アルポート王国の凱旋

2月1日午前9時、アルポート王国のユーグリッド王が率いる3万の軍は、ボヘミティリア王国との戦争が終わり、祖国で凱旋を行っていた。


城下町の領民たちは王の軍の帰還を祝い、歓声を上げながら兵士たちに花びらの雨を浴びせる。


兵士たちは意気揚々とにこやかに領民たちに手を振り、その無事戦争から生還できた逞しさと覇王軍に勝利した栄誉を誇る。中には凱旋式の行進から離れ、家族と抱き合い涙を流す者もいた。友人と再開を果たし戦利品をひけらかす者もいる。


王は特に行進から離れ、軍の規律を乱す者を咎めたりはしなかった。


領民たちはその戦勝の福音に喜び合い、兵士たちは互いの奮闘を称え合い、そして全国民がアルポート王国の独立を祝賀する。


アルポート王国は今、繁栄の最前線の岐路に立っていたのである。


だが決して王はそこで気を緩めたりはしない。覇王との10万の軍との決戦がまだ待ち構えているからだ。行進の先頭に立ち、王の灰色の馬を引くソキンの先導に揺られながら、ユーグリッドは覇王との近い将来の戦争について考える。


(まずは一戦、覇王との戦いに勝利することができた。だが、これは決してアルポート王国の繁栄を約束するものではない。国を失い野盗となった覇王10万の軍は、必ず報復のためにアルポート王国を攻めに来る。


今アルポート軍はボヘミティリア王国との戦争で5000の兵を失ってしまい、3万の軍となった。覇王の軍はならず者の集まりとなった餓鬼の軍と言えど、兵力は依然3倍以上の差がある。


次のアルポート王国防衛戦こそが、覇王との最後の決戦となる。正真正銘アルポート王国の繁栄と滅亡を賭けた、この国の行く末を決める一世一代の大勝負となるのだ)


やがて王の軍勢はアルポート王国の王城に辿り着き、すぐさま王宮に王の帰還が知らされた。


「お帰りなさいませ、ユーグリッド様」


ユーグリッドが諸侯たちを引き連れて玉座の間に戻ると、玉座を預かる王妃のキョウナンが弾んだ声を響かせた。キョウナンは静やかに物腰落ち着いた様子で夫が玉座の前に到着するのを待ち侘びている。


その少し膨らんだ腹には手を添えられ、ようやくつわりが落ち着いた5ヶ月目となる王の御子を宿していた。その王妃としても女としても気品のある堂々とした御姿は、王であり夫であるユーグリッドの留守を立派に守り続けていたのである。


「キョウナン、体の具合はどうだ? アルポート王国に何か異変はなかったか?」


王は優しげな眼差しで愛しい妻を見遣る。


「はい、とても具合はよろしゅうございます。ユーグリッド様がご不在の間はテンテイイ様と相談し、この国の内政をとくと治めて参りました。特にアルポート王国に大きな事件などは起こってございません」


「そうか、よかった。おキョウ、無理をさせて悪かったな。お前は身重の体でまだ症状も収まったばかりだというのに」


「いいえ、ユーグリッド様。おキョウはユーグリッド様のお役に立てて嬉しゅうございます。おキョウはこの国の王妃として、そしてユーグリッド様の妻として、アルポート王国とユーグリッド様の御子を守ることが務めでございます」


「ありがとう、おキョウ。お前はいつも、俺の王座も、俺の心も、俺の家族も、ずっと心強く支えてくれている。俺はお前という女性ひとに本当に救われてばかりだ」


王と王妃は長い時を経た逢瀬を終え、互いの手を握り合い、その愛の言葉を紡ぎ合う。やがて王は王妃の手を優しく引き上げ、よろけそうになる妻の体を支えて立たせる。そして二人は口づけを交わした。


「・・・・・・キョウナン、俺はこれから諸侯たちと大事な会議がある。お前は自分の部屋で待っていてくれ」


「はい、おキョウはこの子とともに部屋に戻ります。ユーグリッド様がおキョウに会いたいと願う時は、いつでも部屋にいらしてください」


キョウナンは宮仕えの女たちに連れ添われながら玉座の間を後にした。


王はその身籠った妻の後ろ姿を見送ると、急にあまり喜ばしくない顔に変化した。


(本当ならキョウナンにはこんな話を聞かせたくはない。だがいずれはどうせ知られてしまうことだ。やむを得ない。覇王を倒すためにはやらなければならないことだったのだ)


ユーグリッドは重々しく玉座に座り、全諸侯たちが集まった謁見間に向けて会議の開始を宣言する。


そしてアルポート王国の留守を預かっていた文官たちは、王の報告に衝撃を受けていた。


「ボ、ボヘミティリア王国の全国民を虐殺したッ!?」


テンテイイは驚きのあまり王の言葉をオウム返しする。


だがユーグリッドは平然として臣下たちに言葉を返す。


「ああそうだ。覇王の国の領民と兵どもは一人残らず根絶やしにした。だがこれは軍事的戦略において必要なことだったのだ。これからお主たちにもこの国の今後の成り行きについて説明しておこう」


ユーグリッドはそれから淡々とその戦争での恐ろしい事実の数々を語った。


王の滔々とうとうと感情の籠められない語り口に文官の諸侯たちは、その平和主義だったはずの主君の豹変ぶりに顔を見合わせる。


テンテイイなどは、その虐殺の光景を目の当たりにしたかのように想像が思い浮かび、ゾッと背筋を凍らせていた。


「そうだ。我々アルポート軍は二度とボヘミティリア王国が再起できぬように全ての土地に火を放った。これで覇王のために仕える領民どもも一掃されたということだ。覇王は今帰る故郷を失い、その敵軍が自滅するのも時間の問題となった。


だが我々にも今国家存亡に関わる危急の問題が起こっている。それは覇王軍が我々に報復するために、この国にまた10万の軍で侵攻してくるという事態だ」


黄金の鎧を着たままのユーグリッドは、諸侯たちを気つけするために、海城王の黄金の剣の鞘をカンッ!と地面に叩きつける。


諸侯たちはビリリと緊張が走り背筋を伸ばした。


「良いか? この国の戦争はまだ終わっていない。必ず近々、我々アルポート王国は覇王10万の軍と対決することとなる。その覇王の襲来の日に備え、至急アルポート王国城塞の防備を整えねばならん。


良いか、皆の衆。この国の命運は今この瞬間、この機会に我々が覇王とどう立ち向かうのかに懸っている。この国が永遠に繁栄の道を歩むのか、あるいは永遠に滅びの道を歩むのか、その二極対立の運命の岐路に我々は今立たされているのだ。


良いか皆の衆、よく聞けッ! 覇王は10万の軍を引き連れて必ずこのアルポート王国を攻め落としに来る。その決戦の日に備え、武官の諸侯たちはアルポート王国の防衛戦の軍備を整えよ。そして文官の諸侯たちは領民たちの混乱を避けるため予めお触れを出し、その避難先となる経路を確保せよ。


以上で本日の諸侯会議は終了する。各自覇王の襲来に備え、すぐに各々の職務を全うせよ!」


ユーグリッドが解散を宣言すると、武官の諸侯たちは王の命令を既にわかりきっていたかのようにゾロゾロと出ていった。


だが文官の諸侯たちは、アルポート軍の虐殺に戸惑い、覇王軍が襲来するという将来の事態に混乱していた。


テンテイイも冷や汗を流して体を固まらせている。


「テンテイイ!」


そしてその心境を知ってか知らずか、王は唐突に宰相に呼びかける。


「お主はこれから兵士名簿を持ってリョーガイとともに兵練場の広場に向かえ。ボヘミティリア王国侵攻戦に参加した兵士たちに、報奨金を贈らねばならん。既に兵務庁に連絡して報奨金の計測の準備は整えてある。急げ、聖戦を果たした名誉の騎士たちを待たせるわけにはいかん」


王は宰相に命令を下すと、そのまま誰もいなくなった玉座の間を出ていく。


テンテイイはポツンと一人残され、あまりにも唐突すぎる王の命令に口をあんぐりと開けていた。


(ああ、何てことだ。我が主君は覇王をも凌ぐ覇道をお選びなさったのだ!)


しばらくして後、テンテイイは兵練場の広場へと赴いていた。


そこにはアルポート軍3万の全兵が集まっており、己の戦績の自慢話や武勇伝の披露で盛り上がっている。皆ユーグリッドから酒と肉を振る舞われており、まだ正午を回っていないというのにほとんどの者が酔っ払っていた。


「でさぁ、俺はその女の股ぐらに剣を刺してやったわけだよ。そしたら女が化け物みたいな声でギャアギャア喚いてさあ。隣にいたガキもピーピー泣くもんだからそいつの股も裂いてやったんだよ。まあこういうの親子丼って言うのかな? そいつらの血の出たデカい穴に俺たちの部隊のモノも入れてやったってわけよ」


「うひゃひゃひゃひゃっ! そいつは面白ぇや! 俺は貴族どもの身ぐるみ剥がすのに夢中で女に構ってる暇なかったぜ。早速今朝帰ってきてから商人に見繕ってもらんだけどよぉ。そしたら俺の薄給の給料の1年分ぐらいの額になったぜ」


ギャハハハハハと兵士たちは下卑た笑い声を上げる。テンテイイはその積年の山賊を目の当たりにしたかのような会話に思わずヒッ!と声を上げる。


(ああ、何てことだ! これがあの誇り高き海城王の兵士たちだというのか? 皆正気を失っておる。覇王への恨みつらみが爆発して人としての道徳を失っておるのだ!)


かつて海城王の前の時代よりアルポート王国に仕えてきたテンテイイは、これほど残虐になったアルポートの兵士など見たことない。皆家族や友人があり、普通の民草として生活を営んでいる。それは敵国であったボヘミティリア王国の住民とて同じだろう。


だが兵士たちは皆そのことを忘れてしまっており、もはや武人として敵を重んじる礼節も、アルポート王国に仕える家臣として恥を控える慎みも、全て失ってしまい欲深い獣の群れに成り下がっているのだ。


テンテイイは空を見て嘆く。アルポートの戦士たちは、もっと国や国民のことを慮り、そして海城王の名誉を重んじる誇り高き者たちではなかったのか。


「おや、テンテイイ殿? ここにいらっしゃいましたか。あんたがいないんじゃ戦争の事後処理の仕事ができねぇ。全く探しましたよ」


振り向くと、リョーガイがツカツカと腕を両袖に入れながら近づいてくる。既に赤い鎧兜は脱ぎ去られており、いつもの豪奢な商人服を纏っている。


「兵士名簿は持ってきやしたか? 誰がおっんじまったかの確認も取らないといけねぇ。そいつらの家族にも弔慰金を出してやらねえと」


「え、ええ・・・・・・」


テンテイイは俯きながら返事をする。『弔慰金』という物悲しい鍵言葉を聞き、やはり戦争があったのだとまざまざと自覚される。そしてこれから先も覇王との戦争は続くのだ。テンテイイはその国の憂いに哀愁を感じ、思わず一粒の涙を流す。


「あれっ? どうしやした? 何か腹でも痛めましたか?」


「い、いえ。少し埃が目に入っただけです」


テンテイイは目をこすりながらリョーガイの後に付いていく。


するとそこには机を一列に並べた兵務係たちが座っており、長蛇の列となったアルポート兵たちに対し、報奨金受け渡しの事務手続きを行っていた。その謝礼金の贈呈は直接その場で手渡しで行われており、ますます兵士たちの覇王打倒への士気意欲を高めていた。


「では、次の方どうぞー」


兵務係は何度も繰り返してきた作業に飽き飽きしつつ、ウキウキとして並ぶ兵士を呼ぶ。


兵士は早速腰につけた袋を取り出し、中身を机にばら撒いた。


「ヒィィッ!!」


思わずテンテイイが悲鳴を上げる。


その中身は腐食が進んだ人の鼻だった。枯れた木の褐色のように木乃伊化が進んでおり、ポロポロとその皮膚の乾いた屑が机に零れ落ちる。


兵務係はそれを何とも思わない様子で事務的に鼻の数を数えながら金の勘定をする。


「はい、鼻がちょうど50個だから20金両ね。はい、これ20金両。ちゃんと金額が間違いないか自分でも確認してね」


「やったー! 給料2ヶ月分だー! これでやっとワインを買えるぞー!!」


兵士は金の袋を握りしめながらルンルンとした気分で去っていく。


そんな酒の道楽のために人を50人も殺したのか。テンテイイはそう思わずにはいられない。


そんな茫然としているテンテイイに、リョーガイが少し憤慨して声をかける。


「テンテイイ殿! そんなとこでボサッと突っ立ってないで、金の勘定が終わった兵の名簿に判を押してください! 味方の兵の鼻袋奪って、金をまた不正に受給しようって輩が出るかもしれないんですよ! 金の勘定は私どもでやりますんで、そっちは生還者と戦死者の名簿の目録を作ってください!」


リョーガイは自らも椅子に座り、「次のヤツゥー」とやる気のない声で兵を呼ぶ。リョーガイはその惨たらしい鼻の小山を何の躊躇もなく素手で数え始める。確認作業が終わって金を兵に渡すと、すぐさま机の下のゴミ袋に鼻の亡骸を放り投げた。


そのゴミ袋は既にパンパンに膨らんでおり、それに気づくとリョーガイは後ろに控えていた兵務係にすぐ交換を指示した。その大量の鼻は後ろの処理机で鉈でバラバラに刻まれ、またその屑が可燃性の袋の中に詰め込まれると、すぐ傍にあった焼却炉にぞんざいに袋ごと投げ込まれて灰になった。


そんな家畜のように人の体を大量に扱う光景など、テンテイイは今まで見たことがなかった。そしてテンテイイはその鬼畜の所業に思いを馳せる。


(ああ、どうやら私の主君ユーグリッド陛下は人としての道を捨ててしまったのだ。覇王を倒すためなら何の躊躇もなく無辜むこの民すら殺してしまう冷酷なお人となったのだ。あな恐ろしや、もはや私はユーグリッド陛下について行くことができぬ・・・・・・)


リョーガイの怒鳴り声がまた聞こえて、テンテイイは慌てて職務に就く。鼻の換金を終えた兵士の名前の一覧を受け取り、改めて兵士名簿と照合してボヘミティリア王国侵攻戦の責務を全うした兵士として経歴を記す。


だがその作業はもはや上の空であり、果たして今自分が正確に仕事をこなせているのかどうかも定かではなかった。


(私は元々貧しい農民だった。だが幼い弟たちや妹たちを養うために、蛍雪の功に倣い必死に勉強してアルポート王国に仕えるようになったのだ。賤しい身分の自分でも驚くほどの速さで立身出世を果たし、ついにはアルポート王国の宰相の位にまで抜擢されたのだ。


だが、もはや私も潮時だ。元々私は心根が弱く、政治の闇や醜さにはうんざりしていたのだ。ソキン殿やリョーガイ殿のように、自分の権威のためなら手段を選ばないような男には私は到底なれない。ユーグリッド陛下ご自身ももはや政治の暗黒に染まりきった修羅の男だ。もはや私は彼と、袂を分かつべきなのかもしれない・・・・・・)


ボヘミティリア王国との決戦の夜が明けた5日後の正午の昼、テンテイイは一人宰相の職の辞意を決意していた。

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