岩の雨振る恐怖の戦場

そして午前11時頃となり、リョーガイは東の城壁の上に出陣していた。


「おうっ、リョーガイ!! やっと貴様が来たかっ!! 待ち侘びたぞっ!!」


まるで地獄の門番のように見える巨漢の将タイイケンが溌剌はつらつとした声で肩を叩いてきた。


だが正直に言ってリョーガイには戦う気力が湧かない。それでも一応聞くべきことは聞いておこうとタイイケンに質問した。


「タイイケン殿、今戦況はどうなってるんだ? アルポートが勝ってるのか?」


「ああ、それがどちらとも言えず進展はない。こっちは先ほどやっと敵の投石機を一機破壊でき、敵の残りの投石機は14機だ。だがこちらの軍にも被害が出ており、1000人ほどの兵が死んだ。今この東の城壁にいる兵力は9000人ほどだ」


リョーガイはタイイケンの報告を聞き終えたが、結局それがいい状態なのか悪い状態なのかどうかすらも判然としない。


ただ周りを見渡してみると、城壁の上には所々血溜まりができており、負傷した兵や戦死した兵が退かされたのだということがわかった。中には掃除が間に合わず、そのまま指や腸の破片が転がりっ放しになっているのが発見された。


リョーガイはゾッと背筋を凍らせ、改めてここが戦場なのだとはっきり自覚したのだった。


(・・・・・・リョーキ。俺が死んでも、嫁の貰い手ぐらいは見つけろよ)


娘を忍び思い、リョーガイは戦場に出ることを決意した。パンパンと自分の頬を両手で叩き、気つけと気合を入れる。


「聞けッ、大砲部隊ッ!! ユーグリッド陛下のご勅命により、リョーガイ・ウォームリックが馳せ参じた!! これよりの大砲の全ての指揮は俺が取るッ!!」


その西地区の主の登場に大砲部隊が湧いた。


リョーガイの大砲の腕は亡きサルゴンに次ぐものであり、この戦局を打破できるものだと皆信じている。


コツコツと赤い鉄の長靴を鳴らしながら、城壁の最前衛に出る。見るとちょうど敵軍の投石部隊が瓦礫の補給を行っている所だった。残弾が切れ、敵軍の投石機が攻撃を止めている。


(あの馬に乗って剣振り回している野郎はデンガハクだな。けっ、相変わらずいけすかねぇ爬虫類みてぇな声で喚いてやがるぜ。いつぞやの俺が殺されかけた時の借り、返してやる!)


リョーガイは憎き怨敵の姿を確認するとそのまま戦意を燃やす。その敵将の蛇のころろき声にも負けぬほど大声で命令を下したのだった。


「大砲の標準を合わせろぉッ!! そこのお前は右に25度、そこのお前は下に10度だァッ!! そこのお前は俺と代われぃッ!!」


リョーガイの細やかな指示に兵士たちが従い、一斉に大砲の向きが調整される。


そしてリョーガイ自身も部下とともに大砲の向きを動かすと、自ら導火線に火を付けた。


「大砲に火を付けろッ!! 撃てぇッ!!」


松明を振りかざし、リョーガイが号令を発した。


結果はわずかに全ての玉が投石機を逸れ、代わりに補給を行っていた敵軍の兵士たちが吹き飛んだ。


遠くから見ても、その光景が吐き気を催すほど凄惨なものであることがリョーガイにはわかる。


「次だ次ィッ!! 玉を込めろォッ!! お前は下に5度、お前は右7度動かせぇッ!!」


そしてほんのわずかだけ大砲が動かされる。


「撃てぇッ!!」


導火線に火が付き、大砲が放たれる。


隙だらけになっていた敵の軍勢は一斉に肉片を散らし、投石機共々粉々になる。


その戦績は誉れ高く、ついに連続して3つの投石機を破壊できた。


(よしっ、上手くいったぞ! この調子なら昼の2時ぐらいには帰れそうだ・・・・・・)


リョーガイは悠長なことを考えながら、額の汗をフウ、と拭う。だが戦の素人が慢心している暇はない。とうとう敵も攻撃を再開した。


「バネの紐を2センチほど緩めろッ! 敵の城壁に当たるまでもう少しだッ!!」


そして敵の投石機部隊も調整を行う。バネがさらに緩み、弦の回転数も少なくなる。そのまま発射装置の匙が下げられ、瓦礫の破片が積まれる。


「放てぇッ!!」


そして11つの岩の残骸が宙を舞った。10個は外れたが、1個は命中した。城壁の凸凹でこぼこの石垣に掛けられていた大砲の1つに命中したのだ。


鉄の大筒は岩の瓦礫によって破壊され、両隣にいた兵士たちも赤く飛び散った。


すぐ近くにいたリョーガイの頬にも、ベトリと嫌な感触が走った。そして大砲は残り18門となった。


「すぐに瓦礫を退かせろぉッ!! 補給部隊の移動を邪魔させるなぁッ!! 死体は海に放り込んでおけェッ!!」


そのもはや人を人とも思わぬタイイケンの命令に、リョーガイは思わず全身の血流を凍らせる。


瓦礫は後ろの支援部隊によって担がれて城壁の裏へと投げ込まれ、手足の千切れた死体は全て拾われ海に投げられる。そのまま補給部隊が大砲の玉や火薬の箱を持ってきて、前線の大砲部隊の前に置く。


(クソゥッ!! クソゥッ!! 大砲1つに何万金両掛かってると思ってやがる!! 兵を新しく雇うのだってタダじゃねんえだぞッ!!)


リョーガイは自分の財産が目減りしたことに憤慨し、また地団駄を踏む。だがもはやそんな子供じみたことをしている暇はない。


敵軍はどんどん投石機を打ってきていたのだ。


「何をやっておるリョーガイ!! さっさと次の命令を出さんかッ!!」


タイイケンの恫喝のような催促にハッとなって我に返り、リョーガイは慌てて指示を出す。


「つ、次は後ろの投石機を狙うぞォッ!! そこのお前は右斜め上に45度、そこのお前は左斜め上に30度だァッ!! 俺が最後の前方の投石機を仕留めるッ!!」


そして瓦礫が宙を舞う中、再び大砲が発射された。リョーガイが放った大砲は見事前方の投石機に命中した。


だが残りの部下たちが放った大砲の玉はあらぬ方向に飛んでいき、一兵も仕留めぬまま大地に虚しいヒビ割れを付けた。


そして敵軍がさらにアルポート軍を追い詰める。


「一旦攻撃を中止して、残った投石機を後退させよッ!! それが完了したら、前方の壊れた投石機を後ろの投石機の真正面まで移動させよッ!! 凡そ50メートル離れた位置に配置するのだッ!!」


投石機の守備部隊が一斉に後退を開始する。ガラガラと鈍い音を立てて焦げた車輪が回り、更に遠くの所に投石機が配置されようとする。棒になるほど的が小さく見えてしまい、それが完了すれば、アルポート軍は更に投石機を大砲で撃ち抜きにくくなってしまうだろう。


リョーガイは慌てて指示を出した。


「逃がすかァッ!! 移動している投石機に大砲を撃ち込めェッ!! できるだけ多く仕留めるぞぉッ!!」


部下たちも慌てて一心不乱に位置を調整し、導火線に火を付ける。


だがその砲弾はリョーガイを含めて全く的外れな方向に飛んでしまった。アルポートの平原には18個の鉄の玉が侘びしく地面にめり込む。


「何をやっておる馬鹿者ッ!! あんな腑抜けた玉を撃ちおってッ!! 貴様は討ち死にしたいのかッ!!」


「わ、わかってるよ・・・・・・次こそちゃんと当てる・・・・・・そんなに耳元で怒鳴るなよ」


タイイケンの一喝が飛んできて、リョーガイは体を縮こまらせながら再び額に汗を流す。


更に敵軍は前方の破壊された投石機の移動を始め、後ろの投石機の目前に配置する。高さのある投石機の残骸によって後ろの投石機が全く見えなくなり、ますます本命の投石機に当てにくくなる。


(クソッ! どうする? これじゃ後ろの投石機に当てられねぇ。ますます敵の思う壺じゃねぇか・・・・・・)


リョーガイはまず前方の投石機をもう一度打ち払おうかと考える。だが、それは下策だとすぐにわかった。


ただでさえ前方の投石機を全て破壊するのに苦労したのに、それをもう一度やるなど時間の無駄であり二度手間でしかない。そもそも仮に打ち抜けたとして、投石機の塔が完全に剥がれ落ちるかどうかすらわからない。


結局リョーガイは見えない後ろの投石機を狙うしかなかった。


「と、とにかく高角を上げろぉッ!! 大砲を放った後、横目で当たったかどうか確認するッ!! とにかくひたすら撃ちまくれェッ!!」


リョーガイの無秩序な命令に大砲部隊も焦り、ひたすら玉を込めて撃ち出した。


だが、それが横目で確認しなくとも、あらぬ方向に飛んでいったことがわかる。全く敵軍に当たることもなく、もはやどう調整すれば投石機に近づくのかすら判断できなかった。


その時、アルポート城に瓦礫が飛来する。その襲来は痛恨の一撃となり、リョーガイが操っていた大砲に命中する。


間一髪、リョーガイは後ろに反射的に飛び退いて事なきを得た。


だがリョーガイとともに大砲を調整していた兵士は大砲ともども木っ端微塵となった。ゴロリとリョーガイの足元に顔だけの死体が転がってくる。


その顔は右半分だけがなくなっており、側面の肉がむき出しになっている。鼻の赤黒い空洞や口の空洞が丸見えになっており、片方だけになった眼球の赤い視神経の糸がデロリと床に垂れ下がっている。その飛び散った潰れた目からはたっぷりと硝子体の透明な粘液がドロリと地面に流れていた。


「ヒ、ヒャアァァァァッッ!!」


思わずリョーガイは気持ちの悪いれた悲鳴を上げる。その青ざめた面差しにはもはや投石機を破壊しようという戦意はない。足がガタガタと震え、立派に着飾った赤い鎧姿も形無しだった。


部下たちはなおも必死で当たらぬ大砲を撃ち続ける。もはや指揮官が戦闘不能になった今、思い思いに乱れ打ちを決行するしか無かった。


(いかん!! リョーガイが完全に臆病風に吹かれおった!! このままでは兵の統率が乱れ、敵の投石機を破壊することがままならなくなるぞッ!!)


タイイケンは危惧を察し、リョーガイに叫んで発破をかける。


だが当のリョーガイはタイイケンの怒鳴り声など耳に入っておらず、血塗れの石の地面の上で尻もちをついたまま、口をわなわなと震わせている。


(この馬鹿者がッ!! 貴様が指揮を取らねば勝てぬだろッ!! だが、こんなに腑抜けてしまってはもはや此奴は使い物にならん。かといって大砲の素人である俺が指揮を取ったとしても結果は何も変わらん。どうする? この戦況を一変させる奇策はあるか?)


なおも飛び交う大砲と投石機の応酬の中で、タイイケンが思考する。そしてアルポート王国最強の男は武士としての覚悟を決めた。


(・・・・・・もはや、これしか道はあるまい。覇王の10万の軍に真正面から飛び込むなど馬鹿げている。だが、この軟弱な商人を再び奮い立たせるにはこれしかない。これが俺の、最期の戦いになるだろう)


タイイケンは素早く身を翻すと城壁の階段を駆け下りていった。


その大将軍の逃走を目にしたリョーガイはますます錯乱状態に陥ってしまう。


アルポート城壁の混乱は極まり、投石による犠牲者の数も増えていく。


現在戦局は、アルポート軍の兵力2万6000、覇王軍の兵力8万8000、アルポート王国の東側の大砲の数残り17門、覇王軍の投石機の数残り10機となっていた。


この混沌を極めた遠距離合戦の行く末は、ますます激戦を繰り広げていく。

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