決戦前夜・シノビとの結束

「ユーグリッド様ッ!! 覇王軍10万の軍がボヘミティリア王国より遠征し、このアルポート王国に向かって侵攻を始めました!! 全軍の到着時刻は凡そ4日後の2月12日の夜明け頃となりますッ!!」


2月8日朝8時、ユーグリッドは海城王の墓がある庭園で、ハキハキとしたユウゾウからの覇王軍侵攻の報せを受けていた。ユーグリッドは海城王の墓の前で腕を組み、跪くユウゾウに背を向けている。そしてユーグリッドはしばらく沈黙を重ねた。腰には海城王の黄金の剣を携えており、そしてそれを徐に引き抜くとゆっくりと天高く掲げた。


「そうか、とうとう覇王は我々アルポート王国を攻めてきたのだな。故郷を灰にされ、自分の弟すら殺されたのだ。もはや奴は降伏することすら我々アルポート王国に認めないだろう」


ユーグリッドは剣の先で輝く晴天の空を見上げ、独り言のように戦況を確認する。そのアルポート王の覇王との決着の意志は既に固まっていた。


「だが、既にもう我々は出来うる限りのアルポート王国の防衛戦の備えを完了した。東西南北の各城壁上には大砲を構え、水爆弾や弩弓の武具の配備も整えており、いつでも敵軍からの侵略に対応することができる。


領民たちには既に覇王軍の侵略についてのお触れを出し、安全な避難場所に移動させている。暴徒や内乱が発生しないように未然に防止策を取れている。


後は覇王がこのアルポート王国に攻めてくるのを待ち、彼のバウワー家の将兵どもを返り討ちにして永久に滅ぼすだけだ。今の我々にはもうやるべきことはない。束の間の休息の時がある」


ユーグリッドはそこでゆっくりと海城王の剣を鞘にしまい、ユウゾウに体を翻す。その表情は殺気立った険しいものではなくとても穏やかで清々しいものだった。


「なあ、ユウゾウ、せっかくの機会だ。俺は少しお前と話がしたい。戦のことではない。ただの四方山話よもやまばなしだ。お前たちシノビ衆と出会ってからもう10ヶ月ほどになるが、俺はお前たちのことを何も知らないのだ。お前たちのことを教えてくれないか?」


ユーグリッドはユウゾウに手を差し伸べる。


ユウゾウはそれを見上げたが、その主の突然の申し出に理解できず戸惑っている。


だがユーグリッドは微笑んで臣下に意図を告げた。


「俺が手を出すということはお前に立って欲しいということだ。お前は優秀なシノビだが、少々堅物すぎるきらいがある。その姿勢を続けるのは疲れるだろう? 俺の手を取るがいい」


ユーグリッドは朗らかに笑った。


だがユウゾウはその主に対する恐れ多い行為に身を委ねることに辟易していた。顔を横に逸し、主君の手を取ることをためらっている。


だがズイとまた主が手前に手を差し伸べると、ユウゾウはついにその手をそっと掴んだ。ユウゾウは静かにその細くて筋肉質な体を立ち上がらせる。黒装束の変装を解き、主君の前に素顔を見せる。そして喋り慣れていない声でボソボソと呟いた。


「・・・・・・俺たちの話はあまりお聞きなさっても、ユーグリッド様には退屈だとは思いますが」


「いや、そんなことはない。俺はお前たちのことが知りたいのだ」


ユウゾウの卑屈な前置きに、主は寛容な心持ちで家臣の言葉を否定する。


ユウゾウはかつて代々仕えてきた主たちの顔を思い出しながら、訥々とつとつと語り始めた。


「・・・・・・俺たちシノビ衆はかつてはアーシュマハ大陸の海の遥か東にある島国で、別の主に仕えていました。


ですがその主は救いようのない暴君でして、何か家臣たちが失策を起こせば次々と処刑するような残忍な男でした。


それでも俺たちは何とかして主に忠義を尽くそうと任務を遂行し、そしていずれは主も改心してくてくださるものだと信じておりました。


ですが、ある日その主は近隣国との戦争に敗北しました。そしてその敗因が俺たちシノビ衆の敵国の調査不足にあると糾弾し、そのあげくに俺たちを処刑すると宣言しました。


俺たちも海の向こうの国のことまでは調べることができないと反論を呈したのですが、主は俺たちの弁明にますます激高し、ついにその場で俺たちを斬り殺そうとしたのです。


俺たちは己が仕える主を斬るわけにもいかず、かといってこのまま犬死するわけにもいきません。そこで俺たちはその島国から脱出し亡命することに決めたのです。


そして俺たちは保有していた内偵用の船を漕ぎ出し、行く宛もなく大海原へと旅立ちました」


ユウゾウは頭を少し俯けながら、少しぎこちない様子でかつての報われない自分たちと主君との関係について語った。


ユーグリッドはその話に何度か静かに頷きながら傾聴する。


「そうか、お前たちも大変な思いをしてきたのだな。たった8人で海に船を出してしまうとは、よっぽどお前たちも追い詰められていたのだな」


「ええ、ですがそのおかげで俺たちはヨーグラス様に出会うことができたのです」


ユウゾウの普段は無口で無表情な瞳の奥に、キラキラとした海城王との思い出が蘇る。


「俺たちの小さな船は行く宛もなく海を彷徨っていると、ついに傷んでいた船底の板が剥がれ、難破して沈んでしまいました。俺たちも忽ち海に飲まれ、その時はシノビ衆全員が死を覚悟しました。


ですがたまたま近くに通りかかった漁船に拾われ、俺たち8人の命は助かったのです。しばらくその漁師たちに何度も感謝の念を伝えながら、その漁師が住む国について少しずつ尋ねてみました。それがこのアルポート王国だったのです。


シノビの流れ者がアルポート王国に流れ着いたという噂は早速ヨーグラス様の耳にも届けられました。ヨーグラス様は不可思議な運命に心を惹かれたと仰り、その時我々を召し抱えてくださることをご決断してくださったのです


その時はヨーグラス様が前代の反乱一族を討伐したばかりであり、アルポート王国の統一もまだ完全にはなされていない状況にありました。そのためにヨーグラス様は俺たちシノビ衆を使い、諸侯たちの王に対する忠誠心や動向を調べさせました。その時からヨーグラス様は俺たちシノビ衆を密偵として信任してくださるようになったのです。


俺たちはアルポート王国の諸侯たちの動向を探り、ヨーグラス様はその情報を元に臣下たちの位や職務の決定を行いました。時には明らかにヨーグラス様に反意を持つ諸侯に対して、暗殺を命じられたこともございます。


その後俺たちはヨーグラス様の命を確実にこなし、そしてヨーグラス様の多大なるご寵愛を授かるようになったのです。俺たちがヨーグラス様から賜った恩義は、この地平線から見渡せる海よりも深く、この地上から見上げる天よりも高いものだったのでございます。そして俺たちはヨーグラス様が、俺たちの主が生涯を全うされるまで忠義を尽くすことを誓ったのです。俺たちにとってヨーグラス様はかけがえのない敬愛を表すべき恩人だったのでございます」


普段は感情を面に出さないユウゾウが、饒舌に海城王への思いを告白する。


その海城王とシノビ衆たちの絆をユーグリッドはしかとその両耳で聞き届けていた。


これほどユウゾウが嬉しそうな顔を見せたのは初めてかもしれない。


「そうか、お前たちのような忠義に厚い家臣を持つことができて、父上はこの上ない果報者であったのだな。そしてアルポート王国の現王であるこの俺も、お前たちシノビ衆が家臣として仕えてくれていることを本当に嬉しく思う」


ユーグリッドもユウゾウに微笑みながら告白を返す。ヨーグラスとシノビ衆との絆が確かに、息子のユーグリッドにも引き継がれていたのだ。


その真っ直ぐな青年の告白にユウゾウは年甲斐もなく照れて顔をうつむける。だがすぐにその素直な面差しを上げ、己も真っ直ぐに主を見返した。


「ええ、俺もユーグリッド様にお仕えできて幸せでございます。あなた様は今、亡きヨーグラス様と比肩できるほどの立派な主君にご成長なさられました。俺はそんな敬愛すべき主君に2代にも渡ってお仕えできたことを誇りに思っております。願わくば、アルポート王国の3代目の王となるユーグリッド様の御子様にも、この俺の命が尽きるまで、長らくお傍でお仕えしたいと存じ上げております」


ユウゾウは隠すことのない忠誠の熱意を主にぶつける。


主もまたその真摯な眼差しに照れくさく感じながらも、初めて自分にできた家臣の言葉を素直に受け取った。


「そうか、お前は俺のことをそんなに買ってくれているのか。俺自身はまだまだ父上には遠く及ばない思っておるが、やはり父上と肩を並べられると家臣から折り紙付きをもらえるのは嬉しいものだな。


俺もお前になら、これから生まれてくる子供を安心して任せられそうだ。その生まれてくる俺の子を、本当のお前の子供のように大切にしてやってくれ」


ユーグリッドの微笑みにユウゾウが屈託のない笑顔を返す。ユーグリッドとユウゾウの男同士の包み隠しのない告白に鮮やかな花が開いていた。その主としての、家臣としての、友情にも似た信頼はどんな硬度のある鋼の刃でも断ち切ることができないだろう。


ユーグリッドとユウゾウは初めて出会ったこの海城王の墓の前で、互いに表明し合った忠君・腹心之臣の誓いを立てて以来、逢瀬の如くこの場所で互いの信愛を築き合っていたのだ。


もはや証明の言葉を直接交わさずとも、互いの呼吸は阿吽の如く合い、敬君がその名を呼べば忠臣はすぐに駆けつける。初めて邂逅を果たした時からユウゾウは、ユーグリッドが偉大なる海城王の跡を継ぐ王となれることを信じ切っており、やがてきみぼくの王となったのだ。


「ありがとう、ユウゾウ。お前の話を聞けてよかった。これからもずっと俺の傍で支えてくれ」


ユーグリッドが再び信愛なる家臣に熱い手のひらを差し伸べる。


「はい、もちろんです、ユーグリッド様。俺は永遠にあなた様への忠誠を貫きます」


そしてユウゾウは今度は迷うことなく敬愛なる主君の手を力強く握ったのだ。その右手と右手で一枚の岩となった拳の結束は、例えこの瞬間に肉体的に離れようとも、二人の心の中で永遠に断絶のない交わりを続けるだろう。


そしてユーグリッドは、ユウゾウとの確かな絆を感じながら海城王の庭園を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る