼とならねばならないことを思い出したのだ。その厳格な王としての冷酷さは敵を殺すことに対してだけではなく、味方を殺すことに対しても発露せねばならぬものなのだ。


王は再び修羅となって覚悟を蘇らせる。国を守るということは、己の感情も己の大切なものも、それを捨てるべき時は捨てるべきなのであり、己にしか成し遂げられぬ茨の道なのであった。


「・・・・・・済まぬ、ソキン。俺は赤子に戻っていた。この玉座には、身勝手に自分の感情を曝け出す赤子など座るべきではない。俺は王だ。この国を支えなければならない唯一無二の存在だ。


そして俺はこの国が決めた大義を思い出した。それは覇王デンガダイを倒すこと。その国命を果たすことこそが、タイイケンに出撃しねと命じた俺にできる、唯一のタイイケンへの手向けの儀礼だ」


王は心を取り戻し、決意を再び目の内に宿す。


ソキンは近づきすぎていた王からそっと離れ、また普段の左腕に右手を添えた礼の姿勢を取る。


「ええ、その心意気でございます、陛下。今は目の前の覇王との決戦に全力を尽くしましょう。いつの日にか必ず覇王の首級を我々アルポート王国の手によって上げるのです。


では早速その覇王との戦いについてお話したいのですが、新しい大将軍を誰が担うのか早急に決めなければなりません。今この国はタイイケンを失ったことにより、アルポート王国の全軍を統括することができる者がおりません。この覇王との決戦を制すためには、新しい総指揮官が必要となるでしょう。


つきましては陛下、不肖ながらその大将軍の役目、このソキンめに是非ともご信任をしていただきたく存じ上げます。


私めは朝廷時代より特に大きな功績を上げたことはございませぬが、その代わり長年城の守備を務めて参りました。敵の城攻めに対する防衛戦略についても熟知しており、このアルポート王国の諸侯たちからの信頼も厚い。


ですからこの覇王軍の侵略からのアルポート王国防衛戦においても、きっと正しく将兵たちを指揮してみせます。そして私が必ずこのアルポート王国の城を守り抜いてみせましょう。


ですからどうか陛下、私めに今、大将軍の職の拝命をご命じください」


ソキンは予め台本を考えていたかのように、スラスラと王に大将軍の地位を要求する。


そのドサクサに紛れた露骨なソキンの権勢欲の表れに、辟易する諸侯たちも少なからずいた。


だが王は既にソキンのことを信頼しきっている。例えそれが己の私欲を満たすためだとしても、同時にこの国への忠義を果たすための心の表れなのだということを理解していた。


「・・・・・・わかったソキン。お主の言う通りにしよう。この国の軍事の全てを任せられる者は今お主しかいない」


王は即座に決断を下し、玉座より勅命を下す。


「アルポート王国の将ソキン・プロテシオン。アルポート王国国王ユーグリッド・レグラスの名の下に、お主をアルポート王国大将軍の位に任命する。


これよりはアルポート王国全ての軍事権を担い、アルポート王国の全ての軍事行為に対する責任を持つものとする。そして今の覇王軍からのアルポート王国防衛戦の全ての軍事決定権を有するものとし、同時にこのアルポート王国防衛戦を必ず勝利に導くことを義務付ける。


諸侯らよ、これよりはソキンの命令を王の勅命として認知し、全ての軍事活動においてはソキンの指揮に絶対的に服従するものだと認識を改めよ。新たな大将軍となったソキンに祝福の拍手を」


王が諸侯らに喝采を促す。


諸侯たちも王の命令のために一応両手を叩くが、その音は決して歓迎の意を表していない。


タイイケンという武の大黒柱の埋め合わせが、果たしてこの戦功の特にない老将にどれだけ担えるのか未知数だった。諸侯らは不穏と疑念に包まれながらなおざりな拍手を続ける。


そしてしばらくしてそれが終わると、王は改めて軍事会議を再開した。


「さて、新たな大将軍も決定したことなので、早速ソキンに今日の戦況報告について進めてもらおう。ソキン、後のことはよろしく頼む」


ユーグリッドは隣に立つソキンに情報交換の進行を任せ終えると、己は玉座で静観することを決める。


「はい、ユーグリッド陛下。では軍事会議を始めさせていただきます」


ソキンは柔和な声で返事をすると玉座の間の階段の手前まで歩みを進める。思わしくない顔をする諸侯たちを順々に見渡すと、鷹揚に声を張り上げた。


「では諸侯たちよ。これよりアルポート王国の軍事会議を始めるとする。そなたたちが今日守備に着いた東西南北の城壁での戦況についてまず聞くこととしよう。ダイラス、まずは南城壁のそなたからだ。王の前に跪き、報告をせよ」


「・・・・・・はっ」


ユーグリッド軍直属の将ダイラスはぎこちない足取りで王の前に膝を付く。そして敵軍との一進一退な攻防戦について詳細に報告した後、すぐに下がった。


東側の城壁での戦闘以外では、特にこれといった変事はなく、どこもアルポート城の防衛に成功できていた。


「では、これで全ての諸侯からの報告が終わった所で、今後の戦いの方針について指示を出す。これまで通り西門以外は均一に兵力を配備し、現状の軍備体勢を維持したまま敵軍との交戦を続けよ。


以上、これで軍事会議を終わりとする。詳しい兵備事項については取り決めが終わり次第、追って諸侯たちに連絡する」


その端的な新大将軍の最初の指示が終わると、玉座の間から沈黙しながら諸侯たちは去っていく。事務的に今後の防衛戦の段取りが進められた中で、諸侯たちは不安を抱いていた。果たして覇王軍相手に無策のまま戦い続けていいのだろうかと。きっと覇王は恐るべき戦略でアルポート王国を攻略してくるのではないのかと。


そして13日の夜が明ける。2月14日となり、覇王軍とのアルポート王国防衛戦は3日目の朝を迎えた。

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